You are you

 人間の一切の活動を拒む深夜。しかし、彼女にその常識は通用しない。
 堅牢な結界をものともせず、まるで隣室からそのまま歩いてきたかのように、扇情的なナイトドレスを纏ったエルダが現れた。何も着けていない胸元は薄布にわずかに透け、長く伸びた白い足は一直線に目的地を目指す。
 目的地の主、ゴルベーザに相応しい広い寝台。特に気遣う様子もなく、彼女はそこに乗り込んだ。

「……」

 彼は瞳を閉じ、微かな呼吸を繰り返していた。目の前で侵入者が視線を寄越しているにも関わらず。エルダの眉は違和感で中央に寄ったが、すぐ元の場所へ、続けて天へと向いた。

「よっと」

 シーツ…の内で眠る彼の腹ごと敷物にして、腰を下ろす。足を組み、肘置きとして見下ろせば、彼が重みに耐えかねて身じろぎ瞼を上げた。

「来ちゃった」

 しんと静まる空間。無反応の虚ろな眼差し。ただただ眼球だけが固定されていて、それでエルダはすぐさま機嫌を損ねる。出来るだけ高い位置から、無言の挑発。彼がそれに乗った。
 鈍い衝突音。ゴルベーザの巨大な手とエルダが張った障壁がぶつかり合っていた。なおも掴みかからんとするゴルベーザの表情は明らかに不自然な"無"であり、対してエルダは普段通り、この私が全て優位だと唇を歪め。

「まぁー何て寝相だこと。ずいぶん目立ちたがり屋になってきたんじゃあなくってェ?」

 もう一息吸い込み。

「アンタとこの子を取り合うのも悪くはなかったけど…そろそろいい加減、出ていってもらえる、かしらっ!」

 目一杯高く掲げた握り拳を、闇に溶け込んだ額目がけて打ち下ろした。

「っ!?……なっ……エルダ!?」
「そうよぅ」
「何の真似だっ…!?」
「それはこっちの台詞」

 気合の乗った一撃をまともに喰らい、ゴルベーザの意識は覚醒し跳ね起きた。しかし腹に乗った彼女に阻まれ、シーツの中で半端にもがき、痛む額を押さえて目線を上げる。
 そこでようやく、彼女の顔の前に展開された障壁と、それが一部欠けていることに気がついた。

「……」
「……」
「……私が……やったのか……?」
「まあね」
「……」
「お疲れねぇ」

 変えようのない事実。ゴルベーザはただ呆然と、それこそ先程までの彼のように、言葉を紡げず、動きも封じられ、ひたすら己を拒んだ、或いは己を止めた盾を眺める。
 やがてエルダが術を解除すると、同時に拘束から解放されたかのように、どっとベッドに身を投げ出した。両手で全てを遮断して、彼は声を震わせた。

「………すまぬ………私は……エルダ、許してくれ……」

 名を呼ばれ、彼女はいくらか両目を細めていた。ふっと鼻を鳴らし、顔を覆った大きな手の甲に触れ、どかすよう促せば。
 助けと許しを請うこの眼差しは、いつまで経っても同じままで、いかなる時でも彼女の多くの欲を満たしていく。
 だから、"悪くはなかった"。

「今日は許してあげるわ、ゴルベーザ。第一、この私がアナタにやられる訳ないじゃない」

 するすると細い指が逞しい輪郭に、太い指に這い、絡み付く。反射的に上下した喉を見逃さず、その骨をくいと押し込んだ。

「下が出来て調子に乗るのもこの辺にしときなさいよ」

 気道を塞がれる感覚。ただ、今のゴルベーザには心地の良いものだった。肉体と魂が正しく繋がっていることを、一番安易に実感出来るから。
 その歪んだ実感をより強く得ようと、神経の先端が尖っていくのが分かる。そこへ。

「何を呆けているの」

 屈み込んだエルダがゴルベーザの左耳を遠慮無く食み、彼の全身から悪寒が吹き上がった。

「っ…エルダ、い、今は駄目だ…!」
「だーめ。こういうのは体に聞くのが一番なんだから」
「う…」

 たっぷりと、じれったく、くすくすと吐息を送り込んで、耳たぶを全て口に含んでから形に沿って順に噛んでいく。顔を背けず、払いのけもせず、乱れそうな呼吸だけで訴える彼の首筋を指の腹で撫で上げれば、とうとう切実な呻きが零れ落ちた。

「さぁゴルベーザ、答えてもらうわ……この塔で一番偉いのはだぁれ?」
「そ…そなただ」
「そうそう。アナタの寝室に勝手に入っても怒られないのは誰?」
「そなただ…」
「ンフフ。それじゃあ…」

 ちろちろと上下する彼女の指を彼が取り上げた。軽く頭を振るい、やんわりと主張。真横にしなだれるようにして座る彼女の背に両腕を回し、自身はまだ伏したまま、抱き寄せる。長い髪の先が褐色の頬に垂れた。

「私のこの身と命はそなたのものだ…エルダ」
「…何だ、ちゃんと分かってるじゃない」

 髪束でゴルベーザをくすぐる彼女の表情は、始めと同じ、今夜まだ彼が目にしていなかった悪戯心が滲み出たそれに戻っていて、かと思えば急に真顔に変化し。

「あー疲れた。もう寝る」

 さっさとゴルベーザの隣に収まり、向こうを向いてしまった。彼も倣い、下側の腕を伸ばせばその背が慣れた動きで自らの下に敷き込む。こうして拘束を許すのは、それなりに歩み寄るつもりの姿勢である。
 しばらく二人は黙って息を潜めていたが、不意にゴルベーザが視界を闇で満たしたまま、その巨体にあまりに不似合いな、微かで、ところどころが音になり損ねた言葉を呟いた。

「……もしも…私が……私でなくなった時は……そなたは、私を殺してくれるか?」

 エルダの返答は対照的に、褥に不釣り合いな明瞭な音量。

「は?そんな疲れる作業、誰か引き受けてくれるとでも思ってるの?せいぜい平手打ち一発だわ、おやすみ」
「……」

 小さく丸まった温もりに、強まる抱擁。

「……おやすみ……」

 満月の夜のことだった。






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