フライング純情少年

 五感を一瞬で奪われ、自身の死をたっぷりの時間をかけて悟り、痛みがなくてよかったと苦く笑って眠りについた。そのはずだった。
 生命活動を止めていたはずの珪の意識が浮上し、まぶたの先に光を感じた。身体の感覚が順に戻ってくる。朝が来て、眠りの妨げに悪態をつきながら身を起こす目覚めとは根本的に違う、文字通り息を吹き返す思いだった。

「……ん……」

 両の瞳が少しずつ開く。記憶にない天井、がすぐに陰る。誰かに上から覗き込まれていた。

「…よう」
「……あ……はい…?」
「3734年振りだなァ、珪」
「……せん、くう…?」
「ご名答、100億万点やるよ」
「………千空!?」

 誰かというのが見知った親類だったため、彼女の脳はすっかり覚醒し、ベッドから飛び起きていた。

「病院!?ここ!?」
「違ぇな、俺の部屋」
「そ、そうなの…?わ、何これ、石、の欠片…?」
「治療の副産物。テキトーに払いな」
「う、うん」

 言われた通りに身なりを整えてから、珪は改めて目の前の男性、千空を見上げた。
 全ての点で自分より優秀な彼と最初に再会したことにより、動揺は生まれていなかった。彼なら意識不明に陥った人間を救う術も見つけられる。経験、そして個人の感情からなる信頼だった。

(…あれ…千空、雰囲気ずいぶん変わったな。服も…えっ、ワンピース?にマント…!?)
「あ゙ー、さっきも言ったがテメーが意識落としてから3734年経ってる。クソファンタジーな話だが受け入れろ」
「…へっ?」
「ついてこいよ」

 そうして彼は早速語った。石化光線、科学王国の建立、世界情勢、現在の目標をとてもざっくばらんに。
 間抜け面を晒す自覚はあったが、それでも彼女は口をあんぐり開け、彼の話をただただぽかんと耳に入れていた。彼以外から聞かされていれば、悪質な冗談だと詰め寄ったことだろう。

「地球の…全人類が…石化…!?それって、その、宇宙人の侵攻を受けたってこと…!?」
「そこは判明してねえな。説としては十分有り得るが」
「…あっそうだ!百夜おじさんは無事なの!?あの日はISSにいたでしょう!?」
「とっくにくたばった」
「!!!」

 他ならぬ息子の口から放たれた言葉。重みを伴ったそれに頭を殴られ、珪は目の前が白くかすみ、横に傾いた上半身を何とか肘で支える自分に時間を置いてからようやく気づく。
 倒れ込まずに済んだ彼女に多少安堵してから、千空は唇の片端に意識して力を入れ、続けた。

「正確には、地球に戻ってキッチリ生き抜いてからな」
「……そん…な…」

 知らない。こんな千空は知らない。痛みを認めて受け入れ、その上で未来へ歩む力の一つに据え置けることを理解した彼なんて。
 気づけば涙が溢れていた。

「うっ、うううぅ……せんく、つらかったねえ…!」
「お気遣いはクッソおありがてえが、こちとら何年も前にカタついてんだわ。だから泣くな」
「待って…な、何歳なの、千空、君今…!?」

 知らない。顔の各部位があの頃より小さく見え、体格が成長期を終えた男性と断定出来る彼なんて。
 千空の表情から憂いが吹き飛ぶ。つかつかと近づきにいっと得意げに笑む。

「テメーに並んだ。もう"お姉ちゃん"とは呼べねえなあ?」
「………あのさあ…呼んだことないよね、一回も」
「ククク」

 それはあらゆる衝撃を差し置いてでも訂正するべきことで。珪は続けて気の抜けた緩い笑顔を浮かべていた。
 こうして、彼女は科学王国幹部の親族第三号という不思議な称号を得たのだった。

