確かな変化

 村の特産品である織物の棚卸しを手伝う際、セオドールはそれとなく各人の納期について尋ねた。返ってきた予想通りの答えに改めてディーナの誤魔化しを確信する。
 期日などあって無いようなもの。彼女の勤務形態は出来高制であり、得意な柄は流行に左右されない伝統的なもので、こちらから追加分を要求することも滅多に起こらないと担当者は教えてくれた。
 あれから軽く話し合い、寝室に追加のベッドを苦労しながら押し込むことで、何とか問題は着地した。わずかな身じろぎすら許されないと張り詰め通しだったディーナも少し落ち着き、まだ夜中に目を覚ましているものの、その回数は確実に減った。セオドールは諸々の都合を差し置いてもっと早くこうするべきだったと後悔したが、とにかく事態は良い方へ進んでいけそうだと胸を撫で下ろした。
 初回の新築の相談を終え、彼は手土産の菓子を購入してから帰路についた。村長が仲介してくれた隣町の棟梁は、一切の世辞を言わない絵に描いたような職人気質の男だった。あそこまで見事に曖昧な物言いを切り捨てられると手放しで信頼したくなる。こだわりたい箇所だけ次回にまとめて伝え、長旅の間に建てておいてもらおうとすら思えた。
 馬車からの景色をぼうと眺め、彼は振動に誘われるまま両目を閉じた。

(この辺りの魔物はおとなしいものだな…。自然が豊かだからこそ、互いの領域を侵さず暮らしていけるのか…)

 道も整いバロン城直属の兵が駐屯する隣町は、活気が溢れ、様々な人や物資、そして情報が行き交う。ディーナはその恩恵を得るため村への移住を決めたのだろう。
 一度大きく揺れ、馬車が停まった。彼は真っ直ぐ家を目指す。
 鍵を開けても出迎えはない。土産と資料を適当な場所に置き、足早にディーナの仕事部屋に向かった。

「ディーナ…?」

 織機の前で背を丸めた小さな後ろ姿。しかし声に反応しない。はやる気持ちをぐっと抑えそのまま見守ると、そのうち彼女の頭がかくりと一度落ちて戻っていった。
 気配を静めて部屋に踏み込み、もう一つある椅子に座る。作業机に頬杖をついて、彼女の寝顔を真横からじいと見つめた。
 大きく船を漕ぐディーナの表情は無と言っていいだろう。何とか足りない睡眠を補おうと身体が必死になっているのが窺える。
 しばらくすると左手が太ももの上からずり落ち、さらに無防備な傾いた体勢となった。セオドールはそれでも手を出さず、今の彼女を目に焼き付けようと息を殺し続けた。
 これがこの十数年間の本当のディーナなのだ。失言だったと動揺した彼女を気遣って問い詰めなかったが、かつては寝室を使う方がまれだと漏らしたことがあった。異なる世界へ逃げ込むことも出来ず、働き続けては無理矢理意識を落とし、そして目覚めても隣には誰もいない。
 そんな絶望の日々を、口を閉ざし、その唇の内で歯を食いしばり、耐えていた。

「……っ……」

 セオドールが目頭を指で強く押した。天井を仰ぎ、そこに集まったものを散らそうと大きく長く呼吸する。顔をもう一度彼女の方へ戻せば、差し込み始めた橙の光を浴び、瞼がかすかに動いていた。

「…ん……」

 薄く何度かまばたきして、ディーナが身を起こす。視界の端に夫がいることに気づき、さらにしっかりと視線がぶつかって、盛大に両肩が跳ねた。

「セ、セオドール様!?いつからそこに…!?」
「まぁ、少し前だな」
「い、いやですわ…このような姿を…そんな…」

 髪や服を意味なくいじりながら、彼女は真っ赤になって狼狽する。彼は黙っていた。愛おしげに、どこか寂しさを含んだ優しい眼差しのまま。
 心臓の音が高く鳴り、彼女は毒を抜かれた呆けた表情になって、両腕をすとんと降ろした。次に耳の端を淡く色づかせ、目線を彷徨わせてまごつく。最後に乱れた息を整え、重ねた手をしきりに撫でながらそろそろと対峙した。その一連の動きすら全て観察され、また少し恥じ入る。
 しばらくの沈黙の後、ディーナがぽつりと切り出した。

「………夜、以外なら。見えずとも…誰かが活動しています。……それで…その、目が覚めても…せめて…」
「うむ…。強く言ってすまなかった」

 彼女が緩く首を振る。

「ですが、昨晩、あなた様が眠っていらっしゃるお姿を見て…とても、安心したのです」
「起きたのか?いや…私が起きなかったのか?」
「えぇ」
「そうか……あぁ…未だ馴染んでいなかったのは、私もだったのか…」
「セオドール様」

 再度首を振り、それから微笑みを浮かべて。

「嬉しいです、とても」

 それに引き寄せられ、歩みを進め、背と膝を曲げて抱き合う。

「不安になることがあれば、いつでも起こしてくれ」
「はい…」

 わずかだけ見つめ合って、長く口づけた。

「……新居に大きなソファが欲しいな。お前と並んでも、まだ広いものが良い」
「素敵ですね」
「次回の打ち合わせはこちらに来てくれるそうだ。それまでに、より具体的な構想を出さねばならぬな」
「はい」

 セオドールの差し出された手を取り、ディーナが立ち上がった。彼はそれを握ったまま体を反転させる。ゆっくりと二人がその場を後にし、橙色に染まった部屋はこれまでになく温かな空気が満ちていた。






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