家族というもの

 翌朝。ディーナは早くから起き出し、普段にも増していきいきとした顔つきで準備を進めていた。
 パンを切って野菜と茹でた卵を挟み、昨日焼いておいたスコーンや取り分けたジャムの小瓶と共に詰めていく。もう一つのかごを開け、再度その中身を確かめた。紅茶の缶、小鍋、茶器に取り皿、ふきん等々。十二分な品揃えである。

「こちらは終わったぞ」
「あ、はい、すぐ参ります」

 ディーナが急いで玄関に移動すると、セオドールが丸めた敷物を上に乗せた鞄を背負い、待っていた。彼女からかごを一つ受け取るが、すぐにもう片方と取り替える。それからがちゃりと陶器の音が鳴った。

「すみません…」
「得意な者が率先すればよいだけの話だ。さぁ、行こう」
「はい」

 戸締まりを済ませ、ディーナがセオドールの横に並ぶ。自然と彼のたくましい腕を取っていた。
 途中、軽い休憩を兼ねた狩りと水汲みを挟み、彼らは一時間程の道のりをゆっくり歩んでいった。他愛もない話を、例えばこれまで行ってきたセオドールの手伝いの内容や、村周辺の地理と魔物との兼ね合いについて交わし、またディーナによる村人たちの紹介は大いに盛り上がった。

「この辺りが良さそうだな。ほら、村が見えるぞ」
「あら本当…こちら側はこうなっていたのですね」

 敷物を広げ、火をおこしてディーナは食事の場の支度を、セオドールは水場で血抜きまで済ませた獲物の捌きに取りかかった。ディーナがその腕前に魅入る。あっという間に獲物は串焼きの形になり、彼はそれを火の前に刺した。

「先程これを射止めたのは魔法でしょうか」
「そうだ。雷の矢とでも呼ぶべきか…この鳥程度なら一閃だな」
「まぁ…」
「塩はあるか?」
「はい、こちらです」
「うむ…さぁ焼けたぞ」

 すでにサンドイッチを一つ頬ばるセオドールが器用に取り上げ、ディーナの分を皿に乗せてやった。自分は串のままかぶりつく。彼女は鍋の湯の様子を見てからフォークを持ち、いくらか息を吹きかけて食べ始めた。

「美味しいです。捌きたてのお肉を食べたのは久しぶりですわ」
「そうか。そういえば村ではあまり家畜を見かけぬな」
「もの作りを生業にしている方が多いからでしょうね」
「成程」

 早々に平らげたセオドールが満足そうに腹を撫でる。紅茶を渡され、早速口をつけた。
 会話が一段落する。そよ風に吹かれながら、ディーナは残りの肉を咀嚼する。セオドールが紅茶のおかわりを自分で注ぐ。
 世界とは確かに繋がっているが、それでもほんの少しだけ、彼らのために切り取られた空間。二人同時にあくびが出た。

「…ふふ」
「楽しいか?」
「はい、とても」
「私もだ」

 またディーナが笑った。

「スコーンも召し上がりますか?」
「あぁ。これは何のジャムだ?」
「砂漠で採れる果実です。そのまま乾燥させる方が一般的なのですけれど」
「……あぁ確かに食ったことのある味だな。美味い」

 再び一服。
 食事を終え、敷物の上の食器を元通り鞄に片付けて、セオドールが一つ大きく伸びをした。隣の彼女に一言。

「膝を貸してくれ」
「あ、えぇ…どうぞ」

 姿勢を正し、裾を軽く払った彼女の腿の上に頭を乗せた。わずかなくすぐったさに目尻を下げ、彼女が額や頬を何度も触れる。遠くで鳥が一声鳴いた。

「……ディーナ」

 その手を握り、胸の上に一緒に置き。

「はい」

 長く息をはいてから、決意して語り出した。

「…私は…多くの者たちに助けられ、背を押されてお前の元に帰ってきた。私一人だけでは、お前の幻影と向き合うことすら出来なかった。だが…一歩を踏み出す恐ろしさをあれ程味わっていたはずなのに、己はすでに達成したと浮かれ、お前に強いていた…すまぬ…」
「……」
「こうやってただ日々を過ごしていくだけで、すでに良い方向に進んでいる…。私はそのことにようやく気づいたのだ。だから…今は…今日のようにゆっくりと…お前の様々な顔を見つめて……そう、お前が少しずつ変化していくその様を、一つずつ目に焼き付けたいと思う」

