First sunrise

「起きてーゴルベーザー……起きなさーい」
「………何用だ…?」

 頬をはたく衝撃に耐えきれなくなり、ゴルベーザは瞼を開ける。真っ暗な室内。真横でエルダが片肘をつき寝そべりながら彼を見下ろしている。共に寝入ってから数時間も経っていないはずだが。
 地を這う低音を意に介さず、彼女の唇はにいと弧を描いた。

「向こうのカーテン開けてきて」
「自分で行けばよかろう…」
「あ?」
「……」
「ぎゃっ、こっちまでシーツめくんないでよ、寒い!」
「知ったことか」

 髪を整えるように撫でつけながらゴルベーザが歩む。彼女の望み通り、大きな窓に備えられた厚いカーテンを一気に開く。外界もまだかろうじて夜、といった時刻である。

「満足か」
「ンフフ、ご苦労様。おいで」

 あっさり労われ、彼は肩透かしを食う面持ちとなり、窓の外を一瞥してからベッドへ戻った。自分の後ろ側へ回れと叱られ、せめてもの腹いせに彼女を束縛して暖を取る。二人とも何も纏っていないのだ。すぐに冷えるがすぐに温まる。

「わざわざこの部屋を指定して何事かと思っていたが…答え合わせを期待してよいのだろうな?」
「アナタ、本当に分かってないの?まーあと少しで答えが出てくるから待ちなさいよ」

 小さなため息。エルダに倣い、黙って窓を見守る。世界が眼下に広がると視認出来る。すなわち、東の果てに明かりが灯り、全てが微かに色づく。山々の合間から光が溢れる。
 夜明けが始まった。

(…あぁ)

 ゴルベーザが思い至る。暦が一巡した、一度目の日の出だと。
 まだ何も語らないまま、二人が意外とせっかちに上昇していく朝日を見つめている。いつの間にか直視出来ない程力をつけたそれに目を霞め、ぱちぱちとまばたきをしてからエルダが伸びた。

「んーっ、いい眺めだったわ。下に街でもあればもっと面白かったんでしょうけどねぇ」
「……」
「何よ、起きて良かったでしょう」
「そなたは」
「んー?」
「そなたは…存外…"人"が好きなのだな」
「何それ」
「魔族に暦の概念は浸透していないだろう。そなたの元を離れていた時に知ったが…本来魔族は人間と一切関わろうとせぬ」
「はぁー…新年早々地雷ぶっ込むのやめてくれる?私はアナタの家出をまだ許してないんだから」
「…すまぬ」

 逃げられないように、そして縋るように抱きしめられ、エルダは半ば呆れて息をついた。
 彼女たちは奇妙な間柄だった。
 初めは、野垂れ死にを待つ少年を拾って所有者と所有物になった。次に彼女は少年の魔導の才を見抜き、師匠と弟子になった。少年がすっかり青年へ成長した頃、彼は突如行方をくらまし赤の他人になった。青年が丈夫へと変貌し舞い戻り、何度も生命の危機に瀕しながらも遂に彼女を口説き落とし、恋人となって今に至る。彼女は頑として愛人でしかないと主張するが。
 出会いの日から今日まで彼女の風貌は一切変わっていない。そして一貫して"魔女"を自称し、人間とまるで同じ姿をしながら人間とはほんのわずかしか関りを持たず、魔族とそれなりに交流して生きていた。だからゴルベーザは彼女を"変わり者の魔族"と認識しているが、やはり彼女は"魔女"以外の呼称を決して許さない。

(…私は…彼女のことを何も知らんのだな…)

 これまでは、知らないことは大した問題ではなかった。彼女はただただ惚れた女であり、そもそも何かに分類されるような常人ではない。しかし、これからは。

「…そなたをもっと知りたい」
「何よ突然」
「本年の抱負といったところだ」
「あら、それは殊勝ね」

 ゴルベーザがシーツの中に潜り込み、エルダの白い背に口づけを落とす。笑い声が上がった。

「じゃ、どこにキスされるのがいいか探してごらんなさいよ」
「よかろう」

 背に、腰に。少し上へ移動して、肩口、二の腕、手の甲、指先。それからシーツを剥ぎ。外を眺めて横向きになっていた彼女を正面へ返し、額、頬、耳。唇を這わせない側は手で撫でることを忘れずに、首へ、鎖骨へ、胸元へ、腹へ、腿へ、脛へ、足の甲へ、爪先へ。
 戻って彼女の瞳と対峙すれば、分かりやすく上機嫌に、朝日を受けて煌めいている。どくんと胸が高鳴り、口内が急激に湿った。思わず喉を鳴らして飲み込んでしまう。

(そう、か…)

 尊大な態度と、"愛人"という単語にある種の甘えを抱いていたとゴルベーザは気づく。
 彼女は彼を弄び、快楽のために身体を重ね、それでも彼が誠実に情を示しさえすれば、いつだってこの瞳で見つめ返してきたではないか。
 惚れられている。
 全身が粟立つ。通じ合っていると初めて知ったのは今でないはずなのに、何故胸が張り裂ける思いを今味わっているのだろうか。

「…で?どこか分かったの?」

 ゴルベーザが動いた。大きな大きな手を広げ、どこも動かないように顎元から包み、赤い唇を食らう。

「…フフ、やるじゃな……!?」

 次は舌を差し入れて、貪り尽くすように。驚いて抗議せんとする右手を素早く掴み、ベッドに縫い付けた。

「んっ…ちょっ…」
「……っは」

 もがいてあちこち角度を変えるその仕草がかえって刺激の種類を増やし、エルダが焦りを覚えた時にはもう、彼は深くまで侵入していて。鼻へ抜ける嬌声が自らの耳に入り、心臓がきゅうと音を立てていた。

(あ、やば…)
「……っ……んふ…ぁ…」
「………エルダ」
「ちょ、や、ムリ…」
「愛している」
「っ!んむっ……んーっ、んんんぅ…!」

 激しく吸い上げられ、鼓動が不規則に跳ね続けている。暴れる気力も溶かされて、押さえられていた手を解放され、たまらず彼の頭をかき抱く。いくらか紳士的になった彼の舌に、今度は自らの意思で絡めれば、じわりと下腹部が熱くなった。

「…ん……ん…」
「……っふ…」

 どれだけ耽っていたのか。エルダの口の端から透明な雫が流れ落ち、ぴちゃりと厭らしい音を残して、ようやく彼らは繋がりを断った。肩で息を継ぐ彼女は涙すら浮かべている。ゴルベーザは思わずそれを舐め取っていた。

「っ……はぁ…長すぎ…」
「…エルダ…」
「ん…?」
「今…とても…晴れた気分だ」
「……」
「文字通り…霧が…消え去ったような…」
「そう…ならいいんじゃない?」

 エルダが催促し、ゴルベーザに支えられて起き上がる。

「私もアナタの晴れた顔、久しぶりに見た気がするわ」

 そう言って一呼吸。

「ま、今年もよろしく」
「あぁ」
「……で」
「?」
「さっきの回答、まだちゃんと聞いてない」

 ゴルベーザが両目を開く。それから、眉間の皺を大きく和らげた。
 ちゅ、と、大の大人たちにしては子どもじみた合図。

「…大正解。ご褒美はさっきあげすぎたから、差額をもらうわ」
「何なりと」
「とりあえずもう一回寝て、起きたら早速宴会よ」

 ぱちんとエルダが指を鳴らせば、見えない力でカーテンは引かれ、部屋は夜をやり直そうと影一色となった。






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