*

「落ち着いたか?」
「うん…何とか…」
「んじゃ本題」

 一度は笑ったが、沈黙が生まれたところで再び静かに泣き始めた珪を待つこと数分。
 区切りのため息をつき、顔を上げた彼女を見届けて千空が背を向ける。机に置かれた紙束を持ち上げずしりと渡した。片手ではとても受け取れない厚みだった。

「これは…?」
「復活者と身元判明済みの石像リスト」
「!」
「先に言っとくが、テメーの家族が石像の方に載ってんのは把握してる。その上で、だ。あいにく俺はテメーの彼氏様の名前も面もご存知ねえんだわ。自分で探しやがれ」

 珪が両目をさらに丸くする。

「バレると面倒だからこっから持ち出すな。確認が終わったらそれ使って俺を呼び出せ。あとは…」
「待って!」
「ん?」
「…気を回してくれてありがとう、千空。でも…あの……別れたの、実は」
「…あ゙?」
「えっと、あの日の少し前に…。だから、心機一転するために休み取って一人旅してたんだ。それで、箱根」
「……」

 返答の候補として全く考えていなかったその内容に、千空は息を呑んだきり黙り込んでいた。
 珪は彼の反応をしばらく待つが、一向に兆しが表れないため、おずおずと再び呼びかける。

「ねえ千空。…そういうことだから…その、特別扱いしなくていいよ。家族も順番に起こしてもらえれば…」
「……そうかよ」

 理由は分からないが、彼はあからさまに機嫌を損ね、足音を荒げて紙束を奪い、乱暴に机に叩きつけていた。

「気ィ遣って損したわ!」
「ご、ごめんって」
「もう用はねえ、とっとと出ていきやがれ」
「!…あのさ!親切心を無下にしちゃったのは悪かったけど、そんな言い方!治ってないね!」
「っ」
「他の皆にも同じ言葉遣いしてるんだったらやめた方がいいよ。伝わるものも伝わんないから」
「姉貴面すんな、もう歳変わんねえのに」
「なら、同い年の社会人としての忠告になりますね、これは」
「……チッ」
「…誰かに会ったら君の関係者だって言えばいいのかな。じゃあ、失礼します」

 立ち上がり、彼を横切り、珪が扉に手をかけて静かに退室していった。
 まだしばらく固まっていた千空が、大きく肩を落とし、とぼとぼ歩んで椅子に腰を下ろす。机に両肘をつき、頭を抱え込み、唸り声を一つ上げた。
 知らない。焦がれていた彼女が誰のものでもなくなっていたなんて。

「…あ゙ーー……クソ……そもそもここで起こす想定じゃなかったんだぞ…。男と一緒にいりゃ諦めついたってのに……ざけんな、何もかも上手くいきやしねえ、あいつのことになると…!」

 ばちん。
 彼の中に潜んでいたスイッチが勢いをつけて切り替わっていた。文明復興まで無視を決め込むはずだった感情の。
 あの当時は、人間の倫理を以て可能性をゼロに固定していた。しかし、その必要がなくなったと知ってしまった。であればもう、彼の脳に上から押しつける否定は通用しない。99%も0.1%も彼にとっては大した違いのない値なのだから。
 いつかの宣言は無情にも破られる。彼だってそうしたい訳ではなかったのに。彼女だって何一つ悪くないのに。

*

 あっという間に時は進み、珪の復活からひと月近くが経った。
 その間に彼女はあらゆる情報を手に入れた。まず、現在の西暦は5753年で、"科学王国"とはただの集団名らしく、地理や国境は以前のままらしい。
 千空をリーダーとした一団は、船による世界一周を達成し各地の人々を目覚めさせた。そのため文明の復興は今が一番勢いづいているとのことだった。彼らは月を目的地としたロケットの開発中で、ようやく次の段階へ進む目途が立ったという。
 彼女の発見は本当に偶然だった。箱根近辺を活動範囲としていた人類の生き残り、石神村のコハクはある日千空から内密の依頼を受ける。それが彼女の石像の保護だった。コハクは後にも先にもこの一度きりの彼の懇願に応え、石像を丁寧に埋め、十余年を経てその存在が公になるまで秘密を守った。
 千空は珪を"一応の身内"と表現していたそうなので、はとこの関係だと改めて説明した。それからあれよと根掘られ葉掘られ、父親たちの仲が良かったこと、それが縁で親交があり、一人暮らし状態の彼を時折訪ね、世話を焼いたことを話していた。

