黒さんと私3

「あー黒さん見っけ!何してるんですか?」
「見ての通りだ。邪魔せんでもらおうか」
「はーい」

 あっさりと返事し、彼女は私の横を通り抜けていった。しばらくの後、何冊か本を抱えて戻ってくる。そして少し離れた座席に腰を下ろした。

「……」
「ん?流石に読書の邪魔はしませんよぉ。その代わり私もここで読んでていいでしょう?」
「好きにしろ」

 この場所は魔導船内の書庫。規模は大きくなく、半数以上が月の民の言語で書かれたもので残りが学術書と呼べるものだが、それでも貴重な娯楽であり時折人が訪れる。
 不規則に上がる紙の擦れる音。静まり返った空間。初めてのことではなかろうか。
 不意に興味が湧き、彼女を盗み見する。頬杖をつき、黙り込んで素早く頁を繰り続けていた。真剣な眼差しは、ただ文字の羅列を鑑賞しているという訳ではないようだ。
 唇を真一文字に結ぶ貴重な表情。彼女はいつも笑顔を浮かべ、軽口を叩いて周りを和ませている。今はこの魔導船に留まり後方支援に専念しているが、それ以前はカインとセオドアの旅に同行し、黒魔道士として戦っていたらしい。
 脳天気と評する声もあるようだが、それは狭い視野からの言い分だろう。その通りだとすれば、私は彼女に苛つきしか覚えないはずである。彼女なりの覚悟を抱いてこの船に乗り込み、過剰に明るく振る舞いながら私につきまとっていることは、あれだけ接する機会が増えれば嫌でも理解出来よう。
 彼女が動く気配を察し、素早く手元の本に視線を戻した、じいと見つめられている。気まずさが込み上げようとした頃、その空気は新たな声によってかき消された。

「あぁ、エルダさん、ここにいたんですね」
「セオドア様。どうされました?」

 声の主、セオドアが私に気づき少しためらったが、彼女は構わず立ち上がって出迎える。私も存在を消すよう二人から体ごと背いた。

「あの…頭痛に効く薬ってありますか?母さんが調子を悪くしたみたいで…」
「はいはい、ありますよ。五包ぐらい用意しましょうかね。黒さーん、ちょっと騒がしくしますけどいいですか?」
「構わぬ」
「ありがとうございます。さ、セオドア様もお座りになって」

 私は壁を眺めるのをやめていた。彼女が常に腰に着けている携帯鞄を開け、中身を机に広げる。何本もの濃い茶色の容器、小さな木の匙、正方形の紙束、まとめられた細い紐…すでに薬は調合済みという訳か。彼女の意外な技能を知り、私は内心で驚いていた。

「えーっと、まだ十分残っていますね」
「良かった。…エルダさん、この薬ってどんなものが入っているんですか?」
「これですか?基本はメグの実やシューユの実ですねぇ…あとはショウキョウとレガノーの葉も入れてます」
「レガノー?」
「え?」
「え?」

 しまった、つい口に出た。私は注目されたまま一つ息をつき、観念して彼女たちの元へ歩んだ。

「…私の知る配合には含まれていなかった」
「あぁ、これ、私の独自レシピなんてすよ」
「ほう………苦味を抑えるのか?」
「あーそうですそうです!乾燥させる前に熱湯にくぐらせておくんですけど!黒さんお詳しいですねぇ…って、すいません、熱くなっちゃいました」

 苦笑する彼女の手つきは素早い。指を差して説明していた粉末をあっという間に包み、セオドアへ差し出した。

「なるべく空腹時は避けて、一日二包まで。ローザ様にお大事になさって下さいとお伝え下さい」
「はい、ありがとうございます!」

 セオドアを見送ってから、彼女は片付けの合間に私に話し掛ける。

「効能まですぐ分かるなんて流石ですねぇ!」
「…昔に少し囓っただけだ。そなたこそ、相当手慣れているようだったが」
「ああまぁ、話すと長くなるんですけど…元々は母に仕込まれて、黒魔道士団に入ってから本格的に研究を始めたんです。城ではエーテル作りばっかりやらされてましたけどね」
「エーテルを練成出来るのか…大した技量だ」
「えっ!?そそそそんなことないですよ!城ではずっと雑用でしたしそもそも見込みがないから雑用をしてた訳で!」
「……」
「あっ……あの…すみません…そうですよね。私にはこれしか取り柄がないんだから、戦ってる皆さんの足を引っ張らないように、もっと精進しなくちゃですね!」

 そう言って彼女は急いで作る。痛々しい笑顔を。
 見抜けたのは、ある程度の種類のそれを、これまで向けられてきたからだろうか。

「あ、あの、戻ります!あっ、本、本っと……じゃあ黒さん、ありがとうございました!また!」

 慌てて持ち出していた冊子を棚に返し、彼女は逃げるように退室していった。
 残された私はすぐそばの椅子に座り直す。
 …人の心理を読み取ろうと深く深く探るのは、ある意味忌まわしい癖だった。そうする必要の無い相手にも、弱みを握ってやろうとあらゆる感覚が働いてしまう。だから皆から距離を取ったつもりだった。
 彼女は戦闘に参加出来ない自分を恥じている。この陣営を支える者として、十分過ぎる貢献を重ねているにも関わらず。軍部で辛い経験があったのか、控えとはいえ黒魔道士の戦力として数えられている現状に責務を感じているのか。何にせよ、彼女にとって重きを置くべき事柄は戦えるか否かであるらしい。
 彼女が最も真価を発揮する場所はこの船の中で違いない。そのような彼女が前線へ赴く事態はあってはならない。それに…そもそも彼女が血に濡れ、血を流し、笑顔が苦悶の表情に変わってしまうところは…目にしたくないと思っている。
 だから私が戦おう。他の魔道士が疲弊したならば、彼女ではなく、私がその分働けばよい。
 それが私なりの…彼女の守り方なのだ。






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