MODERATE CUNNING

 司帝国へ侵入し千空の仲間にケータイを届ける作戦は、一から十まで上手くいった訳ではなかった。見張りに看破され、クロムは捕まりゲンとマグマは彼を犠牲にする形で逃げ帰ってきた。こんな言い方すると皆に怒られるだろうけど。
 ケータイの存在は隠し通せたので、千空とゲンは一日の長い時間を天文台で過ごし、作戦の続きを行っている。私たちが詳細を知ってしまうと失敗する可能性が生まれるからと言われ、誰も二人を手伝うことは出来なかった。村へ降りて食事を受け取るのは主にゲンの役目で、彼の軽い態度はいつもと変わらなかったけど、私には疲労以上に生命力が薄れているように思えてしまって心配だった。
 彼を視界に入れる時間がぐんと減って、代わりに彼のことを考える時間がうんと増えた。目が冴えてしまう程に。
 私は上着のあわせをしっかり締め、寒空の下に出ていた。二人が眠っているだろう天文台を一目見たくて吊り橋の方へ歩いていく。そうしたら、それなりの大きさのぼやけた影がすっと動くのを両目が捉えた。

「獣…!?……あっ」

 間違いない、あの背中はゲンだ。私は思わず駆け出していた。
 一つ目の吊り橋を渡り終える頃には彼もこちらに気づいていた。村境を塞ぐように立たれたので、私は最後の板の上で足を止めた。

「珪ちゃん。ダメよ〜、女の子が一人夜に出歩いちゃ」
「森に入るつもりはないけど…?」
「…そっか。こんなこと言わないんだ、もう」
「?」
「独り言。それじゃ、あんまり天文台に近づいちゃダメよ〜」
「ああ…ごめん。でも…」
「ん、メンゴ、俺の姿が見えたからだよね。送るからお家にお帰り」
「少し、風に当たりたい」
「冷えちゃうよ」
「そのまま返す」
「んん?」

 彼が覗き込んでくる。目を合わせると、言葉とは違う別の想いがそこから滲み出ているように感じた。
 そんな風にバレてしまう時点で、今のあなたはもう普通じゃないよ。

「…んー……ちょっとだけ一緒に当たる?」
「うん…」

 へらりと笑い、ゲンは茂みに囲われた手頃な木のふもとへ移動した。風の通る隙間を埋めて隣り合う。彼は私たち程寒さに慣れていないだろうから、恥じらいを捨ててさらに寄った。

「珪ちゃん?」
「凍えたいの?」
「ヒィそれは勘弁!」
「……」
「……」
「……眠れないの?」
「そこそこ起きて、そこそこ寝てるよ〜」
「嘘つき」
「お褒めに預かり光栄♪」

 この上なく腹が立ったので、密着した肘で小突いてやった。

「あたっ。ドーイヒー」
「……」
「………まあ、アレよ。千空ちゃんで言う、アドレナリンダダ洩れ状態が続いちゃってんのよ」

 何それ。眼差しに一層蓋を被せることが出来なくなっているくせに、口だけそのままなんて滑稽だよ。
 …苦しいよ。

「そうやって私の分からない言葉で煙に巻くところ、ほんと嫌い」
「え゙っ!?………き、嫌いは……やだ…」
「じゃあちゃんと正直に喋って。今ぐらいは」
「正直だよ。珪ちゃんには嘘つきたくないから色んな言葉を使っちゃうだけ」
「っ」
「嫌いなんて言わないで?」
「……ごめん」
「ううん…俺こそ」

 棘の生えてしまった心臓が私の内側を容赦なく刺していた。痛みを感じ、拳をそこに押しつける。ゲンに見られている。

「…あのね」

 固く握った拳に彼の指が静かに乗っていた。込め過ぎた力を咎められ、一つずつ解されていく。それに連動して心臓の棘も一つずつ引っ込んで、元の形に戻ったから次は大きな音を立てて動き出す。

