その娘への接触は最小限に留めよ

 うつらうつらと船を漕いでいた私の意識を覚醒させたのは本隊の帰還を知らせる館内放送だった。

「はっ!?寝てた!?」

 膝の上にあった甲冑の膝当てが転げ落ちそうになり、私の眠気は一瞬で去る。手の内と空中を何度か行き来するそれを何とか抱きしめ、ついでに頬ずり。

「はぁ〜、せっかく綺麗にしたのに落としたら大変…」

 膝当てを作業机に置き、磨き布を元の場所に戻し、愛用の工具箱を提げ、私は駆けた。
 私は鎧専門の整備士。偉大な師匠が遺した逸品たちを守りながら細々と活動していたが、ある時一人の人間が師匠の工房を訪れ生活が一変した。
 その彼の名はゴルベーザ。人間でありながら師匠から鎧を与えられ、魔族を次々と配下に加え勢力を広げている魔道士だ。
 そう、彼は師匠が最期に産み出した子の所有者。私も惚れ込んだその子が、おまけ付きとはいえ私の元に帰ってくるなんて!再び離れるには名残惜しすぎて、私はその所有者の一派に連なる道を選んでいた。

「おっかえりなさーい!」

 高らかに声を上げて扉を開け放った。兜を外したゴルベーザ様と、執事らしき男が同時に私に向く。何やら小声で囁き合っているようだがその内容に興味は無い。私が確認したいのは可愛いあの子が元気かどうかだけ!

「んんんんー、今回も傷一つ無し!本当にあなたは優秀ねぇ〜。でもたまにはボロッボロになってもいいのよ〜私が治してあげるからねぇ〜」
「……我が主。この娘、無礼にも程がありませんか?裂きましょうか?」
「私に話しているのではない。無礼に違いないがな…放っておけ」

 上半身のチェックが終わり、下半身に移ろうとしたが、ゴルベーザ様が歩き出してしまった。私は追いかけながら口を開く。

「あーん、もう動かないで下さいよ。ていうか早く全部脱いでその子を渡して下さーい」
「毎度毎度五月蠅い女だ。呼ぶまで下がっていろ」
「何週間も離れていたんですよ!その間ほとんど着けっぱなしだったんでしょう?一刻も早くお手入れすべきです!さぁ脱いで!ほら脱いで!」
「…下がれ」

 これまでと全く違う調子の一言に、ぞわ、と全身の毛が逆立った。ここまで怒らせてしまったら従う他ない。私はぶうと不満を露わにしつつも彼らから距離を置き、適当な椅子におとなしく納まった。

「一度矯正にかけるべきではありませんか?」
「あやつは代えが利かぬ。羽虫とでも思っておけ。どうせ向こうも同じように見ている」
「わ、我が主を虫と…!?」
「よいか。ああいった職人の類を圧するのは悪手と心得よ。あれらの価値は己の意図を反映させることではない。こちらが望む質の品を造り出せるか、その一点のみだ」
「……は、おっしゃる通りでございます」

 ゴルベーザ様と執事の会話を何となく耳に入れながら、手にした杖をくるくると遊ぶ。これは私の最も重要な商売道具。私の一番の役目は鎧に術式を定着させること。こうすることで鎧は魔力を帯び、黒魔法や状態異常への耐性はもちろん、着用者や周りの魔力を吸収して行う自己修復機能すら備わるのだ。
 師匠が命を賭して完成させた漆黒の最高傑作。自然と私の術式も過去最高の規模になった。何だかんだあって、こうしていつでも触れられるところに帰ってきてくれたんだもの。常に撫で回して素材と術式の完璧な馴染み具合を確かめていたいってのが親心ってものよ!
 はぁ、ホント、我ながら良い仕事をしたわ。装飾に沿って式を貼り付けたのを気に入ってくれたみたいだし、修復能力も十二分に発揮されているみたいね。じっとしているのももちろん素敵だけど、ああやって動き回る姿を見られるなんて、また違った魅力を発見しちゃった…。
 そうよね…こうして目の当たりにすると、動いている方がよりあの子が映えるのを認めざるを得ないわね…。でもそれって、必ず他人を頼る必要があるってことよね。うーん、癪といえば癪だわ…中に誰もいなくても動けるよう、新しい式を開発するべきかしら…。
 くるくる、くるくる。いわゆる樹の枝で作るワンドと同程度の長さの私の杖。本来は汎用的なものを数振り持つのだけど、これはあの漆黒の子専用に、同じ素材で拵えたものだ。おそらくそれが原因だと思うけど、さっきから杖の先がぼんやり光を灯している。あの子が何か言いたいのかしら。あの子と意思疎通が図れる域まで私が至ろうというのかしら。
 杖の光に耳を傾ける。残念ながら声は聞こえない。私は首を左に折った姿勢のまま、目線を漆黒の子へ向けた。

