ミッドナイトブルーナイト

「ただいま、珪ちゃん」
「おかえりなさい羽京。今日はずいぶん長引いたのね」
「うん、キリのいいところまで進めようって」
「そう、お疲れ様」

 一年がかりで計画された造船作業も順調に進み、石神村の住人と、司帝国と呼ばれた集団に属していた復活者はさらに大きな一団となり、安定した共同生活を営んでいた。その中から婚姻を結ぶ者たちが現れ始め、帝国の主力と呼ばれた男、羽京と、石神村出身の女、珪は一組目の夫婦として、世界の新たな道の先頭を歩んでいた。

「はい、お水」
「ありがとう」
「もう用意は出来ているけど、寝る?」
「ん……いや、起きてるよ」

 照明の灯火に手をかざしていた珪がうなずきながら腕を引く。電気はすでにほとんどの住居へ供給されているが、村人はもちろん、その恩恵を四六時中受けていた復活者にとってもまだまだ贅沢な光らしく、月の無い夜に限定して使うようだった。

「何かしてた?」
「細紐を編んでいたの。消費が早いから」
「そっか」
「…どうかした?」
「あー、うん……えっと」

 胡坐を組んだ羽京が言い淀み、指で頬を掻く。首を傾け、ちらりと珪を見やる。それを受け、彼女は一つまばたき。
 握った紐の欠片を置いて、体ごと向かい合った。彼がこうしてまごつくのは、叶えてほしい願いが生まれたから。

「ちゃんと言って?」

 同じように小首をかしげてそう言えば、向こうの耳がほのかに赤みを増した。お互い可愛いな、などと思った一拍の空白。

「……膝枕、してほしいです」

 すでに脱いだ帽子のつばを摘まむ仕草。当然指と指の腹がぶつかって、彼はまたうろたえる。くすりと珪から声が漏れた。

「どうぞ」

 一度払ってから二度ぽんぽんと軽く腿を打つと、申し訳なさで覆いきれなかった喜びの表情を向けられた。彼女だけが知る姿の一つ。
 羽京が背を丸め、定位置に収まり、髪をかき混ぜられ目尻を下げた。やがて瞳を伏せ、深い呼吸を繰り返し、珪に全てを委ねていく。

「……」
「……」

 幼子を寝かしつける手つきと彼を労う手つきはまるで違いがなく、恥ずかしいだとか、情けないなどと考える隙間も無い程心地良さで満たされてしまう。
 一定の間隔で胸元から広がる小さな振動。鼓動がそこに重なろうと、あっという間に全身から力が抜けていく。

(……心拍数…上がるより、下がることの方が多くなってそうだな…)

 一瞬意識が遠のき、羽京は慌てて首を振った。

「寝ていいのよ?」
「ううん…」

 さすりさすりと胸を撫でていた白い手を、一回り大きなそれが捕らえた。口元まで運び、爪先に触れる。逃げようとすることは分かりきっていたから、力は込めたままで。

「ちょっと」

 指から手の平へ、ほとんど離れないようにしながら唇を押しつけていく。彼女の熱が増していくのをはっきりと感じ取り、心臓がきゅうと収縮したことを知る。

「羽京」
「んぅ」
「うんじゃないから。離して…」

 本格的に抵抗され始めたので、彼は続きを諦め、代わりに両手を使って引き止めた。請うように握り込み、逃げる意思を失くしたことを確認してから自身の頬へ導く。むに、とつねられて思わず声を上げたが、それ以上は責められず、広げられた手の平に擦り寄った。
 まぶたを上げればわずかなしかめっ面の珪と目が合う。彼しか見ることの出来ない照れ隠し。
 にこりと微笑みかけて、場の空気を仕切り直した。

「……前から思っていたのだけど」
「うん?」
「腿枕、よね」
「あはは、確かに」
「誰が膝なんて言い出したんだか」
「誰だろうね」
「……」
「……」
「…平和ね、本当に。長い間、足元がずっと揺らいでいるような、そういう気分で過ごしていたけれど、やっと落ち着けた」
「そっか、良かった。…僕も同じだろうな。あの頃は毎日必死だったけど……遠くなり始めているんだ…少しずつ、少しずつ」
「……」
「別に悪いことじゃないと思うけどね。忘れたくない気持ちはちゃんと覚えてるから」
「そう…」

 頬に添えられた珪の温もりに温もりを重ねて。羽京はひと際長く息をはく。

(……あぁ…幸せだ)

 再び瞳を開けば愛しい人。自然と口をついて出ていた。

「好きだよ、珪ちゃん」

 ぴく、と反応。触れ合った箇所がいくらかしっとりと変化していく様を全て受け止め、彼は満足そうに笑った。

「………いきなり何」
「言いたくなって」
「……」
「珪ちゃんは?」
「知ってるでしょ…」
「聞きたいな」
「………ああもう」

 他の人にとってはらしくなく、羽京にとってはらしいと思える紅潮したまなじりを歪め、珪は勢いよくそっぽを向いた。

「私も好き。………これで満足?」
「うん、ありがとう」
「はぁ、もう、おしまい。寝て」
「うわわ」

 容赦なく枕から追いやられ、慌てて起き上がった羽京は髪を整え改めて笑いかける。また一つため息をついた珪が、上目遣いになった眼差しで睨んでくる。しかし、それが羞恥から来る強がりであることは明白だった。

「それじゃあ寝ようか。今日も一日お疲れ様」
「…お疲れ様。明日も早いの?」
「今日程じゃないよ。皆ゆっくり来るって」
「分かった、起こさないようにする」
「いいよ、手伝うよ」
「そう?まあ好きにしてちょうだい」
「うん」

 一足先に羽京は寝床へ。珪は油の入った小皿を確認し、ふうと息を吹きかけた。しばらく暗闇に目を慣らし、やや慎重に立ち上がる。
 何歩で辿り着くか、慣れたもの。そして、ぼんやりと浮かび上がる差し出された彼の手に気づき、口元をわずかに緩ませそっとそれに応えた。






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