野営
ぱちぱちと静かに燃え続けるたき火の前に座り、私は背を丸め、両手で頬を包みながらふうと息をついた。
帰還したセオドア様と、赤い翼の騎士ではない旅人風情かつ素性不明の男の人。彼らに拾われる形でバロンを脱出して数日。そろそろミストの断崖へ到達する頃だった。
バロンは魔物を率いる謎の侵略者の手に堕ちてしまった。だけど、表向きは魔物は討伐されたことになっている。厳戒態勢は解かれず城は封鎖され、たまたまその時城下町にいた私も閉め出される羽目になった。まぁ、そのおかげでセオドア様に会えてこうしていられるんだけど。
少し離れたところで横になるセオドア様を確認する。さっきまでうなされていらっしゃったけれど、もう落ち着いて今は眠っていらっしゃる。初陣すらまだ早い年頃の彼が負ってしまった心の傷は察するに余り有る。胸が、痛い。
と、かすかな物音。程なくして人影が現れた。
「お帰りなさい、剣士さん」
「あぁ…」
剣士さん。素性不明の男の人。隊を喪い遭難していたセオドア様を助け、ずっと同行してくれている。いくら聞いても名前すら教えてくれないから、勝手にあだ名をつけてやった。
彼はセオドア様に目を配ってから、私の隣に歩み腰を下ろした。
「様子は?」
「少しうなされていらっしゃいましたけど…目を覚ます程ではありませんでした」
「そうか…君が加わってからずいぶん和らいだ…感謝する」
「いえいえ、大したことなんてしていませんよ。セオドア様がお強いんです」
「…毎晩寄り添って見守ってやることが大したことではないと」
「えっ、それぐらいしか出来てないじゃないですか」
「…そうか」
それきり剣士さんはたき火の方を向いて黙った。
布地は多いけれど、動きやすそうな服。異国の衣装なのだろうか…ターバンを頭に巻き、金の長い髪がまるで顔半分を隠すように垂れている。紫色の瞳は切れ長で女性顔負けに睫毛が長く、でも無駄な肉の無い顎周りの輪郭は男性的で、鼻筋も高く通っている。暗闇の中、炎に照らされて出来た影がその造形を際立たせていた。
初めて会った時から思っていたことだけれど、この人にはどうにも言葉にしづらい色気がある。どことなく気怠げで、厭世感のある物言い。冷静で現実的な判断を下しながら行動しているはずなのに、佇まいやその身に纏う空気というものが、周りの景色に馴染んでいない気がしてならないのだ。
例えるなら…そう、歌劇の登場人物に扮した役者のような…実在と架空の人物が混ざり合った、どちらとも呼べる状態。そんなことを考えてしまうのは、人を避け山に籠もっていたという文字通り俗世間を離れていた境遇のためか、役者と遜色ない整った目鼻立ちと声のためか。
そうよね…この人、今はこんな格好だから分かりづらいけど、絶対とんでもない美形に違いない。そんな人がどうして修行僧みたいなことをして、セオドア様に近づいたんだろう。
「私の顔に何か付いているか?」
「!」
声をかけられ、妄想から飛び起きた。
「えーっと、目が二つと鼻が一つと口が一つですね」
「なんだそれは」
「あはは」
あぁまずい、意識し始めたらドキドキしてきた。だって、こんなに背が高くて剣術に秀でていておまけに顔もいい男の人に面と向かって話しかけられたことなんてないもの…。
私は動揺を悟られないように、星空を仰いで話題を切り替えた。
「あーあ、それにしても落ちこぼれの私が王子の護衛を務めることになるなんて、人生どう転ぶか分かんないですね」
「落ちこぼれ?」
「そうですよー。黒魔法の適正があるから団に入ってくれってしつこく言われて、仕方なく入ったら飲み込みが悪いだのそもそも町娘が魔道士になれるものかだの、ひどいもんですよ。まぁ講義についていけてなかったのは事実ですし?他で挽回出来るように頑張ってるつもりですけど」
剣士さんは一瞬目を伏せてから。
「…彼らは井の中の蛙だ。実践では君のように行動力を伴う者が何より力になる」
「ふふ、ありがとうございます。その辺りは私の強みかなって思ってるので、嬉しい…です……」
彼が私をじっとを見据えていたことに気づき、私の語尾は弱まっていた。
暗がりの中だからなのか、いつもよりずっと鋭い眼光。私の軽口に対する返答とはとても思えない、真摯な姿。
…あぁ、やっと収まっていたのに。あなたは、隠したはずの私の劣等感を見抜いてしまったの?
「そ、そんなに深刻に悩んでた訳じゃないですから、だっ大丈夫ですよ!」
「それならいいが」
「さぁ寝ましょ!剣士さんも、明日に響きますから、ねっ」
「…フッ」
とどめに放たれた、眼力の和らいだ…警戒心の解けた微笑み。私は思わず後ろを向き、心臓の納まる部分の胸を押さえつけた。
そういう甘い表情は!反則!直視出来ません!
「また怒鳴られてしまうからな。従うとしよう」
「もー、それはあなたたちが無茶をした時の話でしょう…」
熱い頬。急に疲労が表に出る全身。私はよぼよぼと力の入らないまま用意していた寝床に潜り込んだ。明日に響いたら全部あなたのせいだ、と心の中で何度も唱えながら。
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