定位置

 飛空挺の船内は広いようで狭く、それは乗り込んだ人間の移動範囲が限られているからであるが、裏を返せば範囲外では顔を合わせる頻度が少ないということだった。
 ゴルベーザはそれを知った上で、備品庫近くの部屋…いわゆる下っ端が雑魚寝をするような詰所を自室としていた。窓もなく調度品も粗末だが、他人の気配がまるで無いため気を休めることが出来た。
 それでも彼は扉に封を施す。来客がいる場合は、特に念入りに。

「もう少し明るくしていい?」
「あぁ」

 振り返っていたアンヘルが視線を戻し、机上のランプに手をかざせば光源が強さを増した。本来は火が灯るはずのそこに、彼女の魔力が留まっている。ゴルベーザには思いつきもしない、繊細な芸当だった。

「相変わらず器用だな」
「ふふ、ありがとう。色んなことが出来て面白いから、ハルと一緒に研究してるんだよ」
「例えば?」
「えっと…洗濯物を早く乾かすために風を起こしたり、重い荷物にレビテトみたいなのをかけてみたり…。あっでもお魚を凍らせるのは失敗しちゃった。わたしが離れたとたん、溶けちゃったの」
(…白魔法と黒魔法が開発されなければ、魔力はこう使われるものとなっていたのだろうか)
「どうかした?」
「いや、感心していた」

 話し終え、彼は気づく。こちらへ歩んできたアンヘルが腰を下ろした場所は、これまでの"定位置"ではなく、安っぽいベッドシーツの上。密かに談話室から拝借している一対の椅子ではなく、あえてここを選んだ彼の意図は残念ながら上手く伝わらなかったらしい。

「……」
「……」

 アンヘルがかすかに頭を揺らしながら地面を見つめている。もうしばらく沈黙が続いたところで、耐えかねてぱっと顔を上げた。

「そうだ、セオドール、あなたのお話も聞かせて。今日はどんなところに行ったの?」
「ん…あぁ…昨日と同じダンジョンだ。あまり長時間潜れぬ故、時間を費やしているが…明日には目的の層まで着くだろう」
「そっか…。皆、疲れてる?」
「…まぁ、多少はな」
「わたし、リディアの代わりに行っちゃだめ?」

 ふう、と二人して別々のため息。

「アンヘル、その話はもう終わっただろう。彼女がいなければ幻獣の調査は始まらぬ。同様に、そなたがこの船にいなければ、あの怪我人たちはいつまでも伏せたままだろう」
「…ん…」
「皆、それぞれの場所で自らの役目を果たしているのだ。戦う者が一番偉いなどと、私が言わせやしない」
「…ザンゲツのおじいちゃんも同じようなこと、言ってた」
「フ、そうか」
「でも、お願い…リディアがつらくないように、明日が終わったら、お休みにしてあげて」
「あぁ、分かった」

 そう言ってゴルベーザが腕を伸ばす。アンヘルの頭を撫でてやって、ようやく表情が和らいだ。
 彼女は追加をせがむように、シーツに両手を添え身を乗り出す。望み通りに動いてやりながらも、彼の口元はどこかぎこちない。
 もう満たされなくなってしまったのだ、これだけでは。

「…アンヘル」
「うん」
「その……来て、くれぬのか?」
「…?」
「…いつものように」

 きょとんと瞳を開いた彼女は、一拍置いてからさらに幅を広げ。

「あっ…えと…つ、疲れてるのに重いかなって…」
「…そのような気遣いは…覚えるべきではないな」
「わっ」

 隙を突いて素早く抱き込まれ、彼女はあっという間にゴルベーザの元に納められていた。背もたれは彼の二の腕、クッションは彼の両太もも。ご丁寧に、姿勢がずれないよう留め具も身体に回っている。
 アンヘルはほんのりと耳を染め、何も言えずじっと彼を見上げている。本心はこうしたかったと知って、彼も満足げにうなずく。

「この私が、そなたを重いと感じることがあるとでも?」
「……」
「あぁすまぬ…意地の悪いことを言いたいのではない。単に私が、こうしないと落ち着かぬだけだ…」
「う、うん…よかった」

 厚い胸板に、頬を擦り寄せる。

「セオドール…けがしないで、帰ってきてくれて、ありがとう」
「ん…?」
「…お父さんみたいに…ならないでね…」
「ならぬよ、それは…絶対に」
「うん…」

 留め具が外れ、本来の役目へ。濡れた目尻に親指を沿わす。潤んだ瞳を向けられて、首元の布地を掴まれて、覆い込むように背を丸める。
 微かな物音は屈強な背中に遮られ、どこにも漏れず、狭い狭い彼らの空間にだけ響く。

「…ん…」
「……」
「んぅ…」

 白い腕が黒い首筋へと回る。同時にやや体勢が崩れ、アンヘルが息を継いだのを確認してから、ゴルベーザが再びその唇を喰らう。内側へ熱を侵入させれば、とても分かりやすく背がしなった。
 抱擁の力を強め、忙しなく動き回る彼女を支えてやる。しかし、その位置は少しずつずれていき。

「ふぁっ…!」

 いつの間にか腋下から柔らかな部位に触れてしまい、驚く彼女により色めいた悲鳴を上げさせてしまっていた。くたりと力が抜けた彼女は余韻に溺れ、無防備に唇を開き、無意識に彼を煽る。

「す、すまぬ…!」
「………やめないで…」
「!」

 それはどちらの意味なのだろうか。まだ冷静さを残したゴルベーザの頭はそんなことを考える。
 どちらだとしても、ただ彼女の願いを叶えるのみ。もう一人の彼がやはり冷静に言う。生きる意味を、温もりを共有する喜びを、彼女はいつだって与えてくれるのだから。
 愛しげに両目を細め、彼は小さく返事して、再び彼女の全てを世界から遮った。






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