奇縁

「はあっ、はあっ、はあっ…!」

 どうしよう、どうすればいいの。
 皆死んでしまった。いや、かろうじて生きているのかもしれないけれど、とても救護には向かえない。
 五体いる魔物は全員私を狙っている。この杖に宿した防衛魔法が解けたら…一斉に襲われてしまう。
 どうすれば、どうすれば…!?

「……あっ!?」

 身を包んでいた淡い光が引いていた。あまりに動揺しすぎて魔法を維持することが出来ていなかった。当然だ、全身がひどく震え、まともに杖を握れてすらいないのだから。
 魔物がおぞましい声で鳴き、距離をつめてくる。それに合わさる私の鼓動。歯が細かくぶつかる。嫌だ、まだ死にたくない。嫌だ、嫌だ…っ!
 精一杯の気力を振り絞り、もう一度呪文を唱えようと杖を掲げた。同時に、両の瞳をきつくきつく閉じた。
 たくさんの音が次々と耳に入っていた。ざざざ、草が騒いでいる。風を切る。重い斬撃。汚い悲鳴。足音がいくつもいくつも。
 ごつ、と後頭部に鈍い痛み。やがて痛み以外の全てが消えていく。

「………え……?」

 おしまいに聞こえたのは、自分の間抜けな短い呟き。……生きている…恐る恐る、まぶたを上げた。
 真後ろに倒れ込んだ私をじっと見据えていたのは新手だった。

「…!!?」

 逆光で陰った顔面。広い広い肩幅。黒い布を首回りに纏っただけの姿。おさまっていたはずの震えがよみがえる。何が起こっていたのか一切が分からないが、やはり私は叫ぶことすら許されず、黙って殺されてしまうのか。

「……大丈夫か?」
「う、うあああぁ!!」
「っ」

 あぁ、意外とこんな時でも実際は声を出せるものだ、などと思っていた。それは、最後の抵抗で薙いだ杖先が相手の頭に命中し怯ませられたからだった。

「あああぁっ!」
「落ち着け、魔物は退けた……落ち着け」
「あっ……あ、あ……?」

 聞こえていたのは人間の言葉。私を上から覗き込んでいるこの人は人間…?
 ぜいぜいと肩で息をする私を、人間…と思われる男の人はそれ以上喋らず見下ろしている。やがて真っ白に爆ぜていた視界が戻り、呼吸も少しずつ平静さを取り戻していた。

「…起こすぞ」

 そう言われ、背に手が回った。力の入らない身体。背中の温もりが、それを通り越して熱く感じられていた。

「怪我は?」
「…し…してます、けど…多分…大丈夫です…」

 ようやく会話を成立させることが出来て、私は安堵のため息を大きくついていた。そうしてゆっくりゆっくり顔を上げ、助けてくれたこの人を視界に入れた。

「…!」

 息が事の始めと同じように止まり、びし、と全身に電流が走っていた。
 え、え、ちょっと待って、私、この状況で、今この人のことかっこいいなんて思ってるの?ちょっと、これはまずい、いやまずくはないけど、あぁ、うわ…。
 白銀の髪は乱暴にかき上げられ、彫りの深い造形は一見すれば恐ろしいけれど、よくよく見なくても男らしくて均整が取れていて、一部に刺さる渋さだった。傭兵でもなかなか目にかからない程の筋肉…は何故か鎧で守られることはなく堂々と晒されていて。
 彼は私の意識がはっきりしたことを確認し、立ち上がって歩いていった。…下も…何かこう…巻いてるだけというか…そのマントをもう少し有効活用しては、と考えてしまうのは…生命の危機に瀕して思考回路がある種の凍結状態になっているからだろうか。
 彼は少し離れたところで再び屈み込む。それは無惨に転がる仲間だった。吐き気がよみがえったが、私は口をつぐんで耐え、彼の元に急いだ。

「…すまぬ、間に合わなかった」
「いえ…あなたが謝ることじゃないです。私を助けて下さって、ありがとうございます…」
「……」
「図々しいお願いですが…手伝っていただけませんか?」
「あぁ。…火で弔っても?」
「そうですね…お祈りはしますけど…残さない方が良さそうですね…」

