好奇心は誰を殺す?

 居間を占領する大きなソファ。おそらく三人以上掛けであろうそれは、本来はもっと豪邸に置くべき家具であるが、住人たちの希望で慎ましい新居に押し込められた。
 ここに二人揃って腰を下ろす目的は、夫婦の親睦の時間を過ごすことである。身を寄せ合って端に詰めたり、時には夫が横になってくつろいだり。生真面目な彼らはここと寝室以外はただの生活空間と認識しているようで、そういう切り替えを上手く使った日常を送っていた。
 だから、夕食後夫に招かれた場所がソファだと知って、彼の隣に座ると同時にディーナは遠慮なく腕を伸ばしていた。

「いつもありがとうございます、セオドール様」
「うむ」

 渡された土産は片手に収まる小箱。早速開くと彼女の瞳が輝きを増した。

「まぁ、チョコレート!そのお店は…このようなものも扱っているのですか?」
「菓子を仕入れるのは稀らしいがな。さぁ、味はどうだ?」
「はい、いただきます……はぁ、なんてなめらかな舌触りでしょう…」
「あぁ、これは美味いな」
「はい、とっても。あとは、そちらのボトルは何でしょうか?」
「ん?気になるか?」

 内心でセオドールが笑った。
 実はこちらが馴染みの魔術店で目に留まった本命であり、先程のチョコレートは言わばディーナの機嫌を取るためのカモフラージュなのだ。彼女はあの店に置かれた商品を"得体の知れないもの"と警戒しがちであったし、事実彼がそこで掘り出してくる逸品の半数がそうである。
 セオドールがハーフサイズのワインボトルを手に取って見せてやる。ごく薄い桃色の液体で満たされたそれは、ひとまず外見は彼女の眼鏡に叶ったらしい。チョコレートの時と同じ調子で問う。

「シャンパンですか?」
「いや、これはな…人によって味が変わる水なのだ」
「ええ…?」

 一気に声のトーンが落ち、彼は今度は隠さず苦笑していた。

「まぁそう言うな。本当か気になるだろう?…ほら」
「御店主を疑う訳ではありませんけれど…詐欺にはお気を付け下さいませね…」

 ディーナがちくりと苦言を呈し、渡されたグラスのにおいを嗅いでから、恐る恐る傾けた。

「どうだ?」
「ん…えっと、薄い砂糖水のような…あとは、どうでしょう…果実の風味もほんの少し…?」
「ふむ…口か胃に入ることで反応が起きるようだな」
「だ、大丈夫なのですか、そのような代物…」
「流石に害のあるものを売りつけはせんさ。どれ…」

 ディーナの使ったグラスに再び桃色の液体を注ぎ、セオドールが一気にあおった。ごくりと喉を鳴らし、飲み下した直後、顔色が一変する。

「っ!?」
「セオドール様…?」
「な、何だこれは!?まるで酒ではないか!」
「ええっ、ご、ご冗談でしょう…!?……やっぱりほとんど水ですよ?」

 ふちに残った分を一舐めしたディーナはそう言ったが、寄り添う彼の体温がみるみる上昇していくのを知り、心配そうに視線を送る。彼は額に汗の玉を浮かべながら、たまらず何度か咳き込んだ。

「ど、どうやら…詐欺ではなかったようだな…」
「お加減は…!?」
「胃が燃えるようだ…それに、甘ったるい粘液が喉にへばりついて薄れん…。お前と私ではあらゆる相違点があるが、さて何が作用したか…」
「もう、そんなこと分析している場合ですか!今普通のお水を持ってきますから…!」

 駆けていった妻を見送り、セオドールは貼りつく前髪をかき上げソファにどっと背を預けた。
 件の水が血流に乗って全身を巡っているように思う。彼は自分だけこの異常な反応を示す原因を探ろうとしたが、熱がとうとう脳まで到達したらしく、悩ましげに呻いて天井を仰いだ。
 ソファに触れている背中がじっとりと汗ばみ、悪寒が這いずり回っていて、身悶えしては新たに生まれる刺激に翻弄される。それを繰り返していくうちに、段々と刺激の質がすり替わっていく。
 何故、衣服が皮膚をかすめるだけで切なさを覚えるのだろうか。理解の追いつかない後ろめたさ。ディーナに許しを求めたい。一刻も早く彼女の姿を目に入れたい、触れたい。何もかもを差し置き、思考が彼女のことで満杯になっていく。

