雨の下

 ぱたぱたと、雨の雫が窓を打ち続けている。今日は一日このままらしい。
 私は頬杖をついてその光景をじいと眺め続ける。粒と粒がくっついて、筋と筋もくっついて、目で追えない速さになって、どこかへ流れていく。飽きない光景ではあるけれど、やるべきことがない訳でもない。
 …やっぱりない、か。だって、私はお客さんとしてここに来ているんだもの。
 ここは"赤い翼"の新部隊長、カインさんのお家。元々由緒ある一門の当主である彼は、そういう人たちの邸宅が集まる地区に住んでいて、お手伝いさんも数人雇っている。私がここに出入りするようになったのは少し前のことだ。
 流浪の剣士として素性を隠していた頃に出会い、共に旅を続け、最後まで一緒に戦ったカインさん。その中で私は彼を好きになり、全てが終わった後想いを打ち明けた。返事は…イエスだった。

「…何だか今でも夢みたい」

 片想いの期間が長かったのと、カインさんに色々事情があったことで、振られるだろうなぁと思いながらの告白だったから。そして、私の存在があったから過去を清算出来たと言ってくれたことも思い出す。
 とはいえ、一方は貴族出身の将軍で、もう一方はただの庶民兵士。世界が平和になったことで、考えなければいけないことが現れてくる。
 …本当に私でよかったのかな。
 あぁ。あぁ駄目だ。こんなの、雨のせい。頭の外へ追いやらなきゃいけないのに、空から落ちてくる雨が押し戻してくるんだ。

「エルダ、茶が入ったぞ」
「!」

 背後から彼の声が飛んでくる。驚いて肩が跳ねてしまった。

「窓際は冷えるぞ。何か見えるのか?」
「あぁ、いえ…ただ雨を眺めていました」
「へえ」

 かちゃかちゃと、茶器を並べる音がしばらく鳴って、それからカインさんが私の背後まで歩んできた。

「いつもの覇気がないな。どうした?」
「そうですか?雨が降っているからじゃないですかね?」
「成程、根腐れってやつか」
「えー、何ですかそれ?前から思ってましたけど、カインさんって意外とずけずけ言う人ですよねー」

 けらけら笑ってから目を開けて、はっと気づく。窓に映った彼が硬直していることに。
 しまった。沈んだ気分を悟られたくないあまり、間を置く訳にはいかないと全く言葉も選ばず出してしまった…。彼の返事はただの冗談だけど、私のは完全に悪口じゃないか。

「あ、の……ご、ごめんなさ…」
「…悪かった」

 一度うつむいた彼がおもむろに動いた。窓の向こうの私が、彼に後ろから抱きすくめられる。
 どっと体温が上がり、目の前が霞んだ。

「俺はどうにも口が悪い。…お前が初めて会った"あいつ"には受け継がれなかった部分だ。失望したか?」

 ぎゅ、と力を込められ、自分の心臓の音が身体中に響く。

「そっ…そんなこと、ないです…!別にその、気分を害したとかじゃないですから…。あの、私の方こそ、ごめんなさい」
「何故謝る?俺としては、その方がお前らしいし、何でも言ってくれる方が有り難い」
「そうですか?」
「あぁ」
「…ありがとうございます、カインさん」

 まだ鼓動がおさまる気配は見えないけれど、私はへらりと笑えていた。
 カインさんが顔を寄せてくる。私の頭に頬ずりし、肩に顎を乗せて、窓越しに私と目を合わせて。

「言い訳になるが、ついあの兄弟と同じ調子で接してしまうんだ…次から気をつける」
「えっ?」

 カインさんに触れてもらえて夢心地だった私がはっと現実に返ってくる。
 …今、すごく嬉しいことを言ってもらえた気がする。

「カインさん、それって、セシル様とセオドールさんと、私は同じ扱いってことですか?」
「だから、お前にはそういう乱暴な言葉は使わないようにすると言っているだろう」
「そうじゃなくて!私は…カインさんにとって、お二人と同じくらい大事な存在だってことですか…!?」

 いくらかのまばたき。離れようとした彼を私が両腕で引き留めて、見つめ合う。彼の耳はわずかに赤くなっていた。

「…当たり前だろう。そもそも、順位を付けるならお前が一番だからな」
「!…へへへ、ありがとうございます…嬉しいです」
「調子は戻ったか?」
「そうですね、冷えてたからかもしれません」
「あぁ、それは良くないことだな」

 私の遠回しな催促に、カインさんは応えてくれた。甘えるように擦り寄ってくる彼に、こんな一面を見せてもらえたと、私の中の独占欲が満たされていく。
 確かに、考えなければいけないことは存在するけれど、解決に向けてきちんと努力していけばいいだけじゃないか。言いたいことを言い合えるのが私たちの良い所だと思うし、きっと上手くやっていけるはず。
 肩口に顔をうずめて落ち着いていた様子のカインさんが、不意にぽつりと呟いた。

「許してくれよ、エルダ。お前といると、自然に自分をさらけ出せるんだ。男ではあいつら兄弟になるが、女はお前が初めてなんだ…また、いらないことを口にするかもしれない」
「…ホント、嬉しいこと言ってくれますね。いいですよ、私、図太いですし、本当に傷ついたら、謝ってくれるまで怒るし泣きますから」
「……泣かせたくはない」
「アハハ、皆そうですよ。でもどうしようもない時があるのも皆そう。だから喧嘩して、仲直りするんですよ」
「そうか、そうだな…」

 カインさんが表情を緩めて私の手を握る。いつもと少し違う視線を投げかけられて、それで私は両目を閉じ、ずっと耳に入っていた雨の音が遠ざかっていくのを感じていた。






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