「こうして村に戻っても、まだ気の昂ぶりが続いてるみたい。ここまでも危機はあったけどさ、所詮俺一人のことだったり、最前線じゃなかったから。だから、過ぎればケロっと出来てたんだなって」
「……」
「誤解しないで。今そういう状態なだけだよ。俺は独りじゃないし、負けたくないし、科学王国の一員だし」
「…うん…」
「……珪ちゃんを守りたいよ」

 痛い、痛い。寒くないのに、熱いぐらい私の身体は熱を発しているのに、どうして胸の中身は内へ内へ縮まって、一つの重たい塊になろうとしているの?
 拳を解し終え、彼の右手の置き場所は私の肌からずれて袖口に移っていた。
 眼差しの一層をきっとあっちに落としてきて、真実を包み込む言葉をどれだけか剥がした彼が私の前に居る。
 そうなったゲンは、こんなにも伝わりやすいのか。だから。

「私…何が出来る…!?」

 ぎゅっとその手を握りしめた。やっぱり怒られそうな程にきつく。

「何してもいいから…!」

 あなたが何を求めているか、分かってしまったから。

「……珪ちゃん」

 彼はきっと、私の瞳に映った自分を見て観念したに違いない。小さな微笑みはとても自然だった。

「ありがと」

 驚く力で引き寄せられた後、優しい力で抱きとめられた。
 男と女なのにとか、好きな人だからとか、そういう飾りは今はいらない。ゲンは温もりが欲しくて私は提供していいと思った。それだけ。

「ありがとね…」

 本当に、それだけのつもりのはずなのに。
 彼がどんどん私を近づけていって、私もたまらず彼の背に腕を回したものだから、遠ざけた飾りの部分が胸の奥から次々新しく湧き出る羽目になる。
 好きな人に抱きしめられている。抱きしめなきゃいけないぐらい好きな人が恐れている。私を頼ってくれた。力になりたい。私が、私だけが、こうされていたい。
 この抱擁の強さを、伝わりやすくなった彼の願望を、全部都合よく解釈してしまいたい。

「……っ…!」
「泣かないで。大丈夫、きっと今夜からよく眠れる。もっと頑張れる」
「ごめ、なさっ…!」
「ん〜?なぁに?」
「わ、私っ…ずるいの、ひどいのっ…!」
「それは俺の方。珪ちゃんじゃなかったら、こんなことしてないよ」
「!!」
「ね、だから珪ちゃんもずるくて俺はゴイスー嬉しい…」
「あっ」

 不意に頭を撫でられて、ぞくりと体が震えた。

「可愛い」
「か、可愛くない…!」
「はいウッソ〜♪……さあ、そろそろ帰ろっか」

 ぐす、と鼻をすする私を見て、ゲンは懐から取り出したはぎれのようなもので顔をそっと拭ってくれた。

「ずるいだけじゃないのもちゃーんと分かってるよ。ありがとね」
「……」
「あったかいのもらって100点。その相手が珪ちゃんだから100億点。ね?」

 ここまで言わせて、馬鹿正直にうなずいた私は加えて甘えてるって思う。でも、当事者のゲンは嬉しそうに笑っていた。
 小さな足音を立て、彼が一歩二歩後ろに引いた。とたんに冷たい空気がまとわりついてくる。

「明日から元通りペラペラ男だよ」
「…嫌い」
「待った!続きがあるから!ジーマーで!」
「……」
「おほん。ただし、皆の前では…ってね」
「………それなら……好き」
「!?」
「……!!?」
「アハハ!もー!参った!」

 下がった分以上を踏み込まれて、左頬に何か柔らかいものがかすめていった。

「俺も好き!おやすみ!」

 ざくざくざく。あっという間にゲンが遠ざかり、天文台の中へ吸い込まれていった。扉を閉める直前、右手先で唇を覆ってから外すような仕草を見せて、それで左頬が温度差でじんと痺れ出していた。
 あぁ、明日から私、どうしよう。それも全部、ゲンに任せてしまえばいいのかな。
 寒いな、早く帰ろう。彼の温度を忘れないうちに。
 私ってほんとずるいし馬鹿だな。嫌いになりきれないからたちが悪いな。明日彼にこんなことを話しても、ちゃんと許してくれるかな…。






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