逢引き

 真月によって引き起こされた未曾有の大災害も過去のものとなり、すっかり平和と日常を取り戻した私は、それ以前よりちょっと増えた肩書きと仕事に追われながらも充実した日々を過ごしていた。
 黒魔道士団に新しく設立された薬学班、私はそこの暫定責任者である。と言っても、軍全体の立て直しの真っ最中のため、私以外の専任はまだいないし、仕事内容はもっぱら白魔道士団へ卸す回復薬の精製だ。だけど、街のお医者様や薬屋さんとの情報交換会を企画した実績については積極的に自慢したい。
 書類をセオドールさんの元へ提出するため、私は本館まで出向いていた。最近、目に見えて活気が戻ってきたように思う。けど、流石にこの辺りに用事のある人は少ないようで、日の差し込む廊下は誰もいない。
 すたすたと早歩き。あの角を曲がってもう少し行けば、セオドールさんの執務室。と、その角から人影が現れる。カインさんだ。あっ、でも今は勤務中だし、ここお城の中だし、声かけちゃ駄目だよね…。
 カインさんもこちらに気づき、目が合う。慌てて頭を下げ、廊下の端に寄った。床を眺める私。近づく足音。視界に映る空色の脚。何故かそれは私の前で止まる。
 な、何だろう、作法を間違えちゃったのかな…?

「……エルダ」
「!」

 いきなり名を呼ばれ、不安で速まった私の心拍数がさらに跳ねた。ええっと、ええっと、め、目上…を通り越した将軍に話しかけられた時は何て応えたらいいの…!?

「は、はい…何でご、ご、ございましょうか…?」
「…何だその言葉遣いは?」
「ももっ、申し訳ございません!慣れてなくて!」
「いや、そういうことではなくてだな…あー、こっちに来い」
「えっ?」

 カインさんの体が向きを変え、マントが翻った。言われるまま後ろをついていく。そういえば、鎧を着込んだ姿を見たのはちょっと振りだなぁ…。
 彼に続いて部屋の扉をくぐる。小さな会議室と思われるここでようやく振り返り、再び視線が交わった。

「ずいぶんと他人行儀だな」
「へ?い、いやだって、今は仕事中じゃないですか」
「……それを差し引いても、の話だ」
「うーん、そうですか?"カイン・ハイウインド将軍"への振る舞いってこれぐらいだと思ったんですけど」

 ちら、と顔色を窺えば、ずいぶん機嫌を損ねたご様子。

「とにかく、調子が狂うからさっきみたいな真似はやめてくれ」
「えぇー、流石に周りの目がありますよ…」
「あれはどうしたんだ、勲章。着けていれば皆理解するだろう」
「いやいや!そんなことしたら完全なる腫れ物になっちゃうでしょーが!あのねぇカインさん、私今結構微妙な立場なんです。だからもう少し落ち着くまで静かにしてたいんです!」

 これが生まれた時から人の上に立つ人か、などと考えて当人を睨むと、その眉毛は思うより深刻な角度になっていた。大人気ない、とは断定出来ない雰囲気だった。

「…カインさん?」
「お前の言いたいことは分かる。…すまん、どうかしていた」
「は、はぁ」

 肩をすくめるカインさん。苦々しいまま細まった両目は、どこか遠いところを眺めているような。……あぁ、もしかしたら、どこかで似たような経験をしたのだろうか。だって彼は、生まれた時から人の上に立たなければならない人だから。
 私は一人納得し、笑みを向けて大丈夫だと主張する。

「えっと、あの、お城にいる間は馴れ馴れしくはしないです…でも、よそよそしいのもしんどいので…他に誰もいない時は、もう少し普通にしますね」
「ん…そうしてくれると助かる」

 良かった、安心してくれたみたい。まぁ確かに、こんな調子の私が"ございます"とか言って畏まる姿と対峙したら、その猫被り具合に引くというか笑けてくるというか…相手の負担になってしまうのもその通りかな、うん。
 せっかく会えたのだから、少し話を振ってみる。カインさんも同じ思いでいてくれたようで、隣に並んで付き合ってくれた。

「一人でいるのってめずらしいですね。…もしかしてさっきまでセオドールさんのところにいました?」
「あぁ。セシルとのやり取りによく使われている。就任前に脅されたが、案外普段は落ち着いていてな」
「あー、陛下は事務作業が苦手だって誰かから聞いたような…」
「何だ、そういうことか。まぁだから、時間が出来たら鍛錬場に顔を出して、その後寄っている。あいつは出歩かないからな」
「そうなんですね。あ、だったら…私のところにも来ていただけたら嬉しいなー…なんて」
「いいのか?」
「はい、今は私以外常駐している人はいませんから」
「そうか、良いことを聞いた」
「でも時々でお願いしますね?その…お城じゃない場所で会える方が…もっと嬉しいですし」
「フッ、仰せのままに」
「もー、恥ずかしいこと言った自覚はあるんですから茶化さないで下さい。…じゃあそろそろ出ます」

 熱くなった頬を冷まそうと、片手で扇ぎながら私は動く。するとカインさんのマントが再度翻り、反対の腕を掴んでいた。

「へあっ!?」
「……」

 彼に注目しようと思ったら、彼そのものが迫ってきて。あっという間に唇を奪われていた。短い時間だったけど、異様に感触が残っていて、私は硬直しながらもぶるぶる震える羽目になった。
 比べてカインさんは私のこの様が面白いようで、その眉毛は晴れやかな曲線を描いていた。

「俺の家で待っていてくれ。早めに切り上げる」
「………キ、キスは要ります……?」
「あのな……いいだろう、別に。返事は?」
「…仰せのままに…」
「よしもう一度だ、来い」
「うわあぁ公私混同反対!見損ないますよ!」
「……。ったく、お前といると本当に締まらんな。行け」
「やられっぱなしは性に合わないですから。…早く帰ってきて下さいね」
「あぁ」

 ばたん。扉を閉めたはいいけれど、頬の熱は増すばかりで全然引いてくれない。こんな状態で誰かの前に出ることなんて出来そうにない。やっぱり、ここでの接し方はもっとちゃんと考えなきゃいけない。
 ある意味冷静にそんなことを分析しながら、私は長い間出入り口にもたれかかり、何とか存在を忘れなかった書類を腋に挟んで、懸命に両の手で顔面に風を送り続けていた。






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