(あぁ……そうか、これには覚えがある…ぞ…)

 この状態が何であるか、思い至れた頃合いにディーナが戻ってきた。足音を聞き、力の入らない動きで彼が視線を合わせる。同時に覗き込んできた彼女は彼の変化を目の当たりにし、ひどく動揺することになる。
 どこか潤み、据わった目つき。半開きになった唇、乱れた呼吸、血色の良くなった頬。むせ返らんばかりの色香が隠れもせず放出しているのだ。酒に酔った時とは違う、かといってさっきまでのやり取りに燃料が混じっていたとは考えられない。
 ディーナはそんな彼をとても直視出来ず、鼓動を早めながら水のグラスを差し出した。

「ど、どうぞ…」
「…あぁ」

 勢いよく飲み干し、ほとんど叩きつけるようにグラスをサイドテーブルに置いた後、セオドールは乱暴に口回りを拭う。それがまた男らしく、色っぽく、ディーナの心臓がどきりと音を立てる。

「…ディーナ…少々まずいことになった」
「ど、どうしましたか…!?」

 思わず伸ばした手ががしりと掴まれ、ディーナは何一つ把握出来ないまま夫の胸の中に引き込まれていた。服を隔てて伝わる温もりと汗の香り、息遣い。
 彼女の本能が錯覚する。ここは褥であったかと。
 セオドールは切羽詰まった手つきでディーナの背中やら尻やらをまさぐり、懸命に鼻先を耳に擦りつけている。反対に、ディーナは身体の反応を認めながらも冷静になっていた。それだけ彼の様子が異常だった。

「あの、あの、セオドール様、落ち着きになって…」
「…っ!」

 逃れようとディーナが身じろげば、彼がぐっと強張った。熱い吐息が漏れ、いよいよ彼女を拘束してもどかしさを訴えかける。
 彼の様相からして、この中心の塊は至極当然のものではあるが、普段の段階を踏んで互いを高めていく紳士的な振る舞いが一切欠落しているのだ。どう考えてもあの"得体の知れない"水が原因でこうして発情させられているのだろうと推測し、ディーナはあやすよう背を撫で彼との対話を試みた。

「セオドール様…あの、触って構いませんので、確認だけ…」
「ん…」
「っ、その、これって…あの桃色のお水のせい…ですよね?」
「だろうな……っすまぬ、完全に…油断した…」
(男の方が飲んだらこんな風になってしまうのかしら…だとしたら大問題よね…)
「はぁ、ディーナ…」
「あっ、お、お待ち下さいっ…」

 昂ぶりを押し当てられ、ディーナが赤面する。見ず知らずの誰かに降りかかる恐ろしい事故を未然に防いだ、ということにして、彼が余裕を失い求めてくるこの珍しい状況を素直に享受しようともう一度抱きついた。
 彼女の脳の回路にも、非日常という媚薬がすでに絡み付いているのだ。

「セオドール様…しばらくあのお店でお買い物は禁止ですよ?」
「わ、分かった…」
「それから…」

 身を起こし、彼の両頬を包み込むその仕草と、慈しみに情欲が混じったその表情。

「ちゃんとおっしゃって…」

 ぞくぞくと、セオドールの全身が粟立った。
 鼻息をさらに荒くして、暴れる劣情を何とか一時抑え込み、彼は囁く。

「ディーナ…私は…あの水で無理矢理盛っている訳では…ないぞ」
「…?」
「せき止めた水門の鍵を…奪われただけだ…」
「!…もうっ、今宵ぐらいは…私が先導するつもりでしたのに」
「…ハハ……頼めるか?」
「はい、お任せ下さい…」