「あぁ〜〜〜……絶対避けられてる…」

 食堂兼談話室。変則的な休憩となった珪が一人隅のテーブルに突っ伏した。
 英語の読み書きが出来る事務方として科学者たちからそれなりに重宝されていたが、千空と再度顔を突き合わせることは叶わなかった。彼がすでに成人し、組織の最高責任者として多忙な日々を送る現実をこれでもかと示される。

(こう、存在みたいなものは感じるから遠くから把握されてるんだろうけど…。あの時嫌味な態度取っちゃったこと、謝らないといけないのに…)

 永い眠りを破りこの世界に復活を果たした時、彼の肉体は約8年分成長し、彼の精神は3700年以上一度も分断されなかった。そういう途方もない規模を拒絶し、彼を15歳の少年として扱ってしまった。
 それはまぎれもない侮辱行為だっただろう。彼がその足で歩んできた道を否定したのだから。

(…気持ちの整理が…未だにちゃんとつかない…。時間は全ての人に例外なく平等のはずだったのに、理は変わってしまった。…考え過ぎかな…私だけ、こんな)

 額を敷いた腕に乗せ、瞳を閉じる。

(千空も私が同じ職場にいて気まずいよね、絶対。…そうだ、この世界自体には慣れたし、色んな国に支部があるみたいだし、異動するのがいいかもしれない。えっと…あさぎりさんに相談してみればいいのかな…)

 かた、かたん。

「…?」

 すぐ近くでかすかな物音が立ったのは気のせいだろうか。珪は伏せていた顔を上げ、左右を確かめた。
 すると真左に、両肩をすぼめて背を後ろに傾け、驚愕の表情を作った千空が座っていた。

「!?せんくっ、いたの!?」
「狸寝入りかよテメー!紛らわしいことすんなバッ……カじゃねえ…」
「え?ああ…そう、まあいいけど…」

 頬を赤らめごにょごにょと自身の発言を取り消した彼に、珪は何故か懐かしさを覚えていた。感情が動いた様を目の当たりにしたことで、彼女の知る今より幼い彼を思い起こしたからかもしれなかった。

「で?用件は?」
「別に、ねえよ。寝落ちに見えてビビっただけだわ」
「あ、そうだね…驚かせてごめんね。…ついでみたいになっちゃってこれも申し訳ないんだけど…前に、説教したり、態度悪くして、ごめんなさい」
「知らねえ。忘れた」
「…うん。……まだ少し、時間もらってもいい?」
「ああ」

 がたがたと、それぞれ椅子を引いて体勢を整える。不意に視線を落とせば互いの膝が触れそうになっていて、珪が少し距離を取る。が、千空がそれを埋めた。
 何故、恥じらいが生まれたのだろう。

「疑問に思ってたこと、ちゃんと明らかにしたくて」
「何だよ」
「君はどうして私だけ起こしたの?…ううん、違うかな。最初、どうして起こさなかった、になる?ごめん、その辺まだよく分かってなくて」
「あ゙ー、起こさなかったのは、当時復活液が作れなかったのが一つ。作れたとしても、復興を達成するまで待つつもりだったのが一つ」
「うん?じゃあ、今がその時ってこと?」
「いや。無人ロケットが打ち上がってようやくまとまった時間が取れて、埋めたテメーを確認しに行った。そしたら破損が増えてたんだわ、予想以上に」
「破損…」
「石像は断面が風化しちまったり、あまりにパーツが欠けると再生出来ねえ。その可能性が頭によぎって…流石に背筋が凍った」
「っ」
「今度は屋内に安置するにしても、あん時の気分が晴れる訳じゃねえだろ。だから」

