黒さんと私5
「エルダ、ちょっといいかしら?」
「はーい、どうされましたか、ローザ様?」
空き箱を持ち直し、私を呼び止めたローザ様の元へ走り寄る。ローザ様はにこにこと両目を細めていらっしゃるけれど、何やら冷たいものが私の方へ漂ってきているような…。
「あなたに命じます」
「は、はい…!」
「今から明日いっぱい自分の部屋で療養すること」
「へ?」
「それ以外の行動は認めません。以上」
「ええっ!?あ、あのローザ様!なぜそんなことをする必要が…!?」
「この船の総意だからよ。さ、セオドア、その箱を持ってあげて」
「はい」
「わぁいらっしゃったんですか!?」
反射的に両手が力が入ったけど、私から箱を奪い取ったセオドア様の動きはもっと力強かった。
ローザ様が私の正面へと向き直す。少しの間、黙って見つめられ、私も目を逸らせなくなる。
やがて、もう一度微笑まれて。
「ねえエルダ。皆あなたに助けられてきたわ。だから今度は私たちの番…ただそれだけなのよ。あなたに逃げられて、私たちのこの想いはどこへぶつけたらいいのかしら。あなたにはぶつけられっぱなしなのに」
「……」
「こうして身動きを取れなくして、特大のをお見舞いしないと我慢ならないの。あなたにも心当たりがあるでしょう?」
「!……えっ、と…」
「お義兄さんへの分は、あなたに託すわ。だからあなたは、体力と気力を回復させて、しっかり二倍受け止めてちょうだい」
そうおっしゃったローザ様の佇まいは本当に優しいものだったんだけど、迫力も人一倍すごかった。
だから私はただただうなだれて、一言はいと返事するのが精いっぱいだった。
*
「…セオドア様、すみません、それ持ったままなのに…」
「これぐらい大丈夫ですよ。それより、約束はきちんと守って下さいね。エルダさんには…無理矢理じゃなくて、ちゃんと楽しそうに笑っていてほしいですから」
「え…?」
「ずっと一緒に旅してたんです。それぐらい分かります」
「…えと……はい…」
セオドア様に自室まで送られ、彼にも心配する言葉をかけられて、改めて自分の情けなさを実感する。もうやらかさないようちょっと気をつけていただけなのに、それすら上手く立ち回れていなかったのか。
…でも、今はローザ様やセオドア様の配慮に応えるのが役目なんだろうな。聞き入れてもらえない虚しさは経験しているはずなのに、あの本人相手ならともかく、全然関係ない人を巻き込んでしまった。
「…私って、そんな気にかけてもらえるような価値ある人間だったっけなぁ」
どうしてこの船の人たちは、凡人の私を見下さないのだろう。皆優しい。憐れみじゃないって理解出来てしまう程に、何事にも真摯で、どんな行動を取ったかちゃんと見てくれる。
じゃあ、私はどう振る舞えばいいのだろう。正直、黒さんに夢中になりすぎて(今思えば、特別な実績が欲しいという打算もあったはずだ)、周りが見えていなかった。
………。
……はは…私…黒さんも含めて、皆を私にきつく当たってきた人たちと一括りにして一方通行の壁を作ってたんだな…失礼極まりないな…。
静まり返った部屋で、何もせずじっと座って、仕事やら何やらで詰まっていた脳が解放されて、それで考え事する余裕が出来て…いやそういうのから逃げたくて忙しくしてたんだけど。
そうしたら、やっぱり泣けてきた。
「…っ、こんな私が…黒さんを動かそうなんて……それこそ資格なんて無かったんだ…!」
胸が痛い。息が苦しい。これまでで一番の自己嫌悪だった。
と。
どんどん。
「!」
い、今のって…ノック?呆気にとられた私をよそに、未知の技術で造られた扉がひとりでに開かれる。
「エルダ、伏せていると聞いたが具合はどう…!?」
あっ…あー…見られた。入り口の黒さんの表情が引きつった。
彼が駆ける。ベッドに腰掛ける私の目の前に立ちはだかり、両肩をがしりと掴んでいた。
「!?」
「どこか痛むのか…!?顔が赤いな、熱があるのか?とにかくまずは横になれ…!」
「ちょ、ちょっとちょっと待って!い、一旦落ち着きましょう…!」
すうはあと深呼吸。涙も勢いよく引っ込んでいた。
「あの、別に、どこか悪い訳じゃなくて、ただローザ様に部屋にいろって言われてるだけです。泣いたのは…まぁそういう時もあるというか…鍵かけ忘れてるとは思ってなかったんで…」
「そ、そうか…すまぬ、招き入れられたかと…」
「はは…勝手に開いちゃうのも困りものですね。…で、そのー…」
両肩が驚く程熱い。男の人の手って、こんなに熱かったっけ…?
