13.感傷
新月。魔力が弱まるこの時期は、野営に殊更気を張る必要があった。ゴルベーザは結界の具合を改めて確かめ、眠気覚ましの薬草の煮出し汁をぐいと一飲みした。
隣のアンヘルに視線を移す。背を向け、じっと丸まっている。彼女の学習意欲は度を超さんばかりの勢いだった。ゴルベーザに認められ、褒めてもらうことを生きる意義と位置付けたのだろう。
"手を繋ぎたい"と言わなくなってどれだけ経っただろうか。彼女の瞳は常に新しいものを捉え、世界に対する疑問や感動が尽きることはない。それはゴルベーザも同じだった。彼も、彼女と共に新たな身に生まれ変わり、他者と育む絆を強く実感していた。
(このような安らかな気持ちを味わうことは、もう二度とあるまいと思っていた…)
アンヘルに笑顔を向けられると強張った顔の筋肉が緩むのが分かる。締まりのない表情になっているのだろう。彼女に対して、もはや親心に近しい感情が根付いたという自覚すら持っている。
(…だが)
忘れてはならない。この星に侵略の手が伸びているということを。その異変を察することが出来るのは彼だけだという現状に。本来、彼は独りでなければならない。
アンヘルは、じきに到着する町で放さなければならない。
(……)
認めたくない、小さな胸の痛み。
「……ん……」
不意にもぞもぞとアンヘルが身じろぎ、やがてゆっくりと起き上がった。
「どうした?眠れぬか?」
「……」
思いつめた眼差し。ゴルベーザの顔色が心配するものへと変わる。アンヘルが膝をついたまま、緩慢な動きで彼に寄った。
「アンヘル?具合が悪いのか?」
ふるふる。
「嫌な夢を見たのか?」
続けて首を振る。彼が途方に暮れようとしたその時、彼女はぽつりと呟いた。
「………お父さんは」
「ん…?」
「お父さんは…死んじゃったんだよね。もう、会えないんだよね」
(!)
「わたし、どうして……今まで…何にも思わなかったんだろう…」
「アンヘル…」
「もう、会えないのに…どうして…」
じわ、とアンヘルの瞳が濡れた。そのまま一粒静かに涙を零す。
ゴルベーザの左手は、無意識に、しかし自然と伸び、彼女の頭に置かれていた。彼女が両目を丸くして彼をじっと見つめる。
「自分を責める必要などない。そなたは何も悪くないのだ…」
「……」
「心の痛みは独りでは癒せぬ…そなたは痛みから身を守っただけにすぎぬ」
「……」
「…その、すまん。何の慰めにもなっておらぬな…」
首を振って、アンヘルが涙を拭う。頭を後ろから包むようにして撫でてやると、くしゃりと表情を崩した。
「家族を喪う悲しみは私もよく知っている。今は、泣きなさい…」
「っ…う、ううぅっ…!」
小さな嗚咽を繰り返して泣きじゃくるアンヘルに寄り添い、ゴルベーザはゆっくりと頭を撫で続けた。
*
「落ち着いたか?」
「うん…ありがとう…」
「礼に及ぶことなどしておらぬよ…。悲しむべき時に悲しみ、そして顔を上げて進まねばならぬ。出来るか?」
「…大丈夫」
アンヘルが涙声のままうなずいた。そしてゴルベーザに一歩近づき、何か伝えたい思いを含んだ瞳を向けた。それに引き寄せられるように、彼は再び腕を伸ばしていた。アンヘルが子猫のように両目を細め、嬉しげに撫でる手と戯れる。
ぎゅ、と胸が収縮する感覚があった。これが愛でるという感情なのだろう。
頭の動きに合わせて腕が左右へ揺れ、懐でかさりと何かが布に擦れた。ゴルベーザはそれで思い出す。あの孤島から唯一持ち出した彼女の所有物。
懐の奥に大切にしまい込んでいたそれを抜き取る。白黒の家族の写真。もう一度見やってから、そっと差し出した。
「…!!」
「家を出る時に拝借していた。そなたに返そう…」
受け取ったアンヘルが写真の中の両親と邂逅する。涙が張った。
「お父さん…お母さん…」
「……」
「……今のわたし、お母さんにそっくり。わたし、もう、こんなに大きくなっていたんだね…」
彼女の独り言に掛けてやる言葉も思いつかず、ゴルベーザは押し黙る。
「お父さん、ちゃんとお母さんに会えたかな…?」
「あぁ、きっと」
「ん…。写真、ありがとう。大切にするね」
まだ少し力の無い微笑み。今までのどの笑顔にも無い、切なさを孕んでいた。
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