CRAZY FOR YOU

「おかぁ〜えりぃ〜」
「………ここは私室ではないが?」
「わーかってるわよそんなこと。暇だから視察に来てあげたの」

 ゴルベーザ用に調整された巨大な椅子にふんぞり返り、エルダは悪びれもなく答えた。ゴルベーザの公事には興味を示さない彼女だが、その行動は全て"気が向いたから"で説明がつく。

「生憎茶は出ん……出す必要もなさそうだな」
「アテなら嬉しいわぁ」
「そこで呑むな。向こうのテーブルを使え」
「はいはい」

 ワインボトルとグラスを持ち、エルダが執務机から移動する。指示した場所に納まったことを横目で確認してから、椅子の本来の主は兜を脱ぎ両の籠手を外し、どかりと座り込んだ。

「それで?何用だ?」
「だから暇なの。この塔って本当に娯楽が少ないのねぇ…これなら人里近くで商売でもしてた方がまだマシだったかしら」
「そうか。では…」

 かさりと乾いた音。部屋を見回していたエルダがゴルベーザに注目を戻す。彼は書類らしきものを一束摘み、ひらひらと眼前で舞わせながら言った。

「ちょっとした謎解きなど如何ですかな、魔女殿?」

 猫撫で声にも、挑発的にも聞こえる声色。エルダが一気に両目を細める。そのまましばらくゴルベーザを睨みつけていたが、そのうちがたんと椅子に背を預け、手元のグラス傾けた。
 ぷは、とおおよそワインを嗜んでいるとは思えない息継ぎ。

「この私を顎で使うなんて…と言いたいところだけど、たまにはアナタのために働いてあげてもよくってよ」

 組んでいた脚を盛大に振り下ろし、彼女はすっくと立ち上がった。ゴルベーザが掲げていた紙束を奪い、そこから目線を外さないまま。

「書くもの。あとコーヒーと甘いものと煙管。あと都度資料」
「用意させよう」
「へーえ……ドワーフの古代封印術?……本当に古いわね、こんなの本人たちも解き方知らないんじゃないかしら」
「王城のクリスタル以外はまるで興味が無いらしい。活用させていただこうではないか」
「気の毒なクリスタルもいるものねぇ…」

*

 エルダが一切喋らなくなってからどれだけ経っただろうか。自身の執務に区切りがついたゴルベーザが向こうの彼女を見やる。普段の飄々とした態度とはかけ離れた、鬼気迫る研究者の形相だった。
 愛用の羽根ペンを折らんばかりの勢いで書き連ね、余白を無くした紙は宙を舞った。かと思えば唐突に手を止め、しばらく考え込んでから、迷いない動作で床から履歴の一枚を拾い上げた。皿に乗った菓子やカップの中のコーヒーが切れないよう、彼女の後ろには使用人が何人も控え、緊張した表情で動くべきその瞬間を見定めている。
 久しく会っていなかった、師としての彼女の姿だった。
 ペンの音が止む。ややしてからエルダは大きく脱力し、残りのコーヒーを飲み干して完了を宣言した。

「はぁーーつっかれたー!そこのアナタ、ちょっと肩揉んでくれる?」
「はい」
「あーお疲れ私。アナタたちもご苦労様、下がっていいわよ」

 使用人が拾い集めた殴り書きの数々を受け取り、大きなあくびを一つ。そしてずっとこちらを窺っていたゴルベーザへと向き直した。

「先に三番目について言うけど、これは解除アイテムがないと無理ね」
「ふむ…」
「"アイテムを失くせば二度と開けられない"っていう制約で造りをシンプルかつ強固にしているわ。手を出すには労力が大きすぎるわね」
「王位継承に必要な代物か」
「まぁそんなところでしょうねぇ」

 こつこつ。エルダが執務机に歩み寄った。その縁に腰掛け、目線をゴルベーザより高くする。足を組み、成果物を見せつけて。

「さて。ここからはお代をいただこうかしら」
「あのワインでよいだろう」
「え−、どうせ呑むのは私なんだからいいじゃない」
「……」
「あーあ、寒くなってきたことだし、ちょっと暖でも取ろうかしら」
「望みは?」
「今日から三日間アナタをもらうわ」
「明日からで御勘弁いただけぬか。調整の時間も必要だ」
「んー仕方ないわねぇ」

 薪の運命から逃れられた紙束がゴルベーザの手に渡った。程なく感嘆の唸り。着眼すべき観点が添えられ、封印文字の一部は解読が終わり汎用文字に置き換えられていた。複数人で何日もかけて取り組むはずの難題を、彼女はたった数時間でここまで片付けたのだ。魔女の異名は伊達ではない。

「流石だな」
「飽きたから最後までやらなかったけど、まぁあとは誰でも出来るでしょ」
「あぁ、十分だ。感謝する」
「おほほ、もっと褒めて」

 クク、とゴルベーザが唇を歪ませた。

「魔女殿の叡智はもはや深淵に達するとお見受けする。私ごとき矮小な魔導士では幾段降りようとも辿り着けぬ常闇の底よ…」
「あらぁ、それは困るわ」

 彼を見下ろすエルダの瞳は相変わらず余裕に満ち、しかし真剣でもあり。

「アナタも"ここ"まで来てもらわなくちゃ」

 湿り気を帯びた台詞に、ゴルベーザの背筋が意識外にぴんと張った。

「精進しよう」

 さらに引き寄せられ、鼓膜に彼女の吐息が届いたと同時に半身に電撃が走った。耳たぶに歯を立てられ、一瞬力を奪われて思わず肘をつく。彼女は気を良くし、丸太のような逞しい首に両腕を絡め、ふうと息を吹きつけ追い打ちをかけた。

「エルダ」
「んん、嫌じゃないくせに…」
「私がそなたを拒む理由は状況だけだ…じき人が来る」
「あら、あの金髪の竜騎士?」
「残念だがルビカンテだ」
「なんだ。じゃあ帰って呑み直すわ」

 ちゅ、と唇も食んでから、エルダが身を起こして机から飛び降りた。ボトルとグラスを回収するために背を見せ、動く。
 その姿を追うゴルベーザが、無骨な指で自身の首筋を撫で。

「エルダ。再度訂正だ」
「んー?」

 彼女なりの甘え方を見逃すほど、彼は鈍感でも唐変木でもなく。

「今宵から、とさせていただきたく」

 こちらから誘った体に整える程度には紳士的で。

「フフ…終わりも延長していいのよ。じゃあお仕事頑張ってねぇ〜」

 もたげた欲望に蓋を被せられるような聖人でもなく。

(…久々に思い切り泣かせたくなった)

 そして後々味わう羽目になる報復の仕打ちが記憶から抜け落ちる程度には成長がない。
 そういう状態を、人間は"首ったけ"と表現するらしい。

(彼女に首を差し出せば、そのまま斬り落とされ棚に飾られそうだ)

 脈絡なく心の内で呟いた独り言に、ゴルベーザはくつくつと笑う。そうしてまもなく訪れる部下にこの顔を晒さないよう、兜に手を伸ばし仰々しい手つきで装着した。






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