黒さんはようやく今の体勢と私の主張に気づいたようだけど、それでもなぜかこちらを見据えたままだ。
「逃げぬか?」
「…はい。ローザ様怖いですから」
あぁ、このところ避けてたのもバレてたんだ。私はへらりと苦く笑っていた。
横に座ってもらったはいいけれど、そこから長い沈黙。
…せめて、まずは、彼にちゃんと謝らなくちゃ。
「あの、黒さん…」
「話が…」
「あっ、あー、はい、何でしょう」
「い、いや…そなたからでよい」
「えぇー、いつも私ばっかりじゃないですか、ね…?」
「……分かった」
咳払い、のような仕草。黒さんは静かに、そして真剣な調子で話し出した。
「当初は…私はそなたの行動が理解出来なかった。だが、私にしつこくまとわりつくそなたを眺め続け…いつしか、そなたには本当に他意がないと悟った。それでも私は拒んだ…その報いが、今に繋がるのだろうか」
「……」
「そなたが書庫で眠っていたあの日、私はおそらく…これまでのそなたと同じ悔しさを味わった」
「!」
「謝らせてくれ。そして、もう一度願う。私はそなたの顔を曇らせたくない。それが私の五体満足の帰還を以て達成出来るというのであれば、条件を呑むと誓おう」
黒さんの瞳の中に、それはもう目ん玉を見開いて呆ける私が映っている。
「だからそなたも誓ってくれ。私を無事に帰したくば…その隈と痩けた頬を何とかして出迎えると。…さぁ、どうなのだ…?」
あ、駄目、また涙が出ちゃう…あぁでも、それでも、伝えなきゃ…。
「……あ、の…私……条件とか…そんな、つもりじゃ…」
「あぁ、いやすまぬ。それは無論、分かっている…分かっているとも。だが…今は…こう表現するのが…今の私の…」
こくこく。黒さんのその言葉については何度も肯定する。
「でも…でも私、やっぱり…資格なんてなかったんです…!」
「何についてかは存ぜぬが…あろうとなかろうと、私がこうして変われたのはそなたのおかげで、紛れもない事実だ」
「っ」
「私とて…数えきれぬ人を殺めた大罪人よ…そうだろう、エルダ…?」
私は嗚咽を漏らしながら、今度は何回も何回も首を振った。
「っ、ち、誓います…!あなたが無事に帰ってきてくれるなら、何だってします、だから!だからっ…お願い……もう、死ぬために戦いに行かないで…!」
「あぁ…」
それ以上は続けられなかった。丸まった背中を黒さんが撫でてくれている。自分のしゃくり上げる声が耳に響く。
…いつしか彼の手は、小さな子どもするように、とんとんと一定の間隔で優しく打つものに変わっていた。
「…そなたにとっては不名誉だろうが…我々は似ていたのだな。人の話を聞かず…己の尺度だけで突き進み…」
「……周りにいらない心配をかける」
「ハ、その通りだ」
「…私…私ね…あの日黒さんに心配してもらえて、本当に嬉しくて、だからあんなに泣いたのに…ちゃんと、口に出来なかったんです…ごめんなさい…」
「それも…同じだな。初めに意地を張ったのは私なのだ…すまなかった」
やっと起き上がって、ぐしゃぐしゃになった顔を彼に向けて、最後にもう一度否定した。
黒さんが大きな両手の平を私の頬に押し当てる。親指の腹で目尻の雫を拭き取られて、その慣れない力加減にくすりと笑みが漏れていた。
私たちが似ているというのなら。腕を伸ばせば、彼が理解して少しかがむ。同じ姿。彼が小さく笑ったから、きっと私も同じ表情をしているのだろう。
「やっと笑ってくれたな」
「それはこちらの台詞ですよ」
「…必ず…"セシル"を連れて戻ってくる。待っていてくれるか?」
「はい、もちろん!…あ、怪我治してもらってから何ともなかった〜とか言うのは駄目ですからね」
「善処する…が、戦場だぞ?」
「まずそういう心構えを捨てるところから始めるんですってば。治療兵に頼る戦法なんて聞いたことないですよ」
「分かった、分かったから抓るな」
「今まで心配かけた分です〜!」
「そうか…では」
「いだだだだ!」
やっと決心出来た。あなたのために、私はもう少し私を好きになろう。安易に自分を貶めて逃げるのはやめて、皆が認めてくれた私の姿を大事にしよう。
あなたもきっと、同じことを思っていると信じているから。
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