まどろみへ向かう

 不意に身震いがして、どこかへ飛んでいた思考が多少再開する。さっき拭いてもらったところから冷えてきたみたいだ。
 そして喉の渇きを思い出し、横たわったまま、隣のカインさんをゆるく見上げた。彼がすぐに気づく。

「ん?」
「…お水…欲しいです」
「あぁ、待ってろ」

 ぎし、とベッドの縁が軋む。半身に纏わせていたシーツを私にかけてから、薄暗闇を歩む。戻ってきた彼に支えてもらうまで身動きする気力も湧かず、腕の温もりに促されたところでようやくグラスを受け取った。

「……ん、もうだいじょぶです」

 残った水を一飲みし、グラスを元の場所へ返し、毛布を広げ、カインさんが私のすぐそばに寝そべった。片肘を立てて頬杖をつき、まだ黙ったまま私を眺めている。
 結び紐から解放された金の髪が、鍛え上げられた胸板へと流れ落ちていく。
 やがて体に沿わせていた反対の手で私を撫で始め、口を開いた。

「良かったか?」
「…毎回聞きますね」
「毎回聞きたい」
「カインさんは言わないのに?」
「聞かれていないぞ?」
「もー、ずるいなぁ」

 髪から頭、頭から皮膚。撫でる場所が内へと近づき、胸の奥が唐突に跳ねる。少し前まで私を組み敷いていた彼の映像がカインさんと重なって、ついでにその映像の指が私の背をすべる。思わず腰を突き出して逃げた。

「それで?」
「毎回一緒ですよ…ていうか、だんだん…」
「ん?」
「だんだん…あー……すごくなるというか…」
「フ、そうか」

 ちょっとしたふくれっ面になって視線を逸らせば、次は労うような手つきになった。

「で、カインさんは?」
「俺か?そうだな…」

 少しの沈黙。
 時計の針がこちこちと響いている。カインさんの呼吸までもが耳に届く。長くて、深くて、私をこの時刻の本来あるべき姿へ誘うような音。
 わずかに目を泳がせていた彼が再び向き直った。あの陽の光を丸ごと反射して煌めくようなそれではなく、暗がりの中で昼間の残り香の如く発光する青紫の瞳。一日のうちにこんなにも変化するものなんだなぁと、感心すら覚えて魅入ってしまう。

「満足しているのは当然として…何と言うんだろうな……満たされる容量というものが、お前を抱く度に増えるように思える」
「……」
「もっと具体的な方がいいか?」
「…いえ、十二分です…」

 もう寒くなくなったのに、ぞわぞわと、もはや痺れと言っていい程の震えが脳から手足の先へと走っていった。
 青紫が揺らめく。頭を包んでいた手が頬へと移る。二本の指の腹で線を引かれ、息が詰まった。

「っ…」

 この人の眼差しが…これまで、届かない人にしか向けられてこなかったことを、嬉しく思ってしまった。
 あぁ、なんてことを。……ただ、もう…これを独占欲と呼んでしまって片付けてしまいたい。

「何か言いたげだな」
「………あなたに好いてもらって幸せだなって」
「そうか、俺もだ」

 指がさらに下り、顎まで到達する。力を込められるままに従って角度を変える。カインさんが動く。淡い二つの光が近づいてくる。
 私は惜しくなって、ぎりぎりまでその光を見つめてから瞼を下ろす。ほとんど同時に唇に熱が灯った。
 ぱちぱちとまばたき。ほんのわずかな距離の先に、カインさんがいる。私だけのために。そして彼自身のために。

「…俺もだ」

 彼らしい、眉根を寄せてやっと作れた微笑み。だけど、そこにはぽつりと一点寂しさが混ざり込んでいて、私は前置きもなく、この先私がこんな顔をさせては駄目なんだと悟っていた。

「ありがとうございます、カインさん」
「うん?」

 一度首を振れば、それ以上は追求されなかった。

「ふわぁ…」
「寝るか」
「ふぁい……ねぇカインさん、明日も講習会やるんですか…?」
「だろうな。最低限の品格までまだまだと言っていたからな」
「んん〜じいやさんひどい…」
「仕込むだけの素質があるってことだろう。それに服も届いたからやる気も……あぁ…」
「何です?」
「秘密にするんだった…」
「アハハ…知ってても驚く自信があるから大丈夫ですよ」

 しばらく笑った後、どちらともなく手を取り合う。肘を曲げて、二人の間へ。私は仰向けで首を傾け、カインさんは体ごとこちらに。

「じゃあ、おやすみなさい…」
「おやすみ、エルダ」

 いくつもの心地良さに導かれ、私の意識はあっという間に溶けていった。






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