 そこまで言い切って真上のディーナを見やれば、横を向いて口元を押さえつけ、滲んだ涙を零さぬよう体中を震わせ耐えていた。握る力を強めれば、容易く決壊して小さく呻く。
 セオドールは振動を頭で受けたまま、深い呼吸を繰り返す。

「……っ、セオ、ドール様…申し訳、ございません…」
「何がだ…?」
「…そうでは…なくて…」
「あぁ」

 手の甲をなぞり、また握り、静かに待つ。その言葉を、その一歩を。

「……あなた様に…こんなにも想っていただけて…とても、幸せです…ありがとうございます…!」
「あぁ…」

 腹に額を擦り寄せてから、彼が身を起こす。今度は抱きしめて、あやすように背を大きく撫でてやった。
 薄い薄い見えない壁が砂粒より細かく砕け、優しく丘に吹き下りる風に乗って消えていった。その壁は二枚。二枚分の粒が混ざり合って、どこまでも広がる青い空へ溶けていく。

「セオドール様ぁ…」
「うむ…ディーナ」
「っ、はい…!」

 名を呼ばれ、ただ返事するだけの、たったそれだけのやり取りを交わすことが出来る関係。今ようやくそこに至れたように思えた。
 次々と溢れ出る喜びも共に抱き込んで、彼は夢中で目の前の頭に唇を落としていく。本人にとっては情けないであろうふやけた声が彼女の口から漏れた。

「…私はお前を泣かせてばかりだな」
「こ、これは…元からです…」
「そうか…」
「それに…っ、い、今は、嬉しいっ…ですから…!」
「あぁ…」

 抱き合ったまま少し経って、何とか嗚咽を落ち着かせたディーナが抜け出し、かごを漁ってから鼻をかんだ。その背は小さく、守りたいという気持ちが自然と込み上がる。けれど、夜半に織機の前にじっと座っていたあの姿とは決定的に違って見えた。

−俺に言われるのは癪かもしれんが、いい背中になったな!−
(…こういうことか、カイン?)

 戦友に尋ねながら、思わず腕を伸ばす。

「ひゃぁっ!」

 指先でついとわずかに撫で下ろす形になってしまい、ディーナが短く悲鳴を上げ、仰け反った。意外な声色は妙な衝撃となってセオドールの頭を一度小突く。急いで振り返った彼女がぎょっとする程に、面食らって間の抜けた表情。

「あ、あの…?」
「……可愛いな」
「えっ!?」
「……ふ、ふふ…ハハハ…」
「え…?えぇ…!?」

 くしゃりと顔の造形を崩し、口を開けて笑いながら、勢いをつけて背後からがばりと包んだ。

「ハハハハ…可愛いぞ…!」
「セオドール様…そんな、わ、笑わないで下さいませ!」
「ふっ……あぁ、ディーナ、お前が愛おしい。あらゆるお前を、もっと私に見せてくれ…」
「っ」

 ディーナがかっと赤くなる。内側から炙られ、汗ばんでしまいそうに熱が増した。早々に見抜かれて、その炎の源を探る手つきにさらに羞恥心が募る。しかし、ただ純粋に生きる証を感じようと重なる温もりに、次第に安心感の方が勝っていく。

「…速いな」
「…あなた様も…」
「そうだな…同じだ」

 茶化さず言われ、こくりとうなずいた。セオドールの温もりが移動し、腹の前で指を組む。
 鳥が一声。

「また、こうして出掛けよう」
「はい。次に町に出られる際は、私もご一緒させて下さいませ」
「あぁ。あの町だけではない。世界のあらゆる場所を見に行こう」
「ふふ…はい」

 二人で空を仰ぐ。いくつかの雲と共に雄大に続く青。先程から鳴いている鳥はいつの間にか二羽となり、並んで遠くの山を目指して飛び去っていった。
 大きな胸板に体重をかけ、ディーナがほうと息をつく。

「…セオドール様」
「ん?」
「私…早く陛下や、ローザ様や、カイン様や、あなた様の伯父様にお会いしたいです」
「あぁ。大丈夫だ…焦らず進もう」
「はい」

 彼を見上げ、にこりと笑う。不要な憑き物が全て落ちた、やっと浮かべることが出来た彼の伴侶としての本当の笑顔。大丈夫、と心の中で彼に倣った。
 二人が揃えば、手を繋ぎ未来へと歩いてゆける。時々どちらかが過去を向いても、もう一人が隣に立ち、やがて呼びかければそれでいい。そうやって、ほんの少しずつの変化が積もる頃にはきっと、もう後ろを振り返る時間すら惜しくなっていることだろう。






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