出立の朝

 村から少し離れた場所に広がる平地。その隅に、一組の男女が立っていた。彼らは村の者に挨拶を済ませ、両手いっぱいに手土産を持ち、ある迎えを待っている。
 女、ディーナが空を見上げ、隣の男に話しかける。その声色は明るいものだった。

「いよいよですね、セオドール様」
「あぁ。セシルたちとも上手く予定の調整が出来て良かった」
「はい」

 セオドールが荷物を地面に置き、一歩寄った。見上げるディーナの前髪をかき上げ額に当て、それから頬をゆったりと撫でる。

「すっかり顔色も良くなったな」
「あなた様のおかげです」
「ん?薬はもう……いや、そうだな、それは何よりだ」

 瞳を細めて笑い合う。彼が荷物の前に戻ったところで、空の彼方に浮かぶ船に同時に気づいた。

「来たか。私の後ろに立っていろ、風が強いからな」
「はい」

 船影はあっという間に巨大になり、けたたましい稼動音と共に平地へ降り立った。その中から男が顔を覗かせる。後ろにまとめた金の長い髪。空と同じ晴れの色をした額当て、鎧。
 ディーナが声を上げた。

「カイン様!」
「久しいな、ディーナ!もう少し待っていろ…」

 号令で船体が一度軽く揺れた。壁の一部が外され、代わりに階段が取り付けられる。準備が整い、カインは兵を伴って二人の元へ急いだ。
 懐かしい人物との再会に、ディーナが大きくため息をつく。

「お久しぶりです、カイン様…!赤い翼の部隊長に就任されたとお聞きしました。おめでとうございます」
「あぁ。お前も色々あったんだろうが…俺には、あの頃とさほど変わらんように見える」
「であればそれは…セオドール様がいらっしゃるからですわ」
「フッ、結構なことだ」

 そこでカインは大量の荷物を見やり、兵に言って預けさせた。

「さぁ、中に上がってくれ。続きはバロンに着いてからだな。世間話をする暇も無い程速いぞ、この船は」

 顔を見合わせて、セオドールが先に行くよう促した。ディーナが期待に満ちた表情で階段に足をかける。甲板との段差まで上りきると、待っていたカインは利き手を差し出した。

「お手をどうぞ、奥方」
「あ、ありがとうございます…」

 語尾をすぼめ、ディーナがおずおずとそれを取る。照れたまま段差を一息で飛び、懐かしい船上の景色をぐるりと見渡した。
 感嘆と共に壁に駆け寄り、踵を上げながら村の方面を眺める。その様子を見守りながら、セオドールが続けて甲板に立った。

「…ずいぶん手馴れているようだが?」
「こう見えて実は躾けられていてな。あの顔を毎日向けられた上でそんな物言いとは、なかなか強欲が過ぎる」
「……悪いか」
「悪いとは言っていない」

 舌打ちをしそうな苦い表情。この聖竜騎士ぐらいしか知り得ない一面かもしれない。
 収納される階段を尻目にしながらセオドールが再び問う。

「お前はどうなのだ」
「あぁ…帰った途端、山盛りの写真だ。こんな中年のどこがいいんだか」
「……」
「…まぁ、縁があれば、な」
「そうか…。ところでセオドアは?」
「城でセシルたちと待っている。抜け駆けはずるいんだとよ」
「フ…成程」

 わずかに肩をすくめる独特の所作を見せたカインを横切り、中央まで歩んだ。歴戦を潜り抜けた最新鋭の機体は、一見そうとは分からない程手入れが行き届き、また物や人を二度と傷つけることのないよう、それは静かな佇まいを呈していた。

「セオドール様!」
「あぁ、今行く」

 高揚して腕を振るディーナに応え、彼はそちらへ向かう。その後姿を見つめるカインの唇の端もまた、ついとわずかに上がっていた。

(俺もあのような背中になっていればいいのだがな)
「さぁ出発だ!目的地はバロン城、客人を振り落とすなよ!」

 動力が入る。船底から細かな振動。そのままぶわりと浮き上がり、一気に高度を上げる。
 セオドールに支えてもらいながら、ディーナが風を目いっぱい受けて両目を輝かせた。

「もう村があんな遠くに…」
「あぁ、そしてすぐに城が見えるぞ」

 セオドールが片手を差し出す。しっかりと握りしめ、彼女はその横に並んだ。
 過去を振り返るのはいい。けれど、それは時々だけ。
 体はずっと未来を見ていよう。それは言葉にせずとも交わされた夫婦の約束事。
 飛空挺はさらに高度を増し、彼らの家族を目指して飛び去った。






- ナノ -