或る黒魔道士見習いの私的回想録

 ○月×日、晴れ。
 エルダ女史より養成所の認定課題を優先させるようお達しがあり、私は終日書き物に徹していた。
 今日は本当に恐ろしい一日だった。若干死も覚悟した。
 この先も同じような日々が続くかと思うと気が重い。もう覚悟を決めるしかないのだろうか…。

*

「はいはーい、机空けてくださーい!」

 突如扉が全開にされ、どやどやと幾人もの女性が乗り込んできた。一人を除き、あとは使用人。一体いつからこの部屋は使用人の出入りを許可したのだろうか。思わずため息が出た。

「えーっと、全部置いてもらって、それから大鍋二つ…いや三つでお湯を沸かしましょう!」
「はいっ」

 鍋を取り出す者、裏手から水を汲む者…一気に騒がしくなり、私は再びのため息の後隅へと逃げた。女の歓声は本当に苦手だ。

「エルダさん、葉っぱは取っておきますか?」
「あー助かります!茎も使うので分けておいて下さい」
「エルダさん、こっちはどうしましょうか」
「はいはい、水洗いで泥を落としていただければ!」

 先程から先陣を切り指示を出しているのが私の上官、エルダ女史である。彼女はこの部屋の責任者であるが、それをいいことに使用人をこうして大量に連れ込み、私の認定課題の監修もまともに取り組まず、通常の業務である研究すら丸投げして素材にまみれる日々を送っている。
 しばらく騒ぎは続いていたが、ようやく下拵えを終え、幾人もの女性は行きと同じようにどやどやと出ていった。三度目のため息。それなりに大きいものになってしまったが、煮えた大鍋と格闘するエルダ女史には届いていないようだった。
 何故彼女は素材を一から加工するのだろうか。それは卸しに任せ、調合や黒魔法の鍛錬に時間を割くべきではないだろうか。
 研究課題が被らないという理由で薬草学を選びここへ来たが、残念ながら判断を間違えてしまったように思う。彼女は今のところ、黒魔道士としても薬師としても実力があるようには見えないのだ。
 そんな折、こんこんと開け放った扉を律儀に叩く音が聞こえ、私たちは同時に顔を上げた。そして私はぎょっと目を丸くする。

「あ、セオドールさん!こんにちはー」
「あぁ。資料を返しに来た。邪魔するぞ」
「どうぞー」

 大柄の男性が部屋に踏み入り、私は慌てて椅子から立ち上がった。私に気づき、彼は口を開く。

「…新入りか?」
「は、はい!お会い出来て光栄です!」

 彼を知らないバロン道士はいない。先の月の厄災時、陛下率いる一団に名を連ね、その後もバロンに留まり助力する黒魔導師(こちらの字を当てるのが最大の敬称である)、セオドール様。私も一度だけ講義に参加したが、知識、技術、指導力のどれを取ってもバロン史上最高であると感動したものだ。
 そんな偉大な導師が、書庫でもないここへ資料を返却に?しかもエルダ女史は気安く話しかけている?まさか彼の地位を知らない訳ではないだろうが…いや、暢気な彼女なら有り得るかも…?

「…そなた、上官に一人力仕事をさせるとは、一体どういう了見だ?」
「えっ!?」

 導師が険しい顔で私に詰め寄っていた。その眼力にすくみ上がっていると、すかさず女史が助け船を出す。

「あーいいんですいいんです!彼、まだ養成所生で課題を優先してもらってるんですよ」
「見習いなら尚更雑務を覚えるべきだろう」
「うーん、まぁこれは本当ならやらなくていいことですし。彼に調合とか書類作成を引き受けてもらっているおかげでこうやって自家製素材の仕込みが出来て大助かりですよ」
「そうか。では私に手伝えることはあるか?」
「!?」
「えっ、いいんですか?えーっと、だったら課題の添削をお願いしたいです!」
「よかろう」
「!!?」

 国内最高峰の導師がただの団員に手伝いを申し出て!?しかも二つ返事!?

「さぁ座れ。課題とやらはこれか?」
「はっはいっ!?」

 汗を拭って大量の葉やら根やらを茹でるエルダ女史に、導師を顎で使えるような権限があるとは到底思えない。しかし現に導師は私の報告書に目を通し、次々と赤を入れているではないか。

「この記述では確証を得たとは言い難い。自信が無いのであれば試行回数をもっと増やせ。この程度で妥協するな」
「すみません…」

 その後も指摘は続いた。驚いたのはそれだけではない。導師は時折考え込み、エルダ女史に助言を求めたのだ。
 二人のやり取りに淀みはなかった。それはすなわち、女史の薬草学の知識が導師に並ぶということ。魔術を専門とする他の団員は彼の足元にも及ばない(それは彼の専門がそちらだからではあるが)。彼から一目置かれる理由が判明し、私は初めて彼女の実力を知ることになったのだ。

「…こんなところか」

 紙束をまとめ、セオドール導師が私の前に差し出した。数十分も経っていないだろうが、恐ろしく密度の濃い時間だった。

「ありがとうございました、導師…!学ぶことばかりで…流石は国一番の知恵と力を持ったお方です!」
「私はただの流れ者にすぎん。そもそも、修正内容のほとんどは彼女の意見だ」
「はあ…」
「彼女によく学ぶことだな。……エルダ、そなたもきちんと面倒を見てやれ」
「うっ……だって彼、私よりずっと成績いいんですもの。言うことないですよぉ」
「実経験が一番大事だと言ったのはどの口か。そなたもこの研修を通して指導力を身につけることを求められているのだぞ」
「はぁい…」

