黒さんと私2

「あ、おかえりなさい黒さん!今日も一日お疲れ様です」

 小さく上がった物音を聞き逃さず、私は彼を出迎えた。あーあ、面倒そうな顔されてる。
 私たちがいるこの場は魔導船の食堂。いるというか、私は残ってたなんだけど。
 黒さんは皆と一緒に食事を取ることがほとんどない。当番の人たちがあらかた片付けて解散した後にこっそり現れ、残った分をさらっていく。探索隊の前線として日中は戦い、船に戻ってからはセシル陛下の介抱と、身を粉にして貢献する彼が思う通りに過ごせるよう、周りは気を配っている。
 もちろん私もそのつもりだけど、皆と違う方向で、という自覚もある。

「良かった、ちょうど温め終わるところですよ。座ってて下さい」
「……」
「今日は何と、奮発してお肉を使っちゃいましたー!」

 しんと静まり返る空間。私はお構いなしに厨房へ移動し、食事一式を運んだ。通り口に近い位置のテーブルにそれらを置いて少し距離を取り、やっと黒さんは歩みを進めた。
 後ろに手を回し、期待にゆらゆら体を揺らす私に向かって彼は口を開く。

「一人にしてくれ」
「ちゃんと"いただきます"を聞いてからです」
「……」
「ここは絶対に譲りませんよ。全ての食材に感謝、です」

 黒さんの眉がわずかに動いた。彼の感情にも何かしらの動きがあった証。そして、目が合う。
 セシル陛下と同じ色をした瞳。とても深く、とても強く、とても…澄んでいる。
 なのに、どうしてあなたのその両目は濁っているのだと主張したがるのだろう。そんな意固地な音を伴わない言葉が、より私を鬱陶しく振る舞わせているというのに。
 急に白銀がひるがえり、私ははっと意識を取り戻した。黒さんは拍子抜けする間の短さで、すでに席についていた。

「…いただきます」
「えっ!?あっ、はい、召し上がれ!」

 裏返った返事。私はとたんに恥ずかしくなってしまい、逃げるように厨房に駆け込んでしまった。
 あ、ああぁ、驚いた……もっと渋ると思って腹を括ってたのに、あ、あんなにあっさりと…。
 ……静かな、声だった。少なくとも、仕方なしに言った調子じゃなかった。何だろうな、だからやっぱり、ほっとけないのかな。
 気を取り直し、私は残りの後始末に入る。今日も鍋の中身は全部空っぽ。食事が喉を通らないような負傷者が出なかったということ。こういうところでも、安堵を覚えるようになった。

「んっんー…あしたーのー天気ーは何だーろーなー…あしたーも晴ーれーがーいーいなー…」

 ざぶざぶ、がたがた。故郷に伝わる名も無き歌を口ずさみながら、勢いよく水を出し、器具をてきぱき豪快に洗っていく。すっかり板についたものだ。

「まぁここじゃまず青空が存在しないけど……ってうわあああ!?」

 ひっくり返した鍋をごんと置いて顔を上げると、食堂と厨房を繋ぐ通路を塞ぐように黒さんが立っていた。私は思わず悲鳴を上げ飛びのく。手が鍋にぶつかり、大きく傾く。

「わぁ危ない!…もーいるなら声かけて下さいよぉ!」
「……」
「な、何ですか!?足りないならあっちの棚に携帯食がちょっとだけ残ってますけど!?」
「…これを」
「へっ?…あー、これはご丁寧にどうも…」

 のそのそと近づいてきたので身構えてしまったが、黒さんが差し出した食器に合点がいった。受け取り、水を溜めた桶の中に沈めておく。
 これで洗い物はおしまいかな。あとは軽く床掃除をして、食料庫の点検をして…って。

「…あの、まだ何か?」

 いつも追い払われる側なのに、今日は逆の立場のような気がする…。どうしよう、気まずい。いや、会話する絶好のチャンスなんだろうけど、完全に仕事の頭に切り替わってたから何も思いつかない…うぅ勿体ない…。
 はるか遠くの黒さんの視線も私と同じように泳いでいた。けれど、やがてはしっかりと見定める。
 ぽつりと一言。

「美味かった」
「!」

 あぁ、やっぱりこの人は優しい。優しくて、何が人にとって当たり前で大切なことなのか、きちんと分かっている。
 私は何だか泣きそうになりながら、精いっぱいの笑顔を浮かべ、応えた。

「はい、お粗末様でした。他の方にも伝えておきますね」
「結構だ」
「作ったのは私だけじゃないので駄目でーす」

 唇を結び、迷惑そうないつもの表情になって、黒さんは立ち去っていった。まぁ、うん、機会があったらというか、そういう話題になったら言うことにしておこう。だって、申し訳ないけれど、これはもう少し私だけの秘密にしていたい。

「ゴルベーザなんて呼んでさ、悪人扱いしてるのは誰だってんだ。………あぁ、本人か…」

 独り言に独りで脱力。いつになったらあの人の耐えるような厳しくて痛々しい眼差しは和らぐのだろう。
 セシル陛下の心がお戻りになった時?それとも、この戦いが終わって私たちの星に帰った時?
 …その姿を、私も一目見届けることが出来れば…その日まで、足手まといでしかない私だけど、少しでも力になれるよう、頑張ろうと思う。






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