5.

 一日の勤めを終え、ディーナは自室に下がっていた。食事を担当するようになってから城内を動き回る時間が増えたが、それでもまだまだ忙しいとは思えない。

(未だにご主人様がいらっしゃる時はお部屋に入ることを許されていないし…。侍女として一番重要な仕事をしていないんだもの、当然だわ)

 始めはその辺の使用人と変わらない扱いかと落ち込んだが、用心深いゴルベーザに試されていると気づいてからは腐ることも無くなった。そして、成果は着実に目に見える形となって返っている。
 あとは湯浴みをして眠るだけだが、その前に今日出来たエプロンのほつれを直してしまおうと、裁縫道具を取って机に向かう。

(明日は食材が届くから早めに起きないと…。あぁ、布地も一緒に来るって言ってたわね)

 ちりりん。

「えっ?」

 針を片付けていたディーナがはっと顔を上げた。頭の中に響いた鈴音。彼女だけに聞こえる不思議な呼び鈴。
 空耳であるはずがないと判断し、彼女は急いで主人の寝室へと向かった。ここから目的地までそう遠くなく、この一画は後は無人である。
 緊張しながら扉を叩く。そして、ディーナは初めて主本人が居る状態で、その中へと足を踏み入れた。

「そう力むな。来い」
「はい…」

 ディーナの視界に、月明かりの下佇むゴルベーザの姿が入った。鎧を全て取り払い、寝着であろうゆったりとした薄紫のローブを身に着けている。このような出で立ちを見るのは侍女であるディーナも初めてであった。彼女は息を呑みながら、彼のその身体を見つめていた。
 端正でありつつも威圧的な顔作りに見合った立派な体躯。ローブの内側の、重厚な鎧を難なく纏うことを可能とする、隆々とした筋肉を想像するのは容易い。

「…忠実すぎるのも考えものだな」
「あっ、し、失礼しました!ご用件は…?」
「執務室に本を置いたままにしていた」
「かしこまりました。どのような装丁でしょうか?」
「赤だ。他より小さいからすぐに分かるだろう」
「はい」

 ディーナが一礼し、踵を返した。

*

「あぁ、これだ。ご苦労」

 本を渡し、そのまま下がろうとしたディーナだったが、ゴルベーザが制する。

「酒の用意を。…そうだな、甘みのあるものがよい」
「かしこまりました」

 保冷庫より見繕ったワインを持ち、流れるような動作でディーナが準備を進める。注がれたそれをゴルベーザが含んだ。

「……」
「お口に合いませんでしたか…?」
「いや」

 もう一口飲んで、グラスを置いた。座った時の癖である頬杖をつき、横に立つディーナを見上げて言う。

「ディーナよ。お前は私をどう思う?」
「どう…ですか?全身全霊を捧げ、お仕えしたいご主人様でございます」

 彼女の言葉が気に入らなかったのか、ゴルベーザはふんと鼻を鳴らした。

「口では何とでも言えよう。腹の底では嫌悪しているのではないか?」
「いいえ…それはありませんわ」

 ディーナがゆっくりと微笑む。それはとても自然な笑みだった。
 彼は多くを殺した。ひとつの国家を混乱に陥れた。恐ろしく非道で、野心家。しかし、感情だけで断じることはせず、配下の働きを正当に評価し、それとなくディーナを己への反感を持つ者から遠ざける、そういう主人でもあった。

「私は…あなた様に救っていただきました。そのご恩を忘れたことなど一度もございません」
「…くく、救うか。そう思われていたのであれば、こちらも好都合だ」
「はい、そう捉えていただいて結構です」

 ゴルベーザが機嫌良く笑う。ようやく自分の忠誠心をきちんと伝えられたと、ディーナも嬉しく思った。

「明日から常に出入りすることを認める。お前の思うように動け」
「…!あ、ありがとうございます…!」

 ゴルベーザがグラスを空け、そのままディーナに差し出した。彼女は滲んだ瞳を細め、瓶を取って中身を満たし、それから深く頭を下げた。






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