 重なる唇。あっという間に舌も絡み、ディーナが今の受け答え通り、セオドールの耳たぶを積極的に摘んで責める。普段の彼とは明らかに異なる反応が返ってくるのが実に興味深かった。それから、確かに自身も良くなっているのだが、こうして考え事が出来る余裕が生まれているのが新鮮だった。

(セオドール様も…いつもはこういう感じなのかしら…)
「ふっ……んん…」
「……」
「…っ!?」

 耳の穴にそれぞれ指を一本差し込み、ゆっくりと円を描けば彼の腰が盛大に浮いた。

「!?……!?」
「んっ、あら…」
(とっても気持ちよさそう…)

 腹の奥の疼きがさらに増し、ディーナが艶めかしい微笑みを見せる。一体これは何だとしがみついてくる彼が愛おしくて愛おしくて、再び口を塞いでいた。
 出し入れし、擦り寄せる舌と、ほとんど呆然と受け止めるそれは前回までと逆の役割で。合間合間に陶然と愛の言葉を囁かれ、セオドールはまともに息継ぎすらさせてもらえず、掠れた視界の中押し寄せる快楽に溺れていた。
 まるで女の身体に取り替えられたようだと、毎回自分がそうしているように胸の頂を吸われ、捏ねられ、流れる電流に震え朦朧と考える。
 とにかく隅々まで走り抜ける悪寒とよく似た何かの量がおかしくなっていた。ディーナの体温を同時に感じていなければ、快感より不安の方が勝ってしまうと言っても過言ではない。意識外に腰は突き出されたままで、その中心は触れてもいないのにぎちぎちと張り詰め、痛みすら生んでいる。

(…?……あぁ…)

 ずっと抱いていた焦燥感の正体をセオドールが知る。"ここ"を使わずにこんなにも乱されているのか、と。男というものはそれ程鈍感なのか、はたまたあの水がそれ程恐ろしい品なのか。
 そろそろと動く腕をディーナは見逃さなかった。手を重ね、優しい顔で制す。

「いけません…」
「っ、あ…」

 さすりさすり、布の上から撫でられて、彼は眉をひそめて何度も頭を振った。分かっていると彼女はうなずき、ソファから下り、彼の前を寛げる。途端に弾け出た反り返る逸物を前にして流石に驚いたようで、若干我を取り戻しながら呟いた。

「も、申し訳ございません、お辛かったですね…」
「あぁ……限界だ…」

 くちゅ、と透明な雫がディーナの指にまとわりつく。舐める必要がない程の滴り。彼の唇から零れる音は、これまでより幾分か聞き馴染みのあるものだった。ただ、慣れた感覚を与えられたことに余程安堵したらしく、声を抑える努力をやめてしまったらしい。

「…く…あ、あぁ…!」

 焦らすのは流石に可哀想だと、ディーナは始めから正確に彼を追い込んでいく。それぞれの指に力を入れ、遠慮の無い速度で何度も上下を繰り返し、そのうち真下の双球にも手を伸ばしていた。

「っ!」

 がたんとソファが揺れる。ディーナは手を緩めない。一層潤んだ瞳を見つめ合わせ、荒い息遣いを重ね、さらに先へ導こうとぐちゃぐちゃと音をかき鳴らす。

「あ、あ…う、ディーナ…!」
「いつでも…っん、いいですよ…!」
「ディーナ、ディーナ…っ、出す、ぞ…!」
「はい…!」
「く、ああぁっ…!」

 彼女の指の間から白濁が放たれ、セオドールが一気に脱力した。絞り出すようにもう少し上下を続ければ尚も飽きずに震える。

(…最後までしたのは…初めてかも…)

 再び内側がきゅんと疼く。手で扱く間、彼女もまた自ら太ももを動かし彼と愉しみを共有していたのだ。未だに奥は火照ったままだが、それはそれとして、こうして最後まで奉仕出来たことを嬉しく思う。
 だから、唇を開いた彼女の表情は完全に蕩けきっていて。

