16.添寝

 町でテントを購入したおかげで、ゴルベーザたちの野営は以前と比較しようのない程快適になった。ゴルベーザがテントを組み立て結界を張る間にアンヘルが食事の支度を行う。役割を分担し、効率よく動けるようになった。
 ゴルベーザ以外の人間との交流の機会を持ったことで、アンヘルはこれまでとは違う成長を遂げたようだった。次の段階へ登ったと表現してもよいだろう。ゴルベーザへの確認を行わず、自身の判断のみで行動する場面が増えたように思う。

(やはり短時間でも一人にさせたことが効いたようだな…)

 彼女を教育し、成長を見守ることは研究者肌である彼にとって挑戦し甲斐のある事柄であった。そして、それ以上に彼女から贈られる温かな眼差し、無垢な言葉、教えを請う姿勢に、この星で存在を赦された気になった。事実、彼女を大切に思う感情は、比べるものでないにしても、彼と血を分けた実弟以上に心の内を占めていた。

(セシルと違い、彼女はまだ庇護の必要な幼子なのだ…当然だろう)

 ふと違和感を覚え、うつむいていたゴルベーザは眼前のたき火を見やる。何に納得がいかなかったのか。
 さらに思考を重ねようとしたその時。

「……スリプル!」
「!?」

 後頭部に柔らかな…例えば羽毛の詰まった枕で殴られたような衝撃が襲う。一瞬意識が揺れたが、ゴルベーザは慌てて両頬を手の平でべちりと叩いて眠気を追い払った。そして、やや凄みの効いた声で詠唱者を呼んだ。

「…アンヘル…何のつもりだ?」
「う…ご、ごめんなさい…」
「術を無闇に放ってはならぬことは分かるだろう…?試し撃ちのつもりだったならば、悪いが小言だぞ」

 テントの入り口から半分身を乗り出したアンヘルはすくみ上がっている。ゴルベーザがもう一度名を呼ぶ。すると。

「あの……あの…あ、あなたにちゃんと眠ってほしかったの…」
「何…?」
「だって、わたし、あなたが眠っているところ、一度も見たことない…!今日みたいに、ずっと起きて見張ってるんでしょう?」
「そんなことを考えていたのか…。心配無用だ。睡眠は取れている」
「でも、わたしより遅く寝て、わたしより早く起きて、それじゃ絶対足りないよ…!」

 めずらしく吊り眉になった彼女がテントから駆けた。たき火の前に腰掛けるゴルベーザの横に立ち、何を思ったのか彼の肩をぐいぐいと何度も押し始めた。

「今日はわたしが見張り、する!」
「落ち着きなさい…」
「あなたはテントで寝て…!」
「そなたがそのような真似をする必要は無い…!」
「あるよぉ…!」

 ゴルベーザを押しやろうと踏ん張り、そして息を上げたアンヘルが恨めしそうに見下ろす。やがて彼を動かすことは諦めたらしく、機嫌を損ねた表情のまま、隣にすとんと座り込んだ。

「…どうした?」
「あなたが寝るまでわたしも寝ない」
「身体を壊してしまうぞ」
「やっぱり、あなたも無理してるんじゃない」
「そうではなくてだな…」

 ゴルベーザが返答に詰まる。ここまで自己主張を続けるアンヘルは初めてだ。他意の無い上目遣いを向けられて、強引にテントの中へ連れ戻す気も起こらなくなってしまう。
 そのうち、見上げるのをやめ、アンヘルが静かに話し出した。

「わたし…あなたにどれだけ守ってもらっていたか、やっと分かったの。あなたはいつでもわたしをかばってくれて、わたしのために、色んなこと我慢して、わたしの代わりにやってくれているんでしょう?」
「それは…」
「わたし、あなたに教えてもらって、色んなこと出来るようになったし、考えられるようになったよ。だから、あなたの役に立ちたいの。今一番やりたいことだよ。ねぇ、だめ…?」

 力のこもった表情を見つめるうちに、初めて出会ったあの時の姿を思い出す。もう彼女はこの面影を残していない。

(そうか…分かった。彼女はとうに幼子ではなくなっていたのだな…)

 同時に、想われる喜びが湧き上がる。受け取るに値する人間なのかとわずかに自問しそうになるが、それより先に左手が伸びていた。
 そっとアンヘルの頭を撫でる。

「そなたの成長の早さに私は追いついていなかったようだ、すまぬ」
「う、うん…」
「私も休むとしよう」
「!」

 ゴルベーザの言葉を理解したアンヘルがぱっと瞳を輝かせた。火の始末をすると言って先に行かせ、作業に移る。結界を念入りに確認し終えてから彼女が待つテントの中に入った。
 挨拶を交わして横になる。ゴルベーザは仰向けの状態でほうと一息ついた。しかし。

「……」
「……」
「…そのように見つめられてはとても眠れんぞ」

 瞼を上げて隣を見れば、体ごとこちらを向いたアンヘルとしっかり目が合った。

「…だって」
「今宵はもう外へ出ぬ。だから、そなたも早く休みなさい」
「…ん…約束だよ…」

 寝息を立てるまで彼女を見守り、ゴルベーザはそこで気づいた。狭いテント内では間を空けず並ぶ必要があったが、今日は殊更距離が近い。身じろげば振動が伝わってしまいそうな程に。

(…潰してしまいそうだ)

 誇張でも何でもなく、寝返りをうてばそうなってしまうだろう。それだけ彼は屈強で、またアンヘルはか細い。
 彼女と旅を始めてから、ゴルベーザはそれまで彼を苦しめていた夢を見なくなった。彼女に気を払い、精神を張り詰めていたためだと考えていたが、全く別の理由だったとつい先日はっきり自覚した。
 孤独を和らげてくれたアンヘルの存在。冷たい機械の壁ではなく、確かに感じる小さな息づかい。彼女が彼にもたらしたものは数え切れず、また計り知れない。彼は何度も何度も感謝する。側にいてくれてありがとうと。
 そして、同時に痛みを知る。必ず訪れる別れ。彼女は良き思い出となり、この先戦いに身を投じる彼の最大の慰めとなるだろう。それを惜しいと思ってしまう傲慢さを理解し、しかし欲を否定してかき消すこともせずに認められた。それは他人を拒み続けた彼の確かな成長。
 だが、本当にそれだけか?この痛みは別れを憂う感情だけで構成されているのか?
 意識の深いところから浮き上がった問いを認識する前に、彼は静かな眠りへと誘われていった。






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