9.星空

 魔術の指導が盛り上がり、いつしか日は傾き始めていた。ゴルベーザはそのまま木陰で一夜を明かすことを決め、準備を始めていた。
 荷を広げ、簡素な寝床を作る。魔導船とアンヘルの住居から備品を調達したため物資に困ることはない。とは言ってもさすがにテントまでは用意出来ず、雨風をしのげるそれを手に入れることが当面の目標になりそうだった。
 動き回るゴルベーザの姿を、ちょこんと座り込んだアンヘルが目で追っている。何をするべきか分からず、かといって彼から聞き出すこともしない。ゴルベーザも彼女を人手として認識していないようで、黙々と一人作業を進めた。
 火を起こし、その側で食事を取る。だがアンヘルは干し肉を頑なに拒み、少量の木の実と水だけで満足してしまった。少女一般の食事量も把握出来ず、ゴルベーザは彼女の主張に納得せざるを得ない状況だった。

(こうして黙っていると、やはり人形のようだ…)

 わずかだけ目線を下げ、炎を見つめるアンヘルに昼間の活動力は感じられない。興味の反応を示す際と、そうでない場合の差は大きかった。現に、野営の準備を始めてからの彼女の発言はほとんど無い。彼女に生への執着はまだ芽生えていないのだろうか。

(一日で変わるのは難しいことだ。せめて、町に到着するまでに変化があるとよいが…)

 食べ終えたゴルベーザが立ち上がり、後片付けに移る。アンヘルが彼を見上げるように顔を動かした。と、何かに気づく。

「あ…」
「どうした?」
「空…星がたくさん」

 天を指差す彼女を追って、ゴルベーザも空を見やる。満点の星空。瞬きを薄れさせる明かりは彼らの焚き火以外に無く、月光を以ってしてもその勢いは弱められていない。

「これもめずらしいか?」
「うん。あそこは木があったから、星がこんなにずっとたくさんあるの、分からなかった」
「そうか。…そなた、方角のことは知っているか?」
「えっと、北と、南と、東と、西の四つのこと?北が上だったら南は下で、東は右で、西は左だよ」
「あぁ、その通りだ。では、今この場の北はどちらだ?」
「ん…上…?」

 アンヘルが首をかしげ、真上を指した。ゴルベーザは彼女の隣に腰を下ろし、正しい方角を示す。

「こちらだ。向こうに一際大きな星があるだろう。あれが、北の目印なのだ」
「そうなんだ」
「あれは"導きの星"と呼ばれていて、常に北に存在する。世界は広大で、その位置を把握する術は限られている。覚えておきなさい」
「"導きの星"……本で読んだことある気がする…」
「そうか…そなたには本の知識があるのだったな」

 アンヘルはそのまま星に見入った。しかし、程なく再び声を上げた。

「ねぇ…月が一つしかないよ。二つあったよね?外の世界は一つだけなの?」
「いいや…元々は二つだった。だが…あの月は…この青き星から旅立ったのだ」

 言いながら、ゴルベーザは父の故郷を思い出していた。十数年前、悪しき月の民ゼムスと他ならぬ彼自身の手によって、青き星は滅亡の危機に瀕した。
 しかし、彼の弟とその仲間を始めとした数多の青き星の民が力を合わせ、野望は打ち砕かれた。ゴルベーザという罪を受け入れ、平和の証として、異人が眠る巨大な"船"は姿を消した。彼も、多くの同胞と共に果てしない旅へ臨むはずだった。
 しかし、それは一人の侵攻者によって妨げられた。薄緑色の髪をした侵攻者は幻獣神とクリスタルの力を奪い、その対である青き星のクリスタルの気配を追うと言った。彼の伯父が身を挺して彼を逃がし、結果、罪人は生まれた地を再び踏んだ。

「じゃあ…月の民はもういないの?」
(!)
「クルーヤおじさんも行っちゃったのかな…。もう一度会いたかったなぁ」
「その…クルーヤという人物は、どういう者だったのだ?」
「え?えっと、お父さんの友達だよ。お父さんと一緒にこの星に来たんだって。いつもわたしに本とお菓子をくれた。わたし、クルーヤおじさんと友達になりたかったけど、お父さんにだめって怒られたから無理だったの」
「そうか…」

 ふあ、とアンヘルが欠伸し、目をこすった。休むよう促してやると素直に従い横になる。ほとんど閉じかけた両目がゴルベーザをまだ見つめている。彼女はゆっくりとした口調で呟いた。

「あのね、わたし、あなたと友達になれて…嬉しい。明日になったら…手、つないでくれる…?」

 彼女の瞳が完全に閉じた。程なく小さな寝息を立て始める。
 また新たな情報が手に入った。彼女はゴルベーザと同じく、二つの民の血を引く者だった。

(おそらく彼女の父は、父さんよりずっと早くこの地で伴侶を得て、あの孤島に家族で定住していたのだろう)

 月の民が青き星の民と比べ、長命であることは伯父から聞いて知っている。クルーヤが月を発ち、妻と出会い、彼を授かるまでの長い空白が少しずつ埋まっていく。

(嬉しい、か…きっと、私もそうだ。この地で同胞に出会えるとは…。だからこそ、必ず守ってみせる)

 生きる目的を見出すことの尊さは計り知れない。罪にまみれたこの手でも出来ることがあった。アンヘルと出会ってまだたったの二日。それでも、彼の中で彼女の存在はすでに大きなものへとなっていた。






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