「ご満足…いただけましたか…?」
「…っ」

 箍を完全に外された彼の欲を再び煽るには十二分だった。
 天井を仰ぎ、はあ、と呼吸を整えた。熱は、引かない。

「……まだだ」
「えっ…?」

 勢いよく彼が身を起こす。ディーナの脇に手を差し込み持ち上げ、反転させて背を押し、ソファに上半身を押しつけた。

「えっ、えっ?」

 膝を立て、ソファのクッション部分を支えとして尻を突き出す体勢。セオドールも床に下り、彼女のスカートを捲り上げ、下着を摘んで一気にずらした。

「きゃっ!」
「…すごいな」
「!!」

 しとどに濡れるどころか愛液が幾筋も垂れる秘部を見つめ、もがく彼女を抑えながらセオドールが感嘆する。そして、今夜初めてあの桃色の液体に感謝の念を抱いていた。

「前戯も必要なさそうだな…」
「セ、セオドール様…!?」
「次は共に…な?」

 いきり立ったままの己を入り口に当てれば、びくんとディーナが跳ねた。腰を進めれば、本当に何も必要としないまま、彼女は彼を受け入れていった。

「あっ、あああぁ…!」

 ずっと欲しいと願っていた熱を与えられ、ディーナは為す術もないまま声高に喘いでいた。ソファと彼の体にがっちりと挟まれて、身を捩ることすら許されず、埋まった彼を締め上げてはこれまでと比べものにならない疼きに背を反らす。

「んあ、あっ…!?」
「っ、いくぞ…」

 ずんと突き上げられ、ディーナの視界が爆ぜた。内からじわりと湧き上るそれとは違い、外からありったけ注がれる気持ち良さというものに、一瞬で意識を奪われてしまう。

「あ、あ、あっ、あっ!」
「あぁ、ディーナ…よい声だ…!」
「ひ、セ、セオドール、さま、ぁっ、あぁん!」
「私を弄びながら…我慢して、いたの…だろう…?」
「っ、あ、あぁ、んんっ、んっ…!」
「たっぷり…返してやろう…!」
「ああぁ…!」

 執拗に奥を、弱い部分を狙う腰使いに、まともな言葉を紡ぐことを禁じられたディーナはただただ啼いていた。それに満足し、時折頭に唇を落として慰めながらもセオドールは容赦なく突き続ける。

「あっ、あぁん、だめ、だめですっ…!」
「ん…?」
「あ、あぁっ、すぐ、あっ、きちゃう…!」
「っ……ディーナ…ここか…っ?」
「あっあっ、だめ、そこだめっ、や、ああぁ…!」

 あまりにも早く登りつめそうな自分をどうにか留めたいのだろう。ディーナが涙を浮かべて首を振っている。そのいじらしい様子に少々場違いなときめきを覚え、セオドールは思わず笑っていた。

「あっ!あ、セオドール様っ…だめ…きちゃう…!」
「あぁ、構わぬ、よ…!」
「あ、あ、あっ……っあああぁ!」

 大きく背がしなり、一際高い声を上げてディーナが果てた。糸が切れたように力は抜け、襲い掛かる波にびくびくと全身を痙攣させて、息を継ぐ。

「……ぁ……やぁ……」
「…可愛いな」
「っ………もうし、わけ……ございません…」
「ん?何がだ…?」
「……だって……っあ!?」

 敏感になった胎内にまたしても昂ぶりが打ちつけられ、彼女の息が一瞬止まる。ぞわ、と汗ばんだ体を覆う未知の感覚。

「謝るのは…まぁ、私の方だな…」
「んっ…うそ、だめです、待って…!?」
「無理、そうだ…!」
「ひっ、あっ、まって、まだ、まだだめっ…!」
「あぁ、ディーナ、すごいな、これはっ…!」
「あ、あぁ、んああぁ…!」

 ぐちゅりぐちゅりと、様々な愛液が入り交じった結合音。それが途切れることは、おそらくまだまだ先なのだろう。
 諦めた、というよりは、まだ快楽を貪れることを認めざるを得なくて、ディーナはもうそれでいいと、夫の名を呼び、口づけを強請り、それから再び言葉を封じられて咽び啼いた。





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律さんよりいただきました、「毒虫と侍女シリーズ、ゴルベーザが媚薬を盛られて夢主が頑張る」でした。
リクエストありがとうございました。




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