22.野盗

 街道脇で一泊し、翌日再び森の中に入り、異変はすぐに訪れた。アンヘルが先に気づき、遠くの木の根元を指差したことでゴルベーザも何か物影があることを知った。

「……あれ、人?」
「何?」
「倒れてる…?ねぇ、行ってみよう」
「う、うむ…警戒を怠るでないぞ」

 アンヘルがゴルベーザの腕を引くような形で先導して移動する。物影は旅人風情の男のようだった。木に背を預け、片膝を立てた状態で座り込み、深くうつむいている。右手は腹回りをかばうように置かれていた。

「もしかして、あの人けがしてるのかな…?」

 そう問われたが、ゴルベーザは答えることが出来ない。この森は獣に加え肉体を持たない類の魔物が多いようで、足を踏み入れた時からいくつもの曖昧な気配がそこら中にあったのだ。彼と思わしき者の息があるかすら判断がつかなかった。
 と、アンヘルの声に反応したのか、その人物がもぞりとかすかに動いた。

「…う、うぅ……」
「!」

 二人で同時に振り向く。低い呻き声は痛みから来るかのように掠れていて、しきりに腹をさすっていた。アンヘルの顔色が変わり、駆ける。

「大丈夫!?」
「っ、待て!」

 彼女を止められず、ゴルベーザも続いて動いた。彼女が木の前に到達し、男を覗き込む。その瞬間、男の気配が一変した。
 男は機敏に立ち上がり、アンヘルの肩を思いきり押しやって、体勢を崩した彼女をそのまま地面に縫いつけ背に跨った。隠し持っていた短刀をかざし、走り寄ろうとしていたゴルベーザを牽制する。

「動くな!」
「…っ!」

 ゴルベーザは一瞬だけ怯んだが、刃の切っ先がこちらに向いていることを確認してさらに一歩を出した。手の平に素早く魔力を集める。
 あとほんの少しだった。だがその前に新たな気配を察知する。彼の反射神経は己の身を守ることを選んでいた。
 無理矢理胴体を捻る。左の二の腕に奥まで貫くような鋭い痛み。赤い血が舞う。後方から放たれた矢が肉を深く裂き、反動でおかしな軌道を描いて吹っ飛んでいった。アンヘルの息を大きく吸い込む音がいやに耳についた。
 ゴルベーザは大きくよろめきながらも何とか留まり、男をすさまじい形相で睨みつけた。

「動いたてめェが悪いんだぜ。次は無いと思いな」
「く…」

 男がアンヘルの首筋に短刀を近づけて煽る。後ろの木の陰から弓を持った増援が二人、新たに姿を見せた。

「ここまで綺麗に引っかかってくれると演じ甲斐があったもんだぜ」
「け、けが…してないの…!?」
「そうだよォ?心配させちゃったねェ、お嬢ちゃん…くく」
「どうしてこんなこと…!?」
「おしゃべりはここまでだ」
「あう…!」

 男がアンヘルの背中に片膝を乗せ、体重をかけて黙らせた。間髪入れずにゴルベーザが叫ぶ。

「彼女に触れるな!」

 男は返事せず、ただ汚らしく笑いながら手元の刃を光らせた。
 奴らがアンヘルに危害を加えるつもりはないことは分かっている。口にするのも虫酸が走るが、彼女も盗品の一つと見ているはずだからだ。しかし、あそこまで密着されると魔法を放つことは出来ない。完全に手が出せなくなっていた。

「離して…!」
「おっと動くな。あのおっさんが死ぬことになるぜ」
「!!」

 アンヘルが青ざめた顔をゴルベーザに向ける。片腕から勢いよく血が流れ、敵意に満ちた眼差しを野盗に向けていた。魔物にも、そしてあの偏見を受けた村ですら表れなかった明確な怒り。アンヘルの胸の内がじくじくと熱くなっていく。
 初めての感情。だが、彼女はこの熱が心から発せられていることがまだ分からない。

「さて…今のうちにこっちの見積もりを終わらせるとするか」
「やめろ…!」
「どれどれ……おー、ガキかと思ったが丁度いい頃合いじゃねェか。こいつぁ相当の値がつくぜ」

 ゴルベーザが唇を噛み締めた。これ以上冷静さを欠いてはいけない。反撃の機会を耐えて待たなければいけない。奴らの命までもを奪わぬよう、加減しなければならない。何度も何度も言い聞かせる。
 しかし、もう一つの意識が叫ぶ。何故、容赦してやらなければいけないのだと。身体の内側を傷つける呪術なら、確実に標的を定め、一瞬でこの状態を打開出来るというのに。

(駄目だ…彼女の前で…そのようなことは……私は、もう…!)

