立ち眩み

 あの日、人類を襲った厄災の源。石化装置、通称"メデューサ"。
 時計技師である俺はその技術力を買われ、この手の平に収まる未知の科学の解体及び構造調査を請け負った。
 プロとして、限界まで調べ上げる。俺のやり方で、俺の思う通りに進めさせてもらう。邪魔する奴は誰だろうと許さない。始めにそう宣言し、幾人もの監視の視線を浴びながら、俺は何日も何日も机に向かい続けていた。
 …今日はその視線がいやに刺さる。他人に左右されるような、程度の低い集中力を持った覚えはないが、こうして雑念が生まれているのは事実だ。それを認め、俺は息をついてから休憩を取ろうと工具を一箇所に集めて置いた。その時。

「…ジョエル――!」
「!?」

 真後ろで俺を呼ぶ声。契約の反故。一瞬で頭に血が上ったのは当然のこと。
 手を止めたタイミングを見極めたことに免じて殺すのだけは勘弁してやる。俺は衝動のまま勢いよく椅子から立ち振り返った。

「どこのどいつだ!?聞いてねえのか……っ!?」
「――――!」

 視界が回る。身体が軽くなったと思ったら、その次は異様に距離を縮めた床が映り、増す耳鳴りと共に色がなくなっていた。高い音の合間に人々の喧騒が届く。何が起きた…!?

「!?……!?」
「ジョエル――、――――――…!?」
「あ…?」

 再び俺の名前が聞こえ、予測出来た発信源へ視線を動かした。多少晴れた眼前に飛び込んできたのは、生まれてこの方経験のない近さに居座る一人の女性だった。
 それだけではない。俺は女性に背中を支えられている。気づくと同時に情けない悲鳴が上がり、彼女を跳ね除け後ずさっていた。

「なっ…なっ…!?」
「……I'm sorry」
「!」
「―――――――――。…オダイジニ…」

 日本勢であろう彼女は英語で一言謝った後、おそらく母国語を呟いてから去った。最後になってやっと判別出来る程度に見やれたその表情は悲痛なものだった。
 事態が飲み込めず未だに目を点滅させる俺に、アメリカ勢の元締めの大男がしゃがみ込んで話しかけてきた。

「流石に青二才と言わざるを得ねえな、ジョエル。ひでえ顔色だ…旧世界と全く同じ根の詰め方すりゃもたねえに決まってんだろ。食いモンも環境も貧相になったってのによ」
「……そういう…ことか…。ったく……プロ失格だぜ…」
「ま、助言すらしなかった俺も悪かった。とりあえず今日は休め」
「…ああ。こんなダセえ失態はこれきりだ」
「頼むぜ」

 起き上がり、今度はごく軽い立ち眩みを黙ってやり過ごす。また一人近づいてくる…日本勢のリーダー。

「悪かったね…アタシらもアンタの様子がおかしいのは薄々気づいてたけど…声、かけらんなかった。だから、あの子を怒んないでやってよ」

 うなずいて返答する。今になって、その彼女の意図が理解出来ていた。
 厄介なことになった。俺は、俺が激昂することを承知で案じる選択を取った彼女を探し出し、礼を言わなければならない。すなわち、女子と二人きりになり、俺から話を切り出さなければならない。
 どんな無茶な仕事よりも難度の高い行為。もちろん投げ出すわけにはいかない。仕事と同じで。

「……な、なあ…」
「何だい?」
「一つ…教えてくれ……"オダイジニ"って日本語…どういう意味、なんだ…?」

 手始めに、俺はなけなしの勇気を絞り出し、何度も顔を突き合わせ、わずかだけ免疫のついたリーダーに向かって質問していた。






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