守りたいもの

 昂ぶった精神を静めることが出来ず、俺は飛空挺ファルコン号の船内を彷徨っていた。夜の更けたこの時間でも、今夜に限って言えば眠りについていない者の方が多いだろう。
 俺にとっても、俺以外の人々にとっても、そして世界にとっても激動の一日だった。
 俺自身は全てに決着をつけ、妄執から解き放たれた。バロン国は侵略者を退けたが、代わりにセシルの魂が奪われてしまった。この船には侵略者に対抗するべく多くの仲間が集っており、俺たちも合流する形となった。
 新入りである俺はまだ指示を待つ身である。セシルの介抱はローザとセオドアが行っている。あの迫る月へ向かうための準備期間である今は休むべきだと分かっているが、はやる気持ちを制御出来ていないのが現状だ。早くからこの船に乗り込んでいた誰かに話を聞けないものか。そう考えながら、俺は談話室を目指した。
 目的地は閑散としていた。見覚えのある白銀の後頭部が一つだけソファから出ている。ゴルベーザのものだった。
 気配を察したのか、勢いよく振り返られる。呼びかけようと口を開けたと同時にそいつは何故か焦った表情になり、唇の前に人差し指を持ってきて俺を制した。
 "らしくない"所作を不審に思ったが、示された通り黙って近づき理解した。いや、それ以上に驚かされ、俺は何度もゴルベーザともう一つの存在を見比べていた。
 ゴルベーザのすぐ隣に少女が寝そべっているのだ。ソファについたゴルベーザの左腕にしがみつき、胸元に抱き込むようにして丸まっている。その切実な姿に、何よりまず彼女を案じる感情が芽生えたと自覚する。

「……とりあえず座るとよい」
「あ、あぁ…」

 向かいの一人掛けの椅子に腰を下ろし、疑問を言葉にしようと必死に脳を動かす。しかし。

「アンヘル…だったか。何というか、その、大丈夫なのか?」

 気遣うにしては粗雑すぎる物言い。だが対面する大男は汲み取ってくれたようだった。

「あぁ、眠っているだけだ。部屋に戻るよう説得したのだが、どうにも嫌がってしまってな…」
「そうか…それで、本題だが、彼女はお前の関係者だったのか」
「うむ。…そうだな、にわかには信じ難いか…」
「それを言うなら、お前がそんな格好でエッジたちと行動していたところから信じ難いからな。いつ帰ってきてたんだ?」
「ダムシアンの国境に隕石が落ちた頃より遡って数ヶ月…といったところだ」
「そんなに前なのか」

 それからゴルベーザは語った。月から一人脱出したこと、魔導船の降り立った孤島でアンヘルと出会い、共にミストの村を目指したこと。そして彼女と幻獣の力により窮地に陥ったリディアたちを助け、今日まで素性を隠して手を貸していたという。

「よくその一本の綱から落ちなかったものだ」
「まぁ同感だな…。彼女にもずっと不慣れな環境の中無理を強いてきた。限界だったのだろう…」

 そう呟いてゴルベーザは眠るアンヘルに視線を落とす。見たこともない眼差しをしていた。虚ろな抜け殻となってしまった弟に心を痛めるそれとも、初めて会う新たな肉親である甥に喜ぶそれとも、似ているようではっきりと違う。本当にこいつは長く長く地獄を味わっていた男なのか。疑いたくなったが、しかし理解出来た。
 彼女はそんな男に生きる意味を与えたのだと。

「しかし、お前たち兄弟以外にも月の民の血を引く者がいたとはな。案外末裔なんかがその辺で暮らしたりしているのかもな」
「可能性は高いと思う。フースーヤも言っていた…あの月から旅立った同朋は父たちが初めてではないと」
「へぇ…いきなり身近な存在になったものだ」

 軽く笑い合い、会話が一段落した。俺は椅子に深く座り直し、改めて二人を観察する。
 何というか、近い。物理的な距離も、いわゆる心の距離というやつも。ゴルベーザは一応俺の方に視線を向けているが、明らかにそれ以上にこの少女に注意を払っている。
 そういう態度にはまぁ俺にも思い当たる節がある。しかし、どうにも背中がむず痒かった。修羅を経験したこの大男には一見似合わないのかもしれない、平和的で穏やかな一幕。
 つい数時間前の光景を思い出しながら、俺はもう一度話しかけた。

