雨とままごと

「おはようございます。お早いですね」
「おはよう。流石にこの音ではな」
「ふふ、私もです」

 やり取り後、二人して窓を見やる。日の出前後の時刻だが、外は真っ暗闇の豪雨だった。村の名産品である織物に携わる者たちは揃って休日だが、彼らにとっても、そうでない者にとっても憂鬱な一日の始まりである。

「予報通りとはいえ、すさまじいな…。まぁ、風が無いだけましか」
「本当に…。あ、セオドール様、お飲み物はいかがなさいますか?」
「そうだな……コーヒーにするか」
「はい、ではお願いします」

 調理場に移動し、火をおこす。ディーナは朝食用に残しておいたスープを混ぜ、戸棚から取り出したパンを切り分ける。セオドールは一式を各所から集め、豆を挽きにかかる。部屋と身体も温まり、この薄暗いままの世界がすでに朝を迎えていることを実感する。
 自慢のコレクションの中からマーマレードを選択し、バターも持ってディーナが一足先に席についた。セオドールは巨大な背を精いっぱい丸め、黒い雫が染み出るフィルターとひたすら睨み合っている。この村に居着いてから新たに出会った嗜好の一つだった。

「待たせたな」
「ありがとうございます」

 彼女の分には少量のミルクを。そして、食事が始まった。
 質素ながらもしっかりと味の詰まった黒パン。豆類と根菜をふんだんに使い、街で流行りの隣国を真似た味付けのスープ。セオドールの皿には燻した肉のスライスも乗っている。天候如きでは左右されない、穏やかな朝食のひと時。

「今日のご予定は?」
「無いな。書庫へ移動する気も起きぬ…お前は?」
「私も特にありませんね。資材の棚卸しをしようとも考えていたのですが、明るくなりそうにありませんし」
「うむ…今日ぐらいは暇を持て余して怠けるのもよかろう」
「はい、ゆっくりおくつろぎ下さい」

 夫特製のカフェオレを一口飲んだディーナがにこりと微笑みうなずいた。

*

 時計の針がいくらか回り、本来なら日の登りきった昼下がり。

「……あの、セオドール様。そろそろよろしいでしょうか…?」

 ディーナはリビングのソファで呆けるセオドールに呼び止められ、膝上に乗せられ拘束を受けていた。時折思い出したように抱き直されて、頭頂付近目がけての頬ずりを食らわされる。
 これが彼の"暇の持て余し方"なのだろうと付き合っていたが、あいにく彼女は意思を持った人間であり、しかも一分一秒にまでその場にふさわしい価値を見出したい性質である。現在の優先順位は、夫より仕掛かり中の食器の位置替えの方が明らかに上だった。

「お前は先程からちょこまかと、普段と変わらんではないか」
「ええまぁ、やれることはいくらでもありますし」
「…ん?もしや、怠ける対象に己は入っていないつもりか?」
「え?私…ですか?」
「あぁ得心した…それで朝方のあの返事か」

 ずい、と上空からセオドールが迫る。

「共に休まねば意味が無かろう。私を本物のろくでなしにしてくれるな、ディーナ」
「も、申し訳ございません…!」

 彼の大きな手の平がディーナの後頭部を固定する。
 はっと気づいた時にはすでに唇が奪われていた。逃げ場のないまま紫の瞳に至近距離で見つめられ、彼女は眉を下げまばたきを繰り返す。

「これで手打ちとしよう」

 一転、ぷいとそっぽを向き。

「もう、謝るんじゃありませんでした」
「言うではないか」
「あなた様に触れることを罰としたくないと言っているのです」
「!そ、そうか、すまぬな…」
「えぇ…?ここで正気に戻らないで下さいな…」

 謎めいた沈黙がしばらく流れ。初心な男女のようにお互い明後日の方向を眺めていたが、そのうちセオドールが咳払いの後ディーナを胸元に抱き込み、口を開いた。

「あー…仕切り直すぞ」
「は、はい」
「ともかくだ。今日はお前も動き回らず休んでほしい。明日出来ることは全て明日以降へ持ってゆけばよい」
「あの、セオドール様、そのことですが」
「ん?」
「せっかくゆっくりと時間を使えるのなら…お茶を飲みながらお話しませんか?」
「ふむ、茶会か…良い案だな。ならば、ありあわせで限りなく贅を尽くそうではないか」
「面白そうですね」
「では早速…そうだな、まずは場を作らねば。これを端へ寄せ、食事のテーブルを使うとしよう」

 二人は手を取り合い立ち会がる。リビングを見渡してから、ディーナが窓際へ歩んだ。

「テーブルクロスはカーテンでいかがでしょう?作業場のものを持ってきますわ」
「あぁ。茶葉も菓子も一番上等なものを開けてやれ」
「ふふふ。お皿とカップもお客様用を。お花は…」
「乾燥していてもよければ薬草から見繕ってくるぞ?」
「あら素敵。とっても楽しくなってきました」

 息を合わせてソファを移動させ、ディーナは自身の作業場へ、セオドールは調理場へ。どこまでも健全な、大人のごっこ遊び、あるいはままごと。そんな思いがして、くすくすと笑みが漏れてしまう。
 外は変わらず大粒の雨が地面に叩きつけられている。どの建物もその中も、太陽を恋しがり、曇天を嘆く空気に包まれているのだろう。しかし、この家はきっと唯一全てに楽しみを見出している。
 準備を終えた彼らは向かい合って着席する。毎日を過ごす家に完成した、代用品ばかりの即席の会場。口にするものは紛れもない一級品。そんなちぐはぐの茶会が心から愛おしい。

「なかなか本格的になったではないか」
「えぇ、年甲斐もなくはしゃいでしまいましたわ」
「同感だ。が、それぐらい突き抜けねば面白くあるまい」
「えぇそうですね。さ、では冷めないうちにどうぞ」
「あぁ」

 何故か酒の席のように気取って乾杯に興じてみて。またそれぞれから笑い声が上がる。
 飽きもせず常に寄り添い言葉を交わしているはずなのに、話題が尽きることはない。そんな幸せを噛み締めながら、彼らは時間を忘れて極上の茶会を堪能するのだった。






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