18.懸念

 手を繋いで行動することが多くなり、代わりに二人の会話は少しだけ減った。しかしそれは、心地よい沈黙というものを彼らが、特にアンヘルが知ったからだろう。
 旅の歩みは遅いながらも順調に進み、アンヘルの戦闘能力もめきめきと上がっていた。新しいロッドを買ってもらったおかげで、魔力を練り上げるために集中する時間がぐっと短縮されたのだ。道具に頼らない基礎の鍛錬を続けた効果は如実に表れ、バロンの軍人と肩を並べる程の実力に育ったとゴルベーザは見た。
 だが、彼には一つの懸念があった。アンヘルは強くなった。戦いへの恐怖も無くなった。そして、躊躇いも無い。魔物をその手に掛けることに何の信念や覚悟も持たず、ただ目の前に立ちはだかるから屠るだけ。
 本当に単純に、彼女は他者の命の重みについてまだ分かっていないのだ。彼女の精神はちぐはぐのままで、相手の気持ちを推し量る気遣いが出来ると同時に、幼子の邪気の無い残酷さが残っている。
 命と、それを奪う行為がどういうものなのか、ゴルベーザはその伝え方に悩んでいた。

*

 魔物の群れと交戦状態になっていたが、半数程を撃退したところで戦況が変わった。残りがゴルベーザたちと距離を取り、この場から離脱しようとしている。
 彼はそれを見て構えを解いた。が、後ろにいるアンヘルは詠唱に集中し、彼が戦いを止めたことに気づいていない。
 ゴルベーザが声を上げた。

「アンヘル、もうよい!」
「えっ!?」

 詠唱が中断され、半端に集まった魔力が風を起こしながら分散する。魔物はその隙に完全に背を向け逃げ去った。

「戦う意思を失くした者に追撃は不要だ」
「……」
「そなたの力は、己の身を守るためだけに使うのだ。よいな?」
「う、うん…」

 アンヘルは、ゴルベーザのやや強い声色から彼が機嫌を損ねたと受け取ったらしい。しゅんとうなだれ、黙ってしまった。彼が目を泳がせる。

「……その」
「上手く出来なくてごめんなさい…。次はあなたの役に立てるよう、もっと頑張るから」
「あ、あぁ。だが、それ程までに力むことはない」
「でも…」
「そなたの白魔法で私は十分過ぎる恩恵を受けている。怪我を負った時のために魔力を温存するのも立派な戦術だ。分かるな?」

 彼女がこくりと肯定の意を示し、ゴルベーザも胸を撫で下ろした。

「うむ…では行こう」

 そう言って手を差し出す。すると、アンヘルは何故か戸惑う様子を見せた。彼の手の平と顔を見比べてから、うつむいて小さな声で聞く。

「いいの…?」
「?無論だが?」
「ん…ありがとう…」

 ゴルベーザは気づかない。今、彼は初めて請われる前に腕を伸ばしたことを。伏せたその内で、彼女がまだ誰にも見せていない表情を作ったことを。

*

「ねぇ…どうして魔物は人間を襲うの?」

 それまで黙って歩いていたアンヘルが不意に口を開いた。ゴルベーザがわずかに唸る。

「難しい質問だな…。様々な理由があるだろう。縄張りを守るためだったり、狩りをしているのかもしれぬ」
「なわばり?」
「人が住居や塀を造って生活圏を主張するように、獣たちも何らかの方法でそれぞれの活動範囲を区切ると言われている」
「そうなんだ。でも…じゃあ、いつも皆戦っているの?」
「どうだろうな。同じ森で生きる者同士、上手く付き合っているのだろう。だが、我々人間は明らかに侵入者、ということだ」
「そっか…じゃあ、そういう魔物を殺すのはかわいそうだね。生きるためだもんね」
「あぁ。我々が去ればよい話だ」
「うん」

 ゴルベーザは握った手の力を少し強め、アンヘルにはっきりと意識させるよう続けた。

「だが、人に牙を向けた魔物は倒さねばならぬ。それが決まりだ」
「…誰が決めたの?」
「長い歴史の中で、人はそうやって生きてきたのだ。人間を襲うことを覚えた魔物を放っておけば、またたく間に蹂躙されてしまう。無論、他の獣も同じだがな」
「そう…分かった」

 アンヘルが前に向き直り、会話が途切れた。先程の内容を復習し、彼女なりにこれからどう振る舞うべきか思考を重ねているのだろう。ゴルベーザはその姿を見守るように、ゆっくりと彼女の歩調に合わせて進んでいった。






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