歩幅

 忍の国の男から、遠回しに足が遅いと言われた。
 すると緑髪の召喚士が反論した。一番遅い自分に合わせてくれているのだと。
 それは集団行動の原則であるが、私は単に最後尾を位置取る程度の意識しか持ち合わせていなかった。正体を悟られる事態は絶対に避けなければならず、彼らとの接触は最低限に留め、互いの目的のために利用し合う。その心構えは始めから変わっていない。
 ドワーフ族の女も含めしばらく三人のやり取りが続いていたが、決着がついたらしい。忍が私を一度睨みつけてから背を見せ歩き出した。残りも倣ったが、召喚士は私と並ぶように移動し、こちらを向いて口を開いた。

「気遣ってくれてありがとう。あなたがいなかったら置いてかれちゃうところだった」
「……」
「あなたの後ろ、何だか歩きやすかったわ。不思議ね」

 召喚士が笑う。相槌を打つつもりはないが、聞いているという意思を込めてわずかに視線を送った。向こうも了承したようだった。
 一旦会話は終わったが、彼女はまだ何か言葉を探している。指を一本顎に添え、首をかしげる。
 そして得心がいったように、一度まばたきをして私を見上げた。

「そっか、いつもアンヘルと一緒にいるからね?」
「!」

 驚き、しかし同時にすぐ理解出来ていた。

「…そうだな」

 同意の返事をしていたことにまたわずかな動揺。召喚士は満足そうに微笑んでから、本来の位置、私の前面に戻っていった。
 ……アンヘル。
 ただ一言呼ぶだけで胸の奥が温まる名。彼女に関する"私"には黙り込む後ろめたさなどない。そのような自負が存在し、そして私はそれを肯定している。
 アンヘル、そなたが出自を打ち明けるその時まで、私は必ずそなたの同朋を守ってみせよう。こうして離れたうちは、幾度も記憶を呼び起こし、励みとしよう。
 あぁ…帰りを待っていてくれる者がいる…何と心強いことか。

*

 ハルに、アンヘルさんは足が速いですねって言われた。
 一緒に歩いてると離されそうになるって。ハルの方がずっと背が高いし足も長いのに、変だな、何でだろうって思ってた。
 それから別の日、洗濯物を持って二人で甲板に移動する時にハルの言葉を思い出して、速さを合わせるために窓に映るわたしたちを見つめていた。
 そうしたら、分かったの。どうしてわたしがこんなに急いで足を動かしているか。

「ハル、分かったよ。わたしの足が速い理由」
「え?」
「あの人に並ぶためなの。きっと、あの人もゆっくり歩いてくれているけど、やっぱりとっても大きいから」
「あぁ…なるほど」

 ハルが優しく笑ってくれた。あの人…セオドールのお話をすると、ハルはいつもこうやってうなずきながら聞いてくれる。わざと怖い顔を作ってほとんどしゃべらないあの人の本当の姿を信じる人が増えて、とても嬉しい。
 でも、前に"話す必要はない"って怒られちゃったから、今でもこうやって教えているのは二人だけの秘密なの。

「私も護衛の兵と行動することがありましたが…男性について旅をするのは大変だったでしょう?」
「うーん…他の人とたくさん歩いたことないし、きれいな景色に夢中だったから、あんまり分かんないなぁ。ねぇ、ハルはどんなところに行ったの?」
「私は…砂漠を越えただけですよ」
「えっ?砂漠って、砂ばかりで木も水もなくてとっても暑いところでしょう?ハルの方が大変だよ!」
「ふふ、私は砂の国の生まれですから」
「お話聞かせて!砂漠ってどれぐらい広いの?動物は住んでるの?」
「そうですね…」

 風で大きくはためくシーツを二人がかりで押さえて、ハルに洗濯ばさみで留めてもらって。
 こうやってお仕事をこなしながら、色んなことを勉強してきた。たくさんのシーツの干し方。野菜の皮を早く剥くこつ。けがが治るまで休んでいる人との話し方。"国"という大きな大きな集落の単位。わたしの知らない何もかも。
 ねぇセオドール。早くあなたに会いたいな。今日新しく覚えたことを、ううん、それだけじゃなくて、わたしのことは全部、あなたにも知っていてほしいから。
 それに…わたしと二人きりの時は、あなたは怖い顔をやめてくれる。皆の前にいるあなたは"セオドール"だってことを無理矢理忘れようとしているんだって、最近やっと分かった。そんなの、本当に忘れてしまうのは絶対にいや。だから毎日あなたの名前を呼んで、わたしにとってのあなたを思い出してもらいたいの。
 セオドール…わたし、ちゃんと待ってるから。けがしないで帰ってきてね。絶対だよ。






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