 心臓が激しく暴れ始めていた。何かが頭の中で警鐘となってがんがんと不快に響き渡り、視界を揺らす。それに翻弄されるように、屈強な肉体までもがふらつき、彼は何度か地を踏みしめ、そこを見つめながら額に手をやっていた。

「やーっと毒が回ったか」
「毒!?い、いや…しっかりして…!」
「お、いいもん着けてんじゃねェか」
「やめて、返して!」

 彼に向けて伸ばした腕を捕らえられ、赤と透明の石が連なったブレスレットを抜き取られ、アンヘルがこれまでになく大きくもがく。彼はそれでも動けない。

「…なんだただの石か。ま、今回はこいつだけで十二分ってか」

 野盗はそう言い捨てて、ブレスレットを宙に放り投げる。アンヘルの両目が見開かれる。
 そして、それが草むらの中に消えたと同時に感情が爆発した。

「っ、エアロラッ!!」

 巻き起こる風の刃。彼女たちの周りに赤い軌跡が幾筋も舞う。一方の悲鳴は他方の絶叫にかき消され、血まみれになった野盗がアンヘルの背から退いて大きく悶えていた。彼女も顔を伏せたまま立った。
 ゴルベーザが気を取り戻す。アンヘルの身体に強い波動。彼の目にはそれが炎の色に映った。

「ならぬ!!」

 重い足を蹴り出し、彼女の腕をとにかく引いた。暴発する形となった魔力の塊が勢いをつけて爆ぜ、すかさずゴルベーザが身を呈して彼女を守る。再び絶叫。どうと地面に倒れ込む音が聞こえた。

「あ、ああアあああァっ!!」
「ぐ……っ、く…」

 アンヘルを解放し、鈍い歩みでのたうち回る野盗へ近づいた。一番性能の良いポーションの栓を開け、無造作に振りかける。声がいくらか収まってから、ゴルベーザは言った。

「今すぐ失せろ…二度と我らの前に現れるな!」

 それまで呆然と一部始終を眺めるだけだった仲間二人が弾かれたように駆け出した。傷を負った男を支え起こし、一目散に森の奥へ逃げていく。男の顔面の半分近くが炸裂した魔力をまともに受けて爛れ、また薬で中途半端に修復される様が目に入り、彼は思わず視線を外していた。
 その先に腰を抜かし、返り血を浴び、自身も風の刃で切り傷をいくつもつけられたアンヘルが力なく座り込んでいた。震える眼差しは彼を見つめているはずだが、虚ろに濁っている。その彼女を気遣う余裕は、今だけはどうしても持つことが出来なかった。
 あと一歩間違えれば、彼女は人を殺していたのだ。

「何故…何故とどめを刺そうとした!?無闇に命を奪ってはならぬと教えただろう!?」

 びくんと彼女の肩が大きく跳ねた。みるみるうちに瞳に涙が張る。

「……だって…だって、あの人たちは悪い人なんだよ…!?昨日会ったおじさんたちから荷物を盗んでけがさせて…さっきだってあなたを殺そうとした!悪いことしたなら倒さなきゃ、また他の人に同じことする!そんなのだめだよ!」
「…!!」

 ずぐ、と心臓が嫌な音を立てた。
 悪いことをすれば、倒されなければならない。悪い人。彼女が怒りを露わにした悪人とは、略奪を重ね、己の都合で他人をその手にかける者のこと。

(…私、は…!)

 今までずっと目を逸らし続けていた事実が今、何もかもを巻き込み途方もない大きさの凶器と化し、一気に彼に襲いかかる。
 "ゴルベーザ"こそ、彼女に憎まれるべき大悪人ではないか。
 足元の全てが崩壊していく思いがして、彼は耐えきれず、どさりと両膝をついていた。






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