 そうして導師は退室し、ひとときの静寂。エルダ女史は説教にへこたれた様子はなく、鼻歌交じりに煮えた素材をすくい上げている。魔力の気配を感じるので、何かしらを素材に施しているのだろう。
 正直、黒魔道士団に相応しくない人だと思う。これまでは技術面で。今は…人柄で。合わせるべきは彼女か団か、私に判断はつかないが。
 さらにしばらく時計の針が進む。今度はきちんと閉まった扉から、ノックの音が聞こえてきた。

「はーい、どうぞ」
「エルダさん、ただいま戻りました!」
(えっ…)
「あぁ、セオドア様、カインさんも。おかえりなさい」
「変わりないようだな」
(ええええ!?)

 扉の向こうには、信じられないことに…我がバロン国の王子セオドア殿下と、将軍の一人であるカイン・ハイウインド部隊長が並んで立っていた。光を放たんばかりのお二方の風格に、どっと心拍数が跳ね上がる。
 何故こんなところに、というか女史はお二方の知り合い!?先程のセオドール導師の時といい、いくら何でも無礼すぎではないか!?

「今回はお土産を買う時間があったので持ってきました」
「わぁありがとうございます!えーっと、お菓子ですか?今お茶を淹れますから、皆で食べましょう!」
「そう言うと思ってもう一箱用意してますよ」

 あはは、と笑い声が響く。反対に私の顔はいよいよ引きつっていた。王族と将軍という、国内でも上から数えた方が早い身分の方々と談笑する女史。もしかして…もしかすると、彼女は最上流の貴族の子女だったりするのだろうか…!?

「あなたも一緒にどうですか?」

 注目が私に集まる。お二方はそこで初めて私の存在に気づいたようで。

「誰だ?」

 刺さる一言。

「養成所の研修生さんですよ。少し前から手伝ってもらってます」
「ふうん。で、来るのか?」
「めめめ、滅相もございません!」
「あれ?遠慮しなくていいんですよ?」
「いえっ、さ、先程の添削を反映しないといけませんので!お構いなく!」

 がたがた、ばたばたと辺りの資料をかき集め、私はやんごとない人々の圧に耐えられず隣室へ逃げていた。
 ますますエルダ女史という人物が分からなくなっていた。魔術の腕は未知数だが、薬学分野のそれは本物で、黒魔道士とは思えない社交性…それ故ここでは浮いた存在になっているのだが。しかし、ただそれだけで要人と…王族までもと繋がりを持てるものだろうか。もしも…万一彼女までやんごとない出の方ならば、わ、私はそのうち不敬罪で罰されてしまうのでは…!?そ、そもそもこの研修は彼女の正体を見抜けるかどうかを試されているのでは…!?

「そうだ、エルダさん。この棟って最近改築が終わったんですよね。使い心地はどうですか?」
「最高どころじゃないですよ!部屋も広くなったし、火元も増えたし、何よりすぐ裏に井戸があるのが便利でしょうがなくって!」
「それは良かったです」
「これも陛下に直接お話しさせていただいたおかげです。カインさん、セオドア様、その節はお世話になりました」

 ほら、とうとう国王陛下まで出てきた…やっぱり彼女は先王の私生子とかそういう類の人なのだ…そうに違いない…。
 へなへなと机に伏し、これからどう生きようと視界がぐらぐら揺れ始める。あぁ、何故私がこのような目に…。

「おい」
「ひゃい!?」

 目を回す私を唐突に呼ぶ声。驚いて帽子が盛大にずり落ち、それを抑えながら私は顔を上げた。
 空色の鎧と金の髪が眩しく映る。カイン部隊長がいつの間に、私を訪れていた。もう私の心は麻痺し、諦めてしまったのだろう。起立すら出来なかった。

「ほら、差し入れだ」
「お、恐れ入ります…」
「それから、勘違いをしていそうなので伝えておくが、あいつ自身の身分だの地位だのは公表されている通りだ。変に勘繰ったり萎縮してこれまでの態度を変えないように」
「は、はあ…」
「ただし」

 机に手をつき、鋭い目つきに変貌した彼がずいと迫った。

「彼女は先の厄災で俺たちと共に戦った"英雄"の一人だ。そのことも頭の片隅に留めておけ」
「はあ……はあ!?」
「もちろん無闇に言いふらすなよ」

 そこまで言って、カイン部隊長は向こうで盛り上がる会話に戻っていった。何だろうか…やはり麻痺している。この心情はもはや虚無だ。いやそれよりも納得か。この国の要人たちと対等に渡り合う十分な理由で、全て辻褄が合うではないか。

「……ははは…とんでもない鷹がいたもんだ…」

 乾いた独り言。向こうから、再び笑い声。
 …明日から私は、彼女にまともに接することが出来るのだろうか。難しいような気がする…いや無理だろ……。
 その後私は鍋の片付けを手伝うと言い出したセオドア殿下を止めるため、自分でも驚く速さで割って入り、邪魔をされて非常に不服そうな殿下と、笑いを堪えるカイン部隊長と、どういう状況かまるで分かっていないエルダ女史それぞれの視線を一身に受けることとなった。





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ティアリカさんよりいただきました、「カイン、セオドア、ゴルベーザのお話」でした。
リクエストありがとうございました。




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