19.誤解
アンヘルの寝顔にいくらか安心して息をつき、ゴルベーザは窓際に移動して外の様子を確認した。夜半を過ぎているにも関わらず、松明が灯され自警団の若者が行き来している。
日が傾き始めたと当時に到着したその小さな村は、異様な空気に包まれていた。門番らしき二人組に姿を認められるや否や声を荒げられ、隣のアンヘルが悲鳴を上げたことも相まって、ゴルベーザがはっきりと不快感を露わにした程だった。
双方頭を冷やして話を聞けば、このところ凶暴性を増した魔物の被害が深刻だという。普段は置かない門番を務めることになり、彼ら自警団には心身の負担が重なっているようだった。ゴルベーザの頭にこの村に滞在しない選択肢も浮かんだが、アンヘルを思えば自然と交渉を始めていた。
予想通り最初は歓迎を受けなかったが、アンヘルの白魔法を見たことで村人の態度は大きく軟化した。治療の代わりに食事と寝床を提供され、アンヘルは先程まで疲れた体に鞭打って対応に追われていた。
彼女は村の入り口で怒声と武器を向けられたことも、期待と、悪く表現すれば彼女を利用したい下心を持って迫られたことも上手く受け止めきれず、ふさぎ込んでしまっていた。ゴルベーザが白魔法の上達を褒めてやるとようやく笑顔を見せ、そのまま気を失うように眠りに落ちた。
(完全に判断を誤った…彼女の力が利用されることぐらい、考えれば分かったはずなのに…!)
休息を求めた結果より彼女を追い詰めてしまったと、彼は自身を責める。
(…いや、数日留まることが出来ればそれが最善だろう。怪我人の治療はあらかた終えた。明日私が魔物を討伐し、彼女は一日休養すればよい…)
気持ちを切り替え、ごきりと両肩を鳴らして窓に背を向けた。と、にわかに騒がしくなり、ゴルベーザは息を呑んで再び外を見やった。
(まさか…!)
松明の下に集まっていた団員が駆けていく。一人が家々に呼びかけて回っている。住人たちも顔を出し、村全体が厳戒態勢に入っていく様を目の当たりにして、彼はぎりと唇を噛んだ。
「……ん……どうしたの…?」
「!」
寝惚け眼を擦りながら、アンヘルが騒ぎに気づいて起き上がっていた。ゴルベーザは彼女と窓の向こうを素早く見比べ、小さく舌打ち。彼女も異変を察する。
「何かあったの…!?」
彼はベッドに近づき、アンヘルの両肩をぐっと掴んで言った。
「そなたはここにいろ、よいな!?」
そのまま部屋を飛び出す。残されたアンヘルは開かれたままの扉を呆然と見つめ、やがてはっと気を取り戻してふるふると首を振った。
「い、嫌だよ…!」
ベッドから降り、よろめきながらも走り出した。騒然とする薄暗い村から必死にゴルベーザの姿を探し回るが見つからない。何人もの男が次々と何かを言い合いながら追い抜いていく。誰にも目を留められず、彼女の胸は恐怖心に支配されていた。
「どこ…!?」
足がすくんでその場を見渡すことしか出来なくなっていた。じわ、と瞳が涙で濡れる。
その時、アンヘルの視界が一瞬で目が眩む程に明るくなった。全身の皮膚がかっと熱くなる。熱波が村中に広がっていた。入り口付近に炎の欠片が飛び散るのが見え、彼女は地を蹴った。
元の夜の暗がりに戻り、人に溢れるそこはぴんと空気が張り詰め静まり返っていた。アンヘルに気づき、数人が振り返る。その向こうの光景が視界に入った。
農具を構える住人たち。刃の先には、見たことのない強張った表情で独り静かに佇むゴルベーザ。
アンヘルは叫んでいた。
「やめて!!」
人を割って姿を現したアンヘルに、ゴルベーザの瞳が開かれる。飛び込んできた彼女に両腕を伸ばし、抱きとめていた。それから後ろに下がらせ、もう一度村人たちと対峙する。先に沈黙を破った。
「この村を襲えばどうなるか、魔物たちは学習しただろう。もう警戒を解いて構わん。…アンヘル、行こう」
彼女の手を取って、村の方へと歩み出す。刃先を向けられたが、止まらないままさらに続けた。
「荷ぐらいは取りに行かせてくれ」
「む、村も同じように荒らすつもりだろう!?」
「この娘に傷一つでもつければそうなるな」
「!!」
がしゃがしゃ。一斉に刃先が上を向き、村人たちは引きつった顔で道を空けた。ゴルベーザはそのまま黙って宿を目指す。彼と、後からわらわらとついてくる村人たちを何度も見比べるアンヘルを無視したまま。
宿屋の前に立っていた女性が戻ってきたゴルベーザたちを案じて寄ろうとする。しかし、後ろの自警団員がすかさず叫んだ。
