14.町並

 背中の真後ろに気配を感じるのは久々のことだった。

「…アンヘル、あまり握りしめると皺が出来てしまう」
「だ、だって…」

 ゴルベーザの背後から声がか細く上がる。彼らは…といってもアンヘルはゴルベーザに完全に隠れて見えないが、ようやく辿り着いた町の入り口で突っ立ち、通行人から視線を浴びていた。

「…人がたくさんいる…」
「これが当たり前の光景だ。さぁ行こう、何も怖いことはない」

 首元にわずかな圧迫感を受けながら、ゴルベーザは町の中心部を目指す。褐色の大男と線の細い少女。旅人自体はめずらしくないだろうが、それでも異色の組み合わせに誰もが一度は目で追いかけてくる。アンヘルの好奇心もすっかり鳴りを潜めていた。
 宿屋の看板を見つけ、ゴルベーザの足がそちらに向かう。目的地を定めた明確な歩みにアンヘルがとうとう口を開く。

「ど、どこ行くの?」
「宿だ。連日野営で疲れているだろう。今宵はベッドで眠れるぞ」
「…ん…」
「……それから、風呂も入れる」
「!!」

 喉にかかる力が強まり、ゴルベーザは首回りの布地をぐいと引いて元の位置に戻してから目的地の扉を開けた。
 部屋は十分空いていたが、彼は受付の主人を散々待たせて悩み、アンヘルのすがるような上目遣いに負けて二人部屋を選んだ。通された先で荷物を床に下ろし、大きく安堵の息をつく。外套を握る手もようやく離れてくれた。
 ベッドが二つ、机と椅子が一つずつだけの簡素な調度品。それでもアンヘルは興味深そうにぺたぺたと触って回っている。警戒心は解けたようだった。そのうち窓へと移動し、二階から見下ろす広場の景色に釘付けになった。

「わぁ…色んな人が歩いてる…。あ、ねぇ、ねぇ」
「どうした?」
「わたしやあなたって、いつかあんな人になるんだよね?」

 指差した先を見れば、老齢の男女が一組。街灯側のベンチに座って談笑している。ゴルベーザは思わず首をひねったが、どうやら彼女は単純に年齢を重ねると老いて外見があのように変わることを確認したいだけらしい。彼女が生きてきた世界の狭さを改めて痛感する。

「そうだな…」
「そっか。やっぱり、本に書いてあることはみんな正しいのね」
「いいや、そうとは限らぬ」
「え?」
「正しいこともあれば、間違ったこともある。それに、そなたの考えと異なる記述も多くあるだろう。本の中身に全て従う必要はない。これからは、そなたが自ら判断し、答えを出していきなさい」
「……」
「難しい言い方だったな、すまぬ。とにかく今は、出来るだけ多くに触れ、知ることだ」

 横に立ち、軽く頭を撫でた。アンヘルが小さくうなずく。

「さぁ、そなたは風呂に入るとよい。私は買い出しを済ませてくる」
「えっ!?わ、わたしも行く…!」
「疲れているだろう。設備の使い方を教えてもらうよう、話はつけておく」

 半ば強引に会話を打ち切り、ゴルベーザは彼女を連れて一階に下りた。まごつく彼女をこれまた何も言わせず女将に任せ、早々と宿を後にした。
 歩きながら考える。そのうち、自嘲じみた感情が込み上がってくる。

(あのような言葉…自らは実践出来なかったくせに、何を偉そうに)

 "声"を全ての正義、道しるべと思い込み、戻れないところまで突き進んでしまった過去。しかし、その過ちがあるからこそ、彼は今アンヘルという一人の少女を導く存在に成り変わった。そして、まだその事実に彼は気づいていない。

*

 ゴルベーザの読みは甘かった。
 アンヘルの引き取り手は見つからず、ことごとく不審な目を向けられ町の滞在に影響を与えかねない状況になっていた。誤魔化すように買い物を終わらせ、重い足取りで宿への道を進む。主人にも話を持ちかけようと思ったが、すぐに無駄だと撤回した。
 日は落ち、人通りはすっかり少なくなっていた。月明かりが美しい。アンヘルは無事湯浴みを終えられただろうか。女将との会話に支障は無かっただろうか。胸中は晴れない。
 階段を上り、そのままの流れで扉を開けた。途端、上半身に衝撃。頭からそれまで渦巻いていた思考が全て吹っ飛んだ。

「!?」

 何をされたのか理解するまでにたっぷり時間を要した。ゴルベーザは部屋に入るや否や、アンヘルにほとんど体当たりのような抱擁を食らっていた。にわかには信じられない行動力だった。

「アンヘル…!?」
「……」
「な、何があった?いや、その…まずは離れてくれぬか…?」
「………もう…帰ってこないかと…思った…」
「!!」

 小さな肩が震えている。ゴルベーザの心臓が意図せず熱を増した。

(……あぁ……)

 この震えを止めてやりたい。例えその役割を担う本来の人物が、自分でないとしても。

「……それは…すまなかった…」

 安心させてやるように、彼は彼女の頭を何度も撫でてやった。目が合う。

「風呂は問題なく入れたか?」
「うん…」
「他の者と会話は出来たか?」
「あのおばさんに、町のこと色々教えてもらったよ…明日、朝から広場で市をやるって」
「そうか。では行くことにしよう」

 ようやく彼女の表情が明るくなった。ゴルベーザは自然な動きで回されていた腕を解き、机の上に持っていた荷物を置いて言った。

「食事の用意が出来たと聞いている。冷めないうちにいただこう」
「うん。…あ、待って!わたし、また挨拶忘れてた」
「ん…?」

 ドアノブに手をかけたゴルベーザにアンヘルが駆け寄る。にこりと笑う。

「おかえりなさい」

 今度は両目が熱くなった。

「…あぁ…ただいま…」






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