終焉を待つ

 この石だらけの世界で再会してから、彼女のことは"珪"と名前で呼ぶようになった。それがこのコミュニティの長である司の方針だった。
 女子の集団内に一人新顔がいて、それが彼女と知って大きな声を上げ駆け寄っていた。冷静沈着な彼女もこの時ばかりは驚き、当時を懐かしんでくれて、不謹慎にも心が弾んだ。
 彼女は…珪は、自衛隊の同期に当たる。と言っても、正確には大学とその先の学校の同級生なのだけど。いつから目で姿を、耳で存在を追っていたかは忘れてしまった。僕は顔の造形で、彼女は性別でどうしても無意識の侮りみたいなものを第三者から感じ取ることがあって、悪者はいないけどね、と絶妙な感覚を共有した思い出がある(もちろん彼女の苦労の方がずっと上なのだけど)。
 遠い遠い昔にこの気持ちに名前が付いて、結局は伝えない選択をした。もしも卒業の日に二人きりになれたら。もしも同じ場で働くことになったら。もしもこの電話が繋がって、約束を取り付けることが出来たら。そういった機会は潰し、潰され、奪われた。たった一つを残して。
 もしも、もう一度会えたなら。
 だけど僕は、君に誇れる人間ではなくなってしまった。

*

 転機はすぐに訪れた。珪が、監視対象である少女、杠の石像修復に手を貸していることが判明したのだ。気づけば作業所の人数が一人増えていて、それを知るのは当事者たちと僕だけのようだった。
 深く底に押し込めていた"声"が再び僕に向かって叫ぶ。何が出来る?何を選ぶ?やるべきこと、したいことは何なのだと。
 僕は…僕は珪の力になりたい。陣営や役割に関係なくただ彼女の。そしてきっと、彼女を通して僕も正義に触れられることを浅ましく期待して。
 翌日、僕は人気のない森に彼女を呼び出した。

「こっちだよ」
「ああ…。わざわざ何の用、西園…羽京」
「食べられる実をたくさん見つけてね、おすそ分け。手の平を出して」
「…?」

 指示通り広げたそこを片手で覆い隠し、もう片方の人差し指を置いた。
 とん。ととん。
 "タキウラ ニシ オトコヒトリ"。

「…!!」
「軽蔑して」

 そう吐き捨て踵を返そうとする。けれど、腰巻きを掴まれ阻まれていた。

「しない、絶対に」
「…珪…」

 改めて向き合う。僕たちがそれぞれどんな状況か伝わったのだろう。彼女はあの頃と何一つ変わらない静かな眼差しで僕を見つめている。
 逸らしたい。逸らしたくない。

「皆出来ることをしてる。あなたも」
「!」
「繋いでみせる。あなたから私に、私からあの子に、そしてその先まで」
「…っ」

 あぁ、その瞳に映る僕は、とても胸を張ってとは付けられないけれど。変わらずにいようともがいていると、認めていいのだろうか。
 衝動が湧いて、律する暇なく僕は彼女の両手を握りしめていた。彼女は拒まずうつむき、ややしてからぽつりと話し出した。

「……安堵、してる…あなたに知ってもらえて」
「うん…」
「皆、子どもなの。子どもなのに…命を扱ってる…!」
「うん…支えてあげて、杠を。僕はせめて、今生きている人たちを死なせない。誰であっても、これ以上…!」
「ええ。それはきっと、あなたにしか出来ないこと。…一番苦しいこと」
「苦しい?そんなことないよ。砕けた石像と対峙する君たちに比べたら」
「じゃあ言い直す。どっちも苦しい。でもやり通せる、私たちなら」
「…そうだね。僕も心強いよ、本当に…!」

 最後にもう一度うなずき合ってから一歩下がった。温かい指先が名残惜しそうにしていたと、自惚れてしまいそうだった。
 そこから抗争の終わりまで僕たちの活動は続いた。僕はなるべく司に付き従い、彼が壊した石像の場所を珪に伝えていった。にこやかに世間話を続けながら、黙って横に並びながら。
 珪はその石像を回収し、位置を記しているようだった。司は効率を求めているのか、破壊のための道を再度辿ることはほとんどなく、偽装を見抜かれずにすんでいた。
 科学王国の侵入者との攻防。集会への乱入。いつか珪が言っていた、"その先"である千空との対話。そのさなか、僕を信じてくれる彼女の眼差しは強く背を押し、僕に託してくれた想いは二人分の涙となって流れ落ちていった。
 場が解散となった後も、僕はぼんやりと通信機を眺め続けていた。すると珪の足音が一度止まってから近づいた。
 彼女はすぐ隣に並び、僕の肩に手を添え、何度か撫で同じようにしゃがみ込んだ。僕は少しの雫を拭い、ゆっくり微笑みかけた。そうして最後まで黙ったまま、二人で通信機に土を被せた。意識して長く吸ってはく彼女の呼吸音がずっと耳に残っていた。
 戦いがすぐそこまで迫っている。

*

 石の世界で、状況が落ち着いたと言えたのは初めてかもしれない。
 あの日、奇跡の洞窟前の決戦を経てこちらの陣営と科学王国は和解した。その後司は氷月の奇襲に遭い、皆がそれぞれ力を尽くした結果、ひと時の眠りにつくことになった。眠りまでの時間を有効に使えたのは、珪がまとめた資料によって、彼の証言を軽減出来たからだと思っている。
 決戦時に負った腹の傷も完治し、僕はわずかだけ生まれた暇を持て余していた。となると、したいことは一つ。