「そいつに近づくな!」
「えっ!?」
「我々はすぐに出る。世話になった」
「い、今出るなんて…一体何があったんだい…!?あ、あんたたちも、お客にそんな物騒な物向けるんじゃないよ!」
始まった言い争いに目もくれず、ゴルベーザは宿泊部屋に入ってアンヘルの手を離し、二人分の荷物をまとめて取り上げた。すかさず彼女がまとわりついて疑問をぶつける。ひどく取り乱していた。
「どうして村の人たちに武器を向けられていたの!?あなたが魔物を倒したんでしょう!?それなのにどうして…!?」
「自分たちにも被害が及ぶと考えたのだろう」
「あ、あなたに助けてもらったのに…!?」
「戦いと無縁な者にとって、私のような術師は恐怖の対象でしかない。仕方のないことなのだ」
「でもっ!あなたがいなかったら、あの人たちまたけがしたかもしれないんだよ!?それなのに、ひどい…!」
「あぁ、だから、負傷者が出ずに済んだ。それで良い」
「でも…そんなの、おかしいよ…」
とうとうアンヘルは顔を両手で覆い、何度も喉を引きつらせて泣きじゃくり出してしまった。ゴルベーザはゆっくりと彼女に近づき、大きな手の平をそっと頭に乗せる。
この場には不釣り合いな、満たされた気分だった。
「…そなたは、私があの者たちに危害を加えると思ったか?」
ぶんぶんとアンヘルが必死に否定する。
「ありがとう…。アンヘル、今私は悲しくなどない。それは、そなたが私の真意を理解してくれているからだ。見ず知らずの者に何を言われようと、そなたがいる限り、私が心折れることはない。だから、泣かないでくれ」
「……」
「私が強がっていると思うか?」
今度はゆるく首が動く。
「うむ…さぁ行こう。もう少しだけ辛抱してくれ」
何かを切り出そうとした女性をすり抜け、睨みを利かせる自警団の間を通り、二人は大勢に見送られる形で村の敷地を踏み越えた。
ゴルベーザがアンヘルを窺う。ずっとうつむいたまま、彼本来の歩幅についていくようほとんど小走りになっていた。しかし、そのうち顔を上げたかと思うと、いきなり体を反転させて独り駆けた。
「アンヘル!?」
呼びかけにも応じず、彼女は彼と村人の中間で立ち止まり、胸の前でぐっと両拳を握った。そして。
「こ…この人は誰かを傷付けたりしないんだから!!」
精いっぱい声を張り上げ、それだけ言い捨てて、ゴルベーザの元に戻っていった。
再び満たされる心。彼は思わず口元を覆い、瞳の奥から込み上がるものを抑えようと瞼を下ろしていた。
*
村の明かりが見えなくなるまで黙って歩き続けていたゴルベーザがようやく止まった。隣を行くアンヘルはすっかり息が上がってしまっている。彼はアンヘルから荷物を奪い、そのままの流れで軽く身を屈めた。
「失礼する」
「え?きゃっ…」
膝裏に腕を差し入れ、丁寧に抱き上げた。一気に体が浮き上がり驚いたアンヘルは、普段よりずっと近くにある彼を困惑した表情で見上げる。
「一刻も早く休める場所を探さねばならぬ。悪いが堪えてくれ」
「え、えっと…わたしは嫌じゃないよ…。あなたこそ、重いし、大変なのに、ごめんなさい」
「重い…?これで重ければ、私は水の入った桶すら持てないことになる」
「そうなの…?」
ふ、とようやく纏う空気を和らげて、ゴルベーザが歩みを再開した。逞しい腕と胸板に支えられ、ゆらゆらと振動に包まれるアンヘルに眠気が襲いかかる。しかし、目の前が暗闇に染まることを恐れてぐずる赤子のように、彼女は必死になって額を胸に擦りつけた。
「どうした?」
「んん…」
「…アンヘル」
抱き寄せるように、両腕の力を強めて。
「先程、そなたがああ言ってくれて、私はこの上なく嬉しかったぞ…」
「…うん……わたしは…ちゃんと分かってるから…」
「あぁ…」
(そうだ…私の世界はもう…地獄ではない。そなたが私を見つめ、笑いかけてくれるから…)
思い出すのは悪夢の日々。世界でたった一人、理解を得たかった実の弟から憎しみの眼差しを向けられ、剣先を打ちつけ合う終わりのない罰。そして夢は、何度彼が叫び赦しを請うて狂おうとも、必ず漆黒の鎧に固められた他ならぬ己自身の手で、愛する弟を絞め殺して始めに巻き戻された。
満月の光が二人に降り注ぐ。ゴルベーザはおとなしくなったアンヘルを少しだけ見下ろし、それから足を速めた。
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