*

 金属製の装備を剥がし、安らかに眠れるよう祈りの言葉を捧げ、場を整え、彼は火の魔法を放った。容赦のない、引導を渡す勢い。中途半端に燃え残ることはなさそうで、何だか涙も出なかった。
 街のギルドで出会った仲間たち。そこまで深い付き合いではなかったけれど、それでも命を預け合う信頼関係だった。力が及ばなくてごめんなさい。私だけ生き残ってごめんなさい。私は…私はまた進みます。そう心の中で一方的に語りかけた。
 それから私は彼に向かって言った。

「本当にありがとうございました。彼らも黄泉返りにならずに済んで、救われたと思います」
「…そなたはどうする?」
「街に戻ってギルドに報告して…遺品も届けます。それから…あなたについていきます」
「……は?」
「あ、あれっ、口に出しちゃいました?もう少し段階を踏んでから言うつもりだったんですけど」
「……」

 彼はすさまじい形相で睨んできたが、私は怯まない。度胸には自信があった。

「とりあえず!街まで一緒に来てもらえませんか?事情を説明しなきゃだし、遺品三人分運ぶのもけっこう大変だし、報酬もたくさん払いますから!」
「…ことわ」
「あなたあれでしょ、商人から逃げてきたんでしょ!?じゃなきゃそんなみすぼらしい格好してる訳ないですもの!」
「……」
「帰る家があるなら協力します!無いなら色々口添えします!だから、ねっ、私も独りじゃこの先やっていけないんですよぉ…!」
「ギルドとやらで新たに募ればいいだろう」
「一人生き残った者がどんな扱いされるかご存知ないんですか?……あぁ、えっと、長かったんですね、その……と、とにかくほら、あなたも一人じゃやっていけないですよ、このままじゃ!」
「要らぬ世話だ」
「そんな姿で単身街に入ろうものなら良くても職務質問からの拘束ですよ!…何だか訳ありみたいですし、今後前科がついて支障が出るのは困るのでは…?」

 私が返す度に彼の表情は険しくなる。あと一押し…のような気がする。
 期待と不安とその他諸々で、私の心臓は早鐘を打ちっぱなしだ。この恩人を、腕の立つ人材を、助力なしでは社会復帰出来なさそうな元奴隷を、こんなに逞しい男を、手放したくない。
 仲間を喪ったばかりの私は、それでも強かで現実的な冒険者だった。

「ね、ね、これも何かの縁ですし、手を組みましょう?私、こう見えても白魔道士なんです。絶対お役に立ちますから」
「…間に合っている」
「そうですか、街までの護衛も頼めませんか。じゃあ私はまた魔物に襲われて死んじゃいますね」
「…そなた…」
「厚かましいって?分かってますよ。でも一人じゃここを抜けることも出来ないのが現実なんです。私は生き延びたいんです、命を失わなかったからには、何としても」
「……」
「ごめんなさい、もう一度改めて依頼します。街までの護衛と彼らの遺品の運搬を引き受けてくれませんか?代金は…今はこれだけしか渡せませんけれど…」

 懐から非常用の蓄えを取り出し、露わな胸元へと差し出した。彼の背丈が大きすぎて、ここまでしか持っていけないのだ。彼は腕を組み、厳しい目つきで私を睨み続けている。
 あぁ本当…これが防衛本能に基づく感情であっても…後で悔やんだりしないでしょう。
 彼は長い間黙り込んだ末に、硬貨袋を押し返す形でやっと反応を示した。

「金は要していない。街に着いたら私を解放しろ、それが条件だ」
「…その前に世間の常識を教えて差し上げますよ」

 へら、と笑いかければそっけなく背を向ける。異様で、単純で、純真な人だと思った。街について、ギルドを訪れて、その館を出るまでに、丸め込める確信しかない。

「ありがとうございます。…あぁそうだ、名乗るのが遅くなりましたね。私、エルダっていいます。あなたは?」
「無い」
「えっ?そ、そんな、物心ついた頃から………大丈夫、私が責任持ってあなたの助けになりますから!何でも聞いて下さい!」
「…そなた、何か思い違いをしていないか?」
「名前も考えてあげますからね!」

 これが彼との出会いのお話。それ以外のお話は…まぁ、またいつか。





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ブラストさんよりいただきました、「FF4TAでゴルベーザが地上に戻ってきたとき、たまたま彼を見かけた女性が一目ぼれをし、勝手に旅についていくお話」でした。
リクエストありがとうございました。




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