髪留めの兄ちゃん

 二週間に一、二度の頻度でやって来る大学生らしき兄ちゃんがいる。あんまり目立つ髪型をしているもんだから一発で覚えてしまった。
 ウチは複数ある行きつけの一つ、といった位置づけなのだろう。順番に各メニューを試し、その後気に入った候補の中から選ぶようになった。
 緑の髪の毛は重力を無視して逆立ち、一束だけ前髪として垂れ下がっていて、ラーメンを食う時耳に掛ける仕草が特に記憶に残る。スマホを机に置いているが、画面を見ながらなんて行儀の悪いことはせず、電話が来たら手を止めて対応した。その際めちゃくちゃ口調が荒いことが判明し、それなりに育ちの良さそうな身なりとのギャップに驚いた。
 商売上の会話しかしないし、俺も若い客だから目をやりがち、程度の認識だった。ある時までは。
 ある時、兄ちゃんは初めて休日に、初めて誰かを伴ってウチを訪れた。その相手というのが何と同年代の女の子で、明らかにただの女友達ではないだろう雰囲気だった。デート先に町のラーメン屋を選ぶとかアホか、というツッコミと、青春ドラマみたいなワンシーンに立ち会えた野次馬根性が同時に湧いて、最終的に後者が勝った。
 女の子は俺の心配をよそに、しっかり麺を啜って一品完食した。多分上手くいくな、という感触が俺にも兄ちゃんにも女の子にもあったと思う。常連が減るのも兄ちゃんが落ち込むのも世知辛い現実を味わうのも嫌だったから、二人がまた店に来た時は倍の笑顔になった。
 二度目の女の子はラーメンが来ると、鞄の中から髪留めを取り出し兄ちゃんの前髪に挟んだ。それからひとしきり笑ってその様をスマホで撮った。兄ちゃんは最初は怒ったが、前髪を耳に掛け直す必要がなくなったことに気づいてからはされるがままになった。
 髪留めには大きな飾りがあって、俺でも子ども向けのものをわざわざ用意したんだと分かった。でも兄ちゃんは一切気にしてなくて、俺は必死に笑いを堪える羽目になった。
 それからは常に二人で来るようになった。代わりに間隔が前より空くことになったが、毎度見せつけられる訳だから丁度いいと思った。女の子は必ず食事の前に兄ちゃんに髪留めを取り付け、けらけら笑って写真を撮った。

*

「らっしゃい」
「…んー……A定食で」
「あいよ。………兄ちゃん…その、あのよ…」
「あ゙?……いやあいつはダチと卒業旅行だよ!」
「なんだよー!ビビらせんなよー!」
「クソ、一人でも使っときゃよかった」
「悪ぃ悪ぃ、煮卵つけてやるから許してくれって」

 兄ちゃんが一人なのはいつぶりだろうか。ここまで来て最悪の結末なんてもう俺の方が耐えられない。思い違いでよかった。
 他に客がいないので兄ちゃんの物音がよく響く。というか挙動がおかしい。麺を啜ってはごそごそしている。…ああ。

「今日は髪留めねえのな」
「…それでか」
「上着のそっちのポケットに入ってんじゃねえの?」
「ポケット?……うわ、何で知ってんだよオッサン」
「へ?あー確かに?……そうそう、前それ着てた時に彼女が突っ込むのが見えたんだっけな」
「ガン見か、恐ぇよ」
「デート先にこんなとこ選ぶような男の恋路だぞ?心配でしゃあねえや」
「うるっせ!!」

 今までこうして踏み込むことがなかったからか、兄ちゃんは俺がそういう眼差しで見守ってきたことをここでようやく知ったらしい。初めて見る真っ赤な照れ顔だった。

「二度と来ねえ」
「二人ん時は邪魔しねえってこれからも!」

 と。言い合いになりそうな場に電話の着信音が鳴り始めた。兄ちゃんがスマホを確認し、すぐに出る。

「どうした?……今?あの店でラーメン食ってる。……あ゙?はあ?酔ってんだろテメーオイ。…オイ何でだよするか!やんねえぞ!………ちょっ、ったく、何なんだよ…」
「どした?」
「写真送れって。これの」

 ロケットの付いた髪留めを指差され、全部理解した。

「なっはっはっは!いいじゃねえか俺が撮ってやるよ!」
「いらねえ〜」
「バッカ変な疑いかけられても知らねえぞ?」
「!?」

 チョロいねー、若いねー。そしていつもの店だと分かるように背景を広く入れてやった俺はめちゃくちゃ大人だ。まあ彼女がそんなつもりで言ってきた訳じゃないのは明白だけど、発言には責任持たなきゃな。

「ほらよ、これでどうだ」
「おー」

 兄ちゃんがぽちぽち画面をいじると、すぐに特徴的な通知音が上がった。何回も何回も。

「おお何だ?」
「"おハーブですわ"、"ですわ"、ですわですわですわ…。このスタンプ爆撃、100億%ダチが送ってやがるな…オイコラ流すなログを」
「よく分かんねえけど順調でよかったなあ兄ちゃん。プロポーズの場所に困ったらウチ貸してやるよ」
「ぬかせバカ」

 さっきの焦り顔はどこへやら。痺れを切らして電話をかけ始めたので、俺もそれ以上関わらず厨房の奥へ引っ込んだ。

*

「……兄ちゃんよぉ、確かにいつだったか俺は言った。でもマジでここでやるかフツー?プロポーズ」
「……」
「泣いちゃったじゃねえか、彼女」
「だっで嬉じいがらぁ゙〜〜〜!!おっ、おっ、おじさん!式来でねえ!私たちのぉ!」
「ククク、いいなそれ。会場でラーメン振舞ってくれよ」
「いやいやご祝儀出すから普通に参列させろって…」
「あ゙〜〜ん幸せになりますぅ゙〜〜〜!!」






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