小さな邂逅

(少しポーションを買いすぎたか…)

 紙袋に隙間無く詰められた薬瓶を見下ろしながら、バロン国竜騎士団団長、カイン・ハイウインドは考えた。
 買い出し自体が久々のものであった。そのような雑務、普段は部下たちに任せているが、今回彼らの手を借りることは出来ない。謀反を疑われた親友と共に、僻地へと出発する前日なのだから。

(まぁいい…二人旅だ、多いに越したことはない)

 がちゃがちゃ。先程から瓶がぶつかる音が耳に障る。カインは一旦歩みを止め、袋の中の配置を整えようとすぐそばの建物の壁に背を預けた。
 商店が立ち並ぶ通りとは全く異なる静けさだった。ここは貴族、それも軍に携わる一門の邸宅地である。一般市民は寄りつかず、あとは単純に住人の多くが城へ出払っている。その城への帰路として一番都合の良い道であることをこの竜騎士はよく知っていた。
 と、そこへ足音が聞こえてくる。反射的に顔を上げ、そしてカインは驚きで兜に隠された瞳をわずかに開いた。
 背の低い少女が一人、ぱたぱたとエプロンドレスをはためかせて走っていた。彼が目を奪われたのは彼女の髪。あの友人と似た色。耳の上の一束を編み、飾り紐のように後ろへ流し、模様の彫られた髪留めで固定している。小綺麗に整ったその髪型は友人の幼き面影と同じであり、二人が重なって見えるようにすら思えた。
 少女はカインの前を横切り、速度を緩めないまま駆けていく。それを彼がずっと追っている。
 そして、姿がさらに小さくなり始めたところでいきなりひっくり返った。彼が思わず身を乗り出してしまう程の、見事な転びようだった。
 見捨てる訳にもいかないだろう。カインは動き、少女に声を掛けた。

「大丈夫か?また派手に転んだな…」
「!!」

 膝を立てて座り込み、ぶるぶると痛みに耐えていた少女が飛びのくように後ずさった。気丈に唇を噛みしめ、目線を合わせるために跪いたカインを睨みつけている。

「怪しい者じゃない。買い出しの帰りに通りかかっただけだ」
「……」

 十に届かない程度の齢だろうか。彼女の滲んだ瞳には、不審者に対する警戒心。そして何より。

「…み…見ていたの…!?」

 羞恥心が満ちていた。それを察したカインが継ぐ。

「別に言いふらしたりせんさ。それより脚を見せてみろ」
「ち、ちょっと!」

 再び少女が後ろへ引き、慌ててスカートを押さえつけた。擦り剥いた膝頭の痛みに顔をしかめ、しかしやはり強がった声色のまま答えた。

「これぐらいの傷、もう治せるんだから…!」
「何?」

 自身の傷口にかざされる両手。まもなく、その周りの空間が不思議に揺らめいた。
 竜騎士はさらに驚いた。この波動は白魔道士の卵のそれである。武芸一辺倒で魔術の最初の一文字も理解出来ない彼だが、これには身に覚えがある。
 この少女に重なった面影がいつか施してくれたのだ。懐かしさとある種の痛みが同時に胸に刺さり、その一幕を記憶の海から引き揚げる。
 彼はそうして再生された別の光景も同時に眺めながら、本人と同じ程真剣な面持ちで少女を見守った。

「ん……あ、あれ…?」

 傷口はほのかに光っているが、それ以上の変化は訪れない。少女は何度も挑戦する。しかし、やはり魔力が視覚化するのみであった。
 ただ未熟なだけだろう。何せ彼女は思い出の中の白魔道士よりまだまだ幼いのだから。

「えいっ、えいっ!」
「……」
「もうっ、今度こそ…!」

 なかなか諦めきれない少女を遮り、カインがポーションを一本取り出して雫を垂らしてやった。あっという間に擦り傷は完治し、ただ少女は不服そうに兜の中身を見上げている。
 機嫌を損ねてしまったことも影響しているだろうが、吊り気味の大きな瞳が発する力が印象的な顔立ちだった。利発そうであり、物怖じせず、もう少し言えばこの年頃ならではの生意気さも兼ね備えていた。

(何だ…大して似ている訳でもない)

 何故か、安堵の感情。

「もう、どうして治しちゃうのよ!」
「日が暮れるまで付き合える程暇じゃないものでな」
「うぅ…で、出来ないのは今だけよ!魔法の勉強が始まって、お父様が本を読むのを許してくれたらすぐ使えるようになるんだから!」

 少女の宣言に対し、カインは茶化すこともなく自然に返していた。

「あぁ、俺もそう思う。だからしっかり勉強して、立派な白魔道士になれよ」
「えっ…!?あ、う、うん…ありがとう…」

 一転、率直な激励に少女が狼狽する。頬を赤く染め、急にしおらしくなった姿が微笑ましかった。

「あの…あの、これ…返すわ」
「ん?あぁやるよ。買いすぎたと思ったが、このためだったらしい」

 持たせていたポーションの瓶をそのまま留め、カインは代わりに反対の手を引いて彼女を立たせてやった。そうして去ろうとしたが、呼び止められて振り返る。
 滅多に露わにしない双眸まで真っ直ぐ射抜かれている。再び、訂正。顔の造形や振る舞いが似ているのではない。眩しいとすら感じるこの眼差しが共通しているのだ。
 少女は精いっぱい胸を張り、両手で唇を囲んで離れつつあった彼に叫ぶ。

「あなた、お城の兵士さんでしょう!?私が大きくなって魔道士団に入ったら、一番にあなたの怪我を治してあげるわ!それまで待ってて!」

 ふ、と微かに笑みだけ零し、片腕をひらりと挙げて応え、カインは少女に背を見せた。





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ぉすとさんより頂きました、「カインがローザに似た幼女に出会う」でした。
リクエストありがとうございました。




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