「……少し、意外だったんだ」
「何がだ」
「あの時の…セシルが倒れた時の、お前の目。お前にとって弟は全てだ。言っちゃあ悪いが、もっと…それこそ、取り乱してあの女に飛びかかるかと思った」
「……」
「だがお前はセシルを守る方を選んだ。あいつに駆け寄り、名前を呼ぶお前の目は死んでいなかった。正しい判断だったが、何故その判断を選べたのか、少し疑問が残っていた。だが今解決した…彼女がいたからなんだな」

 ゴルベーザが一旦うつむく。そうして、今一度アンヘルを見つめながら答えた。

「……おそらく…そう、なのだろう。彼女に出会わなかった私が、あの時どういった行動を取ったか、もはや知る術は無い」
「あぁ…」
「ただ……心変わりがあった。何があっても、自ら死を選ぶことは出来ないと…そして、未来を…諦めるべきではないと、思うようになった」
「あぁ、いいじゃないか」

 紫の瞳と目が合う。

「死なんてそれこそ一番の逃げ道だ。俺たちは最後まで足掻き尽くしてからじゃないとな」
「…そうだな」

 ゴルベーザが唇の端をわずかに上げた。そうして深く息をつく。
 と、その振動が伝わったのか、アンヘルが反応を示した。小さく呻き、もぞもぞと身体をよじる。ゴルベーザの腕が解放され、そいつは一度空中で手首を振った後、彼女の頭を撫でた。

「ん〜……」

 彼女が瞳を開く。その視界に一番に入ったのは俺だった。

「…!?えっ、あれっ?」

 がばりと身を起こし、それから隣のゴルベーザに気づいた。心底安堵してくたりと緊張を解き、ゴルベーザの方に寄っていく。ほとんど初対面の俺を警戒しているのだろう。

「起こしてしまったか」
「…ん…」
「この男はカインだ。セシルの友人で、私とも多少縁がある」
「よろしくな、アンヘル」
「う、うん…」

 もじもじと恥じる彼女は、確かに庇護欲をそそられる。このような可憐な少女に懐かれては、ゴルベーザの凝り固まった頬が緩むのも納得だ。
 生きる意味、守りたいもの。この男はきちんとそれを手にしていた。だから、この先も、心配ないだろう。

「アンヘル」
「な、なに…?」
「こいつが好きか?」
「!」

 彼女の表情が一変する。屈託の無い笑顔を作り、頬を色づかせて、間を置かず。

「うん、好き。大好き!」

 身を乗り出して、圧倒される程、真っ直ぐに言った。
 ……ん、待てよ、こちらの質問とは異なる意味の回答に聞こえたが、気のせいか?
 首を捻ると、そのままゴルベーザが紅潮して固まった姿が映る。気持ち悪いと思った。
 …まさか、お前たちはそういう関係だったのか?親子並に歳の離れたおっさんが、この子を?

「…ゴルベーザ…お前…」
「ま、待て、カイン」
「いや、人様の趣味に文句はつけんつもりだが、いや、へぇ、なるほどなるほど…信じ難いことが増えたな…」
「誤解だ、趣味などあるか…!彼女の人格の方が先だ…!」

 何だろうか、笑いすら込み上げてくる。いや、決して嘲る訳じゃない。だが少々異例すぎて、落ち着くには、まだ時間がかかりそうだ。
 それに。

「アンヘル、じゃあどれぐらい好きなんだ?教えてくれ」
「えっとね、世界でたった一人の特別な人だよ。そういう風に表現するって、ハルが教えてくれた」
「!?そなた、他の者にも口外したのか…!?」
「え、だって…聞かれたんだもの。嘘つきたくないよ…」
「し、しかし…」
「後ろ暗く思っていたのか?ひどい男だな」
「……」
「そうではない…!…カイン…後で話をしよう…」
「いやいや俺になすり付けるな。今のはお前が悪いだろう」

 こんなにもこいつを狼狽えさせる案件は後にも先にもこれだけに違いない。
 過ぎたこととはいえ、散々辛酸を嘗めさせられたんだ。他の仲間の分までまとめてしばらく報復してやろう。






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