イキシアを胸飾りに

 大きな鏡に被せられた布を取り払う。その中に映る私の顔はとても機嫌が良さそうだ。右から左から肌の状態を確認し、くいと唇の端を上げて笑みを作る。別に、これからめかし込む訳ではない。けれど、鏡に向かえば女は気取りたくなるものだ。

「何をしているんだ?」
「あらおかえり。ただの暇つぶしよ、あなた遅いんだもの」
「それは悪かったわね」
「冗談よ。さ、座って」

 若干苦笑いを浮かべたバルバリシアが近づく。私は彼女に席を譲り、真後ろに立った。
 私と彼女はもうずいぶん長い付き合いだ。行動を共にするようになったきっかけは曖昧になってしまったが、彼女の片腕としてここまで添って過ごしてきた。と言っても、私の実力なんて治癒術が少し使えるぐらいで、末端の兵と大して変わらないんだけどね。

「もう、また傷んでる。私がいない間もちゃんとお手入れしてっていつも言ってるじゃない」
「この程度なら傷んだ内に入らんだろう」
「駄目駄目、髪は女の命なのよ。あなたもよく分かってるでしょ」
「はいはい、お前の説教癖も治らないわね」
「お互い様って言いたい訳?」

 軽口を飛ばしながらたっぷり流れる髪を一房取り、そのまま手の中で滑らせた。眩い金色がきらきらとさらに輝く。バルバリシアの、そして何より私の自慢であるこの髪に櫛を通し整えるのは、私にだけ許された最上の役目。
 私はもう一つ椅子を持ってきて腰を下ろし、足を組んで枝毛の剪定を始めた。今度改めて場を設けてきちんと切り揃えるのもいいかもしれない。
 鼻歌交じりに慣れた手つきで進めていく。バルバリシアが鏡越しに私を見つめているのが分かる。四天王という肩書きから離れ、ただの私の親友となったその眼差しが好き。ほんのわずかだけになってしまったあなたを独り占め出来る時間。いつからそれ以外と逆転してしまったのかしら。

「今回はどうだったの?」
「大した収穫は無かったな。もう少しゴルベーザ様の役に立ちたかった」
「ふぅん。毎度、二言目にはゴルベーザ様…妬けちゃうわ」
「何を言うの、エルダ」
「だってそうでしょ?私からあなたを取り上げちゃったんだもの」
「……」
「何てね、言ってみただけ。あの方には私も感謝してる。弱い私も一緒に拾い上げて下さったんだもの」

 くすくすとバルバリシアをかわし、櫛に持ち替えて毛先から丁寧に梳かし始めた。バルバリシアは呑気に大あくびなんかしちゃってる。

「…ま、でもあなたがゴルベーザ様に心酔する姿を初めて見た時は本当に妬いたわよ。あなたが男になびくなんて思ってなかったから。あ、もちろんそういう意味じゃなくてよ?」
「まぁ確かにあの頃はなぁ…」
「若気の至りってやつね、お互い」
「まだそんな歳じゃないだろう。でも…そうね、視野は狭かったか」
「そういうこと」

 少しずつ櫛が彼女の頭の方へ上っていく。長さも量もとても多く、武器としてはあまりにも美しい金の髪。私以外、ましてや男になんて絶対に触らせたくない。触らせない。

「あなたの髪はいつ見ても綺麗だわ…絶対に短くしちゃ嫌よ?」
「またその話?耳にタコが出来るわ」
「イカも出来るまで言っていいくらいだわ」
「何だそれ」

 けらけらとバルバリシアが高い声で笑った。

「短くするつもりなんてない。そうしたらお前に梳いてもらえなくなるだろう?」
「あらぁ、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
「たまにおだてておかないとエルダは拗ねるからな」
「よくご存知で。じゃあもっと言って」
「調子に乗らない」

 彼女は振り返り、私の額を指で弾いた。
 二人きりでいる時は、私たちはずっと変わらないままでいられる。こうやってお喋りして、ふざけて。明日になればまた、彼女は私だけの彼女でなくなってしまうから、なおさらこの時間を大切にしたい。
 違うわ、そんなもの壊れて動かなくなってしまえばいい。いつもそう願っている。
 …願うだけなら罪にならないわ。
 前に垂れた毛を指で掬い、背面へと流す。白い首筋に指の腹が掠め、バルバリシアが小さく揺れた。

「あ、ごめんなさい」
「いや」

 それきり黙って残りも終わらせていく。頭の部分は特に慎重に、優しく。何ならもう、肌から櫛の先を浮かせるぐらい。こうやってずっと彼女に私の心地良さを染み込ませてきた。誰のところへも行かないよう。必ず私の元へ帰ってきてくれるよう。

「はい、おしまい」

 私は立ち上がり、後ろからがばりと両腕を回してじゃれついた。バルバリシアは拒まず私をそのままにして、自分の毛先で遊んでいる。

「ありがとう。やはりお前にしてもらうと全然違うわね」
「そう?同じ道具を使っているんだから、あなたにも出来ると思うけど」
「出来ればお前のところには来ていないわ」
「あらぁ、二つ目いただいちゃった」

 ぎゅっと腕に力を入れる。温かくて柔らかい、女性特有の弾力。どれだけ鍛えても、どうしても男との間に一定の溝は出来てしまう。あなたはそれを悲観することなく自らの魅力を把握しているのだけれど。そういうところが三流と決定的に違っていて、まるで自分のことのように誇らしいの。

「ねぇバルバリシア…あなたが今より強くなって、今よりもっと高いところへ登ってしまっても、ちゃんと私も連れていってちょうだいね」
「うん?何を今更。エルダはいつもしっかりついて来ているじゃないか」
「フフフ、分かってもらえて嬉しいわ。それじゃあこれからも遠慮なく」

 するりと抱擁を解き、私たちは笑い合った。
 バルバリシア、好きよ。いつまでもあなたの隣にいられるよう、いつまでもあなたに触れられるよう、私、ずうっと願い続けるから。
 いいえ、それだけじゃない。あなたの心がどこかの男に向いてしまわないよう、ずうっと最高の親友を演じ続けてみせるわ。ね?





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せんさんより頂きました、「バルバリシアとの話」でした。
リクエストありがとうございました。




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