「―――、――――」
「―――――、―――…」

 まだ終わらない会話。それに合わせてゴルベーザ様の腕が上がり、指が動く。

「…ん?」

 その挙動に違和感。私は目をこらし、観察を続ける。…間違いない。左の籠手が右と比べて明らかにぎこちない。杖をもう一度凝視。淡く点滅する光。
 あぁ分かった、私、あなたの伝えたいことが分かったわ!至っちゃったわ!
 勢いよく席を立てば、多少驚いた様子のゴルベーザ様と目が合った。執事が離れていく。私を呼び立てるタイミングと、私の立ち上がるタイミングが一致したらしかった。
 つかつかと歩み寄り、杖で左の籠手を指して私は口を開いた。

「そっち、動きがおかしいです。早急な診察を要請します」
「…よかろう」

 がちゃ、と重厚な音を立て、外された籠手が私に渡った。照明にかざすよう少し掲げてから、まずは外側をじっくりと見渡す。続いて内側。異変はすぐに見つかった。

「あー、これは…中の一部が欠けてますね。半端に修復されたところに別の衝撃が加わっちゃったのかな…」
「そうか、覚えはある」
「へえ、そんなに苛烈な戦闘だったんですか。それにしては破損はここ一箇所で済んでますねぇ…」

 改めて籠手を両手の上に乗せた。式の具合を確かめようと魔力を軽く送り込む。と、何か、遮られるような感覚が湧いた。これは…私を拒んでいる?
 やがて籠手側から私の方へ魔力が昇り、その覚えの無い感触に両腕には鳥肌が立っていた。

「ひぁっ!」
「…何だ?」
「ここここの子、私の知らない子になってる!えっ、私の魔力に何が混じったっていうの!?」
「おい…!?」
「………あーやっぱり!ゴルベーザ様、あなたの魔力がこの子に大量に流れ込んでますよ!?何てことしてくれるんですか!?」

 籠手を外した彼の素手を握り、再び同じ鳥肌が立つのを確認し、私は声を荒げていた。私の式が彼の魔力と混じり合い、別物へ変質しかねない状態になっているのだ。すなわちそれは、この子が私の子でなく、彼の子へなりつつあるということ。
 ゴルベーザ様は呆れた表情を作り、言い放った。

「それは私の鎧だ。私に馴染むのは至極当然だろう」
「そ、そんな…それって寝取られ…」
「言葉を選べ痴れ者。貴様や貴様の師は誰のためにその手腕を振るうのだ」
「……そりゃあ…着る人ですけど…でもこの子は私の可愛い子ども…うう、でも…」

 ゴルベーザ様の頭が生えている漆黒の子を上から下までじいと見つめ、嘆息。私の手元を離れた時と比較して、この子には確かに変化が生じている。今の方がずっと生き生きと輝いているのだ。その理由は、所有者である彼と共に長い時間を過ごし、彼を主人だと認めたからに他ならない。
 悔しい気持ちと、主人の下で完成した真の美しさに見惚れる気持ち。しばらくその二つがぶつかり、やがては後者が勝っていた。

「…分かってますよ。この子はもう私のものじゃない。あなたに大切にしてもらってる、あなたを守るって痛い程伝わってきましたもの…」
「……」
「でも…嫁に出すこの苦しみを二度も味わうなんて…」
「貴様の語彙は本当に悪趣味としか思えんな」
「まぁとりあえずどこがどう変異したとか諸々調べたいですし、久しぶりに隅から隅まで磨き尽くしたいですし、三日三晩預かりますね…」
「一晩だ。貴様なら可能だろう」
「ええぇ!?出来ますけど嫌ですよ!じっくりたっぷり何ならねっとりこの子と向き合いたいんですから!終わったらまた何日も出掛けちゃうんでしょう!?」

 腕の中の籠手をぎゅうと抱き込みそう答えれば、みるみる彼の殺気が増した。
 だけどここは引き下がれないわ。これからは彼の存在も見越してこの子と接さなければならないんだもの。その効率的な作業法を見極めるためにも、私のハラワタを断つためにも、気前よく時間をいただきたいものだわ。
 そうか、これからはこの人との付き合い方も変えていかなけければならないのね…あぁ、面倒としか思えない。それでも、仕方ないと思うしかない。この子とこの人の間には、もう切っても切れない絆が出来ている。この子のためにも、同じように大切に接してあげないと、だわね…。





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ダウトさんよりいただきました、「鎧が大好きで中の人には興味がなく、隙あらば脱がして鎧を磨こうとしてくる変人系夢主」でした。
リクエストありがとうございました。




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