おかえり、ただいま

「おかえり」
「…めずらしいね、こんな時間から帰ってるなんて」

 新居、からぼちぼち別の表現になろうとしている私たちの自宅に龍水はいた。ソファでくつろぎ、格好も部屋着のラフなシャツだけど、手元にはノートパソコンがあって明らかに今まで触っていただろう形跡。

「なに?どしたの?仕事まだあるみたいだけど何か起きたの?」
「珪。そうではないだろう」
「?」
「来い」
「う、うん」

 むう、と分かりやすく機嫌を損ね、彼がパソコンを閉じ両腕を広げた。私は鞄をサイドテーブルに置き、言葉と仕草両方の指示に従って近づく。太ももの上に座るよう促され、ひとまず媚を売る目的で首に手を回した。

「おかえり」
「あ…ただいま。ごめん、言えてなかった」
「フゥン、許そう」
「今日は早上がり?」
「いや、帰りたくなったから帰ってきた」
「そうなの?まあ、それが通るなら別にいいけど。あとご飯作るの今からだよ、大丈夫?」

 猫がすり寄るように、頬に金の髪が触れた。

「…ねえ、本当にどうしたの?話してよ。絶対に隠したいことなら気取られないようにしてよ」
「今は堪能させてくれ。その後だ」
「えー」
「心配させるようなことじゃない。誓って」
「しょうがないなあ…ん」

 深刻な事態じゃないのは彼の雰囲気からして分かっている。だから甘えて重なった唇を受け入れた。ちゅ、ちゅと幼稚なリップ音が何度か鳴り、私はご機嫌取りではなく慈しむために腕の力を強めて応える。
 万全の状態でない中宇宙へ飛び出し、石化の元凶に片をつけて帰還して、私と一緒に暮らすようになり、龍水は"静"の面を見せるようになった。出てくるようになった、が正解かもしれない。
 私との時間を、それ以外と種類の異なる心地良さと思ってくれるのはとても嬉しい。

「んん、くすぐったい。髪どけて」
「ん」
「…普通に耳にかければいいでしょ。いちいちエロい」

 正面から前髪横毛を全部まとめてかき上げるのは、どう考えてもこの場に相応しくないだろう。これで何人の女を勘違いさせてきたんだか、この人は。
 私はせっせと前髪を分け耳の後ろに流し、開かれたおでこを指の腹でぴたぴたと叩いた。

「今はこう。いい?」
「仰せのままに。それで?次はどう振舞えば?」
「やらしくならないなら何でもいいけど?」
「そうか、ではこちらへ」

 太ももから降ろされ、脚の間のスペースに座り、背面の彼にゆるく抱きしめられた。両手の平を当てられたお腹が温かい。カイロか、湯たんぽか、とろりと幸せな気分になってくる。
 次に彼がソファの背にもたれかけたので、私の全身が熱にくるまれる。少し身をよじって、無理なく全てを委ねる姿勢にした。

「……」
「……」
「……言いたくなったんだ。"おかえり"と」
「ふうん?まあ、確かにいつも私が言う側だね。でも何で今日?」
「復路のロケットの挙動についての話になってな。それで、あの日のことを思い出した」
「うん」
「あの日の"おかえり"は特別だった。他の者もそうだろう。そして貴様と寝食を共にするようになり、毎日貴様に言われるようになって、あの日だけが特別でないと知った」
「へえ?」
「貴様だから一等嬉しい。案じられるのが嬉しい。では逆は?俺も貴様を案じたい。ただいまと笑う貴様が見たい。欲しいと思うものが心の中に浮かべばもうじっとしてられん」
「そう。じゃあ、最初の一回目をちゃんと言えなくてごめんなさい」
「はっはー!俺がそんな些末を気にすると思うか!?」
「ううん、でもけじめ」

 頭を撫でる手にうっとりしていたけど、いきなり彼がいつもの"動"を表にして飛び起きるものだから、胸板にぶつかって耳奥がきいんと震えてしまった。

「ああそうだ!珪、俺は貴様の全てを手に入れ新たな欲を自覚した!」
「えー、何?」
「貴様が俺に向けてしたことを返す!同じように!」
「例えば?」
「まずは先程も言ったが、貴様を案じる。具体的には体調管理か」
「いやまあいつも気遣ってもらってるけど。えーと、奉仕ブーム?」
「叱るのもいいな。新鮮だ」
「どんなネタで叱るつもりなの…」
「フゥン、確かに。考えておく」
「えーこわ。あとは?」
「思いついたら実行する!という訳で、今日は夕食を取り風呂に入ったらすぐ休むぞ」
「うーん、せっかく長く一緒にいれるのにもったいないよ」
「それもそうだが、語らうならベッドの中がいい。眠気に負ける貴様が見たい」
「はは、寝かしつけってやつ?」
「それだ!」
「いいよ、ブーム去るまで付き合ってあげる」

 適当にあしらう振りをしつつ、内心はきゅんきゅん甘く痛みっぱなしだ。普段から損得考えずに与えてばかりの人だけど、今のこの行動は根源が全く違うものだから。
 龍水は私の好意と行為をどう受け止めていたのだろう。それを垣間見ることが出来そうで、私は新たな愛され方に期待を膨らませてしまっている。






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