Fly Me to the Moon

 気だるい空気が充満する陰った部屋。そこには同じく、彼女特有の煙の香りが漂っている。
 ゴルベーザはこの香りに焦がれ、疎み、そして結局は嫌いになりきれなかった。唯一何を以てしても己で上書き出来ないという諦めと、それこそが彼女であると思い知るための手立て。

「エルダ」
「んー?」

 名を呼べば、一応の、とでも付きそうな生返事が上がった。
 その白い背中をゴルベーザの屈強な身体が覆う。

「なぁに?煙吸っちゃうわよ」
「……」
「はいはい、もう少し待って」

 こん。エルダが灰皿の角を煙管で一度小突き、それから片付けに入った。途中、道具に手が届かないと文句をつければ横から腕がぬっと伸びる。そうして真後ろの彼を使いながら、全てを終えて体重をかける。
 するとすぐさま顎を丸ごと掴まれ、真上を向くように促された。逆らえず目一杯反れば、視界は彼で満たされていた。

「んぐ」

 全くもって甘さの足りていない口づけ。ゴルベーザの手の平が伸びきったエルダの喉を滑り、彼女は思わずその頬をはたいてしまう。

「っぷあ、もう、ストレッチかキスかはっきりさせてくれる?」

 言うや否やくるりと向きを反転させられ、彼が正面にやって来て再び背を丸めた。その唇を受け止め、時に舐めながら、彼女は太い太い首に腕を回す。ぐいぐいと望む体勢に移るよう催促し、四度目でようやく彼はそれに従いベッドの上のあるべき姿になった。続けてエルダが倒れ込んでもその厚い筋肉はびくともしない。
 寄り添いながら、彼女が遠慮無しに褐色の胸を撫で回して口を開く。

「ずいぶん自分本位になったものね」
「そなたにだけは言われたくないな」
「まだまだ坊やだった頃はもうちょっと可愛げも残ってたーのに」
「その坊やに先程まで喘がされていたのは誰だ?」
「あらぁ、アナタが代わりに喘いでくれたって構わないのよぉ?」
「やめろ」
「けっこう自信あるのよねぇ」
「やめろ…」

 くすくすくす。妖艶に色づく唇には少々似合わない、無邪気な笑い声。それで会話が一旦途切れた。
 しばらくして、大きく這う華奢な手首をそっと取り上げ、ゴルベーザが再開のきっかけを作った。

「本当にバロンには来ないのか?」
「嫌よぉ、あんなごみごみした所。第一私が人間の振りしておとなしくしてられると思う?」
「愚問だったな」
「そうそう。この塔…あー、ゾットだっけ?ここで妥協してあげたんだから、たまには帰ってきてよね」
「あぁ…地上のクリスタルが揃えば拠点はこちらに戻す」

 そこでゴルベーザが寝返りを打ち、胸元へ柔肌を抱き寄せた。
 瞳を伏せ、一度呼吸を整えてから。

「我らの願いが果たされるまで…あとわずかだ」

 撫でられながら、エルダは一人両目を細める。

「"我ら"って…誰?」
「無論、私と………そなただろう」

 まだ、片側だけしか開けられず。

(その間に挟まるのは、一体どんな単語なのかしら)
「フフ…忘れてないみたいで安心したわ」
「そなたは私を何だと思っているのだ」
「鳥のようにある日勝手に羽ばたいていって、鳩のようにある日ひょっこり帰ってきたものねぇ」
「何度も謝っただろう…全て、そなたとの約束のためだと」
「まぁそういうことにしておいてあげるわ」

 抱擁から抜け出し、エルダは戯れて目の前の大きな山に痕を刻む。もっとも褐色の岩肌では達成感は得づらく、そのうち飽きたのか次は何やら味見を始めたらしい。

「エルダ」
「意外と柔らかいのよねぇ、岩にしては」
「何の話だ…囓るのはやめてくれ」
「あん、だってまたしばらく遊べなくなるんだもの。私のものだって印つけとかなくちゃ」
「かようなもの、幾日で消え失せよう」
「じゃあそうねぇ、私以外の女に触られたら全身が爛れる呪いでもかけようかしら」
「構わぬ」
「あっはは、アナタは本当に可愛いんだから!」

 二つの山脈で囲い込んだ彼女がそう言ってけらけら笑った。
 どれだけ肉体を鍛え上げても、どれだけ成熟した精神を示しても、彼女は彼を"可愛い"と丸め込む。それで奔放な彼女を繋いでおけるなら安いものだった。

「私とアナタの間で交わすのは約束だけよ。ゴルベーザ…私を月へ連れていって」
「あぁ」
「何があっても、アナタが、私を、月に連れていくの。必ずよ」
「誓って」

 すると、彼女は真摯に微笑む。

「いい子ね…いい子にはキスしてあげる」
「光栄だな」

 両頬と両耳をさすられ、彼女が"本気"であると知れば素早く位置を入れ替えて、ゴルベーザがほんの少し突き出た唇に吸いついた。
 こうやって頭を抱きしめられると、己の所有物が増え続ける中、未だに己は彼女の所有物であると実感する。唯の一人にも漏らしていない、全てを委ねることを許される快感。
 あぁだが、彼女はそのようなこと、とうに見抜いているだろう。

「っん……何を考えていたの?」
「そなたのことだ…」
「フフ…そう」

 白い指が、同じく白の髪に絡む。

「いいこと、ゴルベーザ?最後まで付き合ってあげるから、アナタがやりたいように生きるのよ?」

 返答を聞く前に、エルダはその言葉を紡ぐための器官を塞いでしまった。それでもゴルベーザは喉の奥で言う。体温に乗せて渡す。

(エルダ…私は私のために…そしてそなたのために…クリスタルを集め、月を目指そう…)

 繋がれた手を握りしめ、彼女が応えた気がした。






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