 石榴色の眼差しが真っすぐぶつかってくる。奥に、彼が誇る強さと彼が隠そうとしている弱さの両方が映った気がして、珪の呼吸以外の動作が封じられてしまう。

「……テメーまで…二度と会えなくなっちまうのはゴメンだ。間に合ってよかった」

 とく、と血液が巡っていた。彼女が思う以上に大切に扱われていたことを知って、胸がじわじわと熱くなっていく。
 そして、彼女のそういった変化を彼は敏感に感じ取り、放った台詞の気恥ずかしさと共に体温を一段階上げていた。

(…あぁ……大きくなったなんて、そんな、のんきに考えて、おこがましかったな…)
「千空…私、死なずに済んで、君のために蘇って、よかった。ありがとう、私を見つけてくれて」
「!!」

 初めてのある種の特別な微笑みを向けられ、ぶわりと顔面の毛穴が広がる感覚があった。上がった体温がそこに集まり放出されていく。
 そして、彼のそういった変化を彼女は否応なく見せつけられ、ぱちくりとまばたきを一つ。

(あれ…あれっ?)
「え…っと?」
「は、恥ずいこと言ってんじゃねえ!」
「んん、そうだけど、ちゃんと伝えたかったんだよ」
「そうかよ…はぁ、行くわ、もう」
「い、言いたいことまだある!えっと、えっと…」
「…ぼちぼち次の作業が迫ってんだが」
「そ、その、私、国外の支部に異動したい…って言ったら、千空どうする?」
「はっ…!?」

 あまりにも分かりやすい落差だった。

「なっ…テメ、何て…!?」
(あれあれあれーっ!?)
「………本気、か…?」

 およそ石神千空とは思えない絞られた音量で。
 背は彼の方が高いはずなのに、下から縋るような目つきで。
 そんな、しおらしく引き留められてしまったら。
 結びつかない訳がない。

(わ、わ、私、千空にこんな風に見られてたの!?いつから!?)
「なあ、珪…」
(あーっ!)
「嘘!嘘嘘冗談!ごめん!」
「はあ!?」
「行かない!撤回!ここで頑張る!」
「からかってんのかテメー!?」
「違う!今の君の反応で心変わりした!」
「!?」

 どっと急上昇した心拍数は、果たして気づいてしまったからだけなのか。
 真っ赤な頬につられて、それを見てさらに赤くなって。きっと、このまま止まっていれば際限なく積み重ねてしまうから。
 先に逃げたのは千空だった。

「意味不明なこと口走んなバーカ!」
「うわ千空ちゃん何事!?」
「ゲッ!何もねえわクソッタレが!」
「えードイヒー…いやジーマーで何?誰がいんのよ…って珪ちゃん!?」
「…っ」
「え、え?喧嘩しちゃったの?…ああ、いや、うん、アオハルねアオハル」
「!?」
「そのお顔見れば誰でも分かっちゃうよ…他言しないから早めに戻しなね」
「は、はい…」

 走り去った千空と入れ替わりで現れたのは科学王国の参謀あさぎりゲンであり、彼は一瞬で事態全てを飲み込み、彼女を落ち着かせてやるため隣まで近づいてきた。

「んふふ、こう進展したか〜」
「……ご、ご存知で…?色々…」
「まあねえ。こう見えて俺、超絶有能メンタリストなのよ♪」
「……」
「純情少年フライングで解禁しちゃってまあ〜。俺はゴイスー嬉しいけど」
「……」
「諸々気にせず、珪ちゃんの整理がついたら好きに行動していいからね」

 何もかも見透かされた彼の言葉に、珪はただただうつむいてうなずくことしか出来なかった。
 撃ち出された弾丸を左胸に食らい、それが心臓に溶け込むまでの猶予はどれだけか。未だに激しく収縮するそこをなだめるのに必死で、彼女の思考は真っ白に染められたままだった。





*****
「年上夢主の年齢に石世界で並ぶ片想い千空」でした。
リクエストありがとうございました。




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