3.会話
「……何、を……言っている…!?」
傾いた姿勢のまま、一度唾を飲み込み、ようやくゴルベーザは言葉を絞り出した。
殺してほしいと、確かにこの少女は言った。全く普通に、すんなりと。
少女の眉がわずかに下がった。
「だめ?」
ゴルベーザは気を取り戻し、改めて彼女と対峙する。
「駄目だ。そのようなことを軽々しく口にしてはならぬ…!」
「そうなの?」
少女の表情がまた少し沈む。うつむき、何か思案しているようだった。ゴルベーザが厳しい視線を送る。
「…じゃあ、あなたのこと、聞かせて?誰かとお話しするの、久しぶりなの」
「……」
「それもだめ?」
「…いいや、分かった」
「良かった。ねぇ、お家に行こう?もうすぐ暗くなっちゃう」
少女が本を拾って立ち上がった。ゴルベーザが動くのを待っている。
彼女から、死を覚悟したような悲愴な様子は見受けられない。真意を読み取りにくい薄い眼差しのまま、ただ彼の存在には興味を持っているようだった。
歩き出す前に、ゴルベーザは問うた。
「そなた、名は?」
「わたし?アンヘルだよ」
初めて少女の唇が弧を描いた。
*
アンヘルが座っていた樹の向こう側は、いくらか生活感のある区画となっていた。わずかな畑、小川、飼っているのか、人馴れした鶏が数羽。
先を行くアンヘルがくるりと振り返り、立ち止まってゴルベーザをじいと見上げた。
「……何だ?」
「本当に、お父さん死んじゃったんだなって考えていたの。ずっと待ってたのに」
「悲しくは…ないのか?」
「悲しい…?よく、分からない。わたし、悲しいのかな?」
彼女の言葉にゴルベーザが再び訝しむ。良くも悪くも、目の前の少女は父の死に動じていないようだった。その理由に思い至れず、そればかりか彼女の素性も全てが謎に包まれている。彼は、今はとにかく彼女が自らを傷つけないよう見張らなければならないと、あらゆる疑問を押し込め立っていた。
「ここ、わたしのお家。どうぞ」
木彫りの装飾が施された扉を開け、アンヘルはゴルベーザを家に招き入れた。
入ってすぐの部屋は台所らしかった。かまどがあり、食事をする机が配置されている。どことなく生家を思い起こす要素が多いとゴルベーザは感じた。言われるまま、椅子に腰を下ろす。
向かいに座ったアンヘルが両手で頬杖をつき、一心にゴルベーザを見つめている。話、というのを待っているのだろう。その視線に居心地が悪くなり、彼は部屋を見渡しながら質問を始めた。
「そなた…もしや、一人なのか?」
「ううん。にわとりと、やぎと、あとうさぎもいるよ」
「では、人間は?」
「それならわたしだけ」
「いつからだ?」
「うーん…忘れちゃった」
(…資源は豊富に見えた。が、それでも年を忘れる長い期間、少女独りで生きていけるものなのか?)
ゴルベーザはそこで始めの違和感を覚えた。続けて言う。
「父と…二人で暮らしていたのか?」
「うん。小さい頃はお母さんもいたけど、病気で死んじゃった」
「…すまぬ」
「どうして謝るの?」
「辛いことを…思い出させただろう」
「そうなの?お母さんが死んだのは…仕方ないことだよ」
アンヘルの返しに何も答えられず、彼は口を閉ざして小さく息をついた。不意に目が合う。
彼女の瞳や声色は、先程よりいくらか活動的なものへと変わっていた。ゴルベーザという新しい存在に出会い、意識が覚醒しつつあるのだろう。何の悪意も含まれない大きな瞳で、じっと彼だけを見定めている。自分が怖くないのかと、ゴルベーザは純粋に疑問に思った。
「父は、そなたを一人置いて外へ出ていたのか?」
「そう。お母さんを生き返らせる方法を見つけるんだって、ずっと言ってた」
(!)
「そんなの、ないよね?死んだ人を元に戻すなんて出来ないよね?」
「………あぁ……そうだな…」
「やっぱり。本にも書いてた。でもお父さんは…ずっと、言ってたの」
「そうか…」
ゴルベーザの胸中にあの亡霊を悼む感情が生まれていた。彼はきっと、亡霊に成り果てる遠く遠く前から嘆き続け、そして独り遺した娘を想うがあまり、さらに心を、魂を狂わせてしまったのだろう。
「最初は一緒につれていってって言ってたけど、お父さんは絶対にだめだってすごく怒ったの。わたしはここから出ちゃいけないって。それでね、一度内緒でついていこうとしたの。でも…」
アンヘルが窓の外を見やる。
「果物の木の先に進もうとしたら、急にけがをしたの。すごく痛くて、びっくりして、あとからお父さんにたくさん叱られちゃった。出ていこうとしたからこうなったって…」
ゴルベーザの脳内に再び違和感がよぎった。彼女は結界の話をしているのだろうか。亡霊と対峙した折、彼もそれに阻まれた。
(…つまり、あの結界は私を捕らえるために張ったのではなく、最初からあそこに存在していた…?閉じ込めていたのか…娘を守るため…?)
痛みを伴う程の、無慈悲な檻を以て?
「だから、それからはちゃんと待ってた。何回か帰ってきてくれたけど、あとは…あなたが来て、お父さんは死んじゃった」
アンヘルがそっと目を閉じた。ゴルベーザはかけてやる言葉も思いつかず、ただ沈黙のみが場を支配する。
"殺して"と言った彼女の心境が今なら理解出来た。彼も両親を立て続けに喪い、身体中が引き裂かれる絶望を味わった。それから逃れられるようもがき、そして道を外してしまった。
しかし、だからこそ、目の前の儚げな少女に引導を渡すような真似は何があってもするまいと決めていた。彼女を説得し、何とか安らかに生きられるよう道を示してやらなければならない。そのために、この地に降りたのだ。これが、青き星に舞い戻った自分が、その住人に行うべき贖罪の第一歩なのだ。
彼の思考はそのことでいっぱいとなり、抱いた疑問を検討する余地は残されていなかった。
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