「…珪、少し時間もらえるかな?」
「私?構わないけど」

 石神村式縫製を学ぶ彼女を連れ出し、あの日秘密を共有した森を訪れる。そのせいだろうか、彼女が緊張しているように見えるのは。

「あの、怪我の具合は?」
「ん、完全に塞がったよ。心配かけたね」
「そう。ビンタで呼び戻すことにならなくて何より」
「はは、そんなことやるつもりだったの。千空に感謝だねえ。…さてと、それじゃあ手、出してくれる?」
「っ」
「あ、ごめん、全然真面目な話じゃないから」
「…こう?」

 何でも受けやすいように両手の平を晒されたので、ちょっとだけおかしくなってしまった。そこにころりと熟れた実を乗せる。

「一番最初、君に嘘ついちゃったから」
「変なとこで気にしいね、あなた。…ん、甘い。……なに?そっちのが甘ったるい顔して」
「やっと笑ってくれた」
「悪かったね、愛想なくて」
「違うよ。二人きりの時はずいぶん気を張ってたなって」
「そりゃそうでしょ。考えることたくさんあったんだから」
「うん。でももうそんな必要はなくなった」
「結論」
「もっとリラックスしてよ。これからは、作戦のやり取りとか裏のある世間話じゃなくて、ただのおしゃべりがしたいんだ」
「ああ…そうね、そうす、る…?」

 はたりと珪が動きを止めた。今の会話を反芻しているらしく、目が泳いでいる。そのうち僕の意図に思い至ったのか、動揺が分かりやすく表に出ていた。
 ここまでたくさん意気地のなさを露呈したり、内に抱えてきたりした。けれど、今はもう全部僕の一部だって受け入れて、君や仲間たちと拓いた新しい道を進んでいきたいと強く願う。
 そして、君と今後も二人きりで会っていいかとお伺いを立てる程度には、開き直りに近い前進を始められていた。

「…あの」
「嫌じゃなかったら流して」
「………吊り橋効果でしょう、こんなの」
「僕は違うし、君がそうだとしても絶対責めない」
「っ、ナシ、今のナシ!非常事態に、年長者の私たちがなんて…!」

 真っ赤になっちゃった。
 彼女が言ったことは全て正論。だけどこんなチャンスを逃してたまるものか。僕は卑怯者だとすでに公言しているのだから。なんて。

「ねえ、珪」
「な、なに」
「文明が滅んで、二度と会えない人が出来てしまって、でも、でも君はそうじゃなかった。だから後回しにしたくないんだ、僕は。そこは認めてくれないかな?」
「……他人の考えとか、信条とか…その辺は否定するつもり、ないけど…」
「うん、ありがとう」
「……」
「…最後まで言っちゃっていい?」
「だめ、やめて」
「……」
「………猶予を、その、整理する時間を」
「そっか、もちろん。ちなみに期限は?なるべく早いと嬉しいんだけど」
「あのね、調子に乗らないでくれる?こうやって手玉に取ってきたの?ねえ、"合コン潰しの西園寺"?」
「うわひどい!あの頃から君のこと好きだったのに!」
「!!?」
「あっ………はは〜…」

 あぁ、こっちに届くぐらい心拍数が速くなってる。じゃあなくて、今その表情を確かめなくてどうするんだ。
 僕が痛恨の判断ミスを犯している間に、彼女はすっかり平静を取り繕っていた。

「えーっと…それで、お返事はいつ頂けるでしょうか…?」
「…文明復興後?」
「えっ!?ダメダメそれは流石に無理!うーん、誰かの受け売り?はっきりさせないの、ちょっと君らしくないよ」
「はぁ、ご明察。日を改めて相談に乗ってくれる?それなりに事情があるの、あなたには悪いけど」
「あ、う、うん…」

 そうして後日。
 "杠の恋模様"の全容をこっそり耳打ちされ、二人で彼女と大樹の覚悟に打ち震えるやら頭を抱えるやら一通り行って。結局、期限は彼女たちが成人を迎える翌日という、どこに対して配慮したのかよく分からない約束を交わすことになった。
 でも、いい期間かなと僕はのん気に構えている。極限状態の中現れた吊り橋を共に渡る存在から、一人の男へ変わるための期間。失望されないよう頑張らないと、なんて意気込みながら、忙しない日々を過ごしていく。
 時折挟まれる二人きりのひと時。おしゃべりが目的だったはずなのに、回数を重ねるごとにお互い口数が減っていって、いつしか手を繋ぎ、指を絡め、とうとう腕を回して声の代わりに心臓の音を聴かせるようになった。
 僕たちはそれぞれ視線で話を合わせる。抱擁までは親愛の証だから、悪い大人だね、と。そしていい大人だから、約束は絶対に破らないと。
 核心から目を背けて紡ぐ睦言もどきが愛おしい。そしてこれまでを塗り替える真の一言を、僕は子どもみたいに指折り数えて待っている。
 僕の片想いの終焉まで、あと何日。





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冴子さんよりいただきました、「クール系海上自衛隊同期で、羽京の片思い」でした。
リクエストありがとうございました。




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