秘めた焦り

 因縁としか表現出来ない何とも複雑な関係の戦友と約束を交わした日。
 指定の場で待っていた人影が一つだけであることに気づき、赤い翼の新たな部隊長、カイン・ハイウインドは訝しんだまま飛空挺から降りた。

「セオドール。なんだ振られたのか?」
「次言えば消し飛ばすぞ。ディーナには会えた。だが、身体の調子が思わしくなくてな…今のままでは連れ出すことが出来んのだ」
「そうか…それはすまん」
「快復するまで療養させようと思う。セシルに文を書いた、渡してくれるか」
「分かった。必要なものがあれば届けるが?」
「それも書いている。頼んだぞ」
「任せておけ。…ディーナに伝えてくれ。幸せに…とな」
「あぁ…ありがとう」

 用件だけ言い交わし、カインが甲板へと戻っていく。飛び立つ衝撃を避けようといくらか歩んで距離を取ったセオドールに、上から呼びかける。

「セオドール!」
「ん?」
「俺に言われるのは癪かもしれんが、いい背中になったな!」

 何の話だ、と問い返す前に飛空挺は高度を増し、さっさと小さくなってしまった。

*

「……あ、おかえりなさいませ…!」
「ディーナ、外で待っていたのか」

 飛空挺が飛び去ってしばらくの後。家まで戻ってきたセオドールを扉の前に立つディーナが迎えた。

「まだ微熱が引かんのだろう?無理はするな」
「いえ、この程度ならいつものことです」
「であれば相当に深刻ではないか。さぁ…」

 背を押し促して家の中に入る。椅子に座らせ、額に手を当てた。何となく、という感覚ではあるが、違和感を覚える体温だった。
 セオドールは一つ息をつき、隣に腰を下ろして続けた。

「医者は何と言っているのだ?」
「…疲れが溜まりやすいので、まめに休めと」
「全くの同意見だ。とにかく…お前の体調が戻るまでバロン行きは延期だ。カインにも話をつけておいた」
「本当に…申し訳ございません…」

 深くうつむいてしまったディーナを労るように、セオドールは両腕を広げて抱きとめた。

「カインから言伝を預かっている。"幸せに"、だと」
「……ありがとうございます」

 そのまましばし動きを止め、じっとお互いの存在を味わう。頃合いを見計らって彼女は一度身じろいだが、たくましい腕が解けることはない。

「…あの、セオドール様」
「まだよいだろう」
「えっと…もちろん、とても嬉しいのですが、お仕事に戻らないと…」
「…仕事か。私もいい加減定職のことを考えねばな」
「月へ発つ前にお決めになりますか?色々お話はいただいておりますが」
「うむ…発つまでいくらかありそうだからな。事情を話して進めるとしよう」
「はい。…それで、その」
「離せばお前は際限なく働くだろう」
「もう」

 とうとう呆れの乗った声色を耳にして、彼はようやく腕の中の妻を解放する。彼女はかつて侍女だった当時と同じく、からかわれて損ねた機嫌を最低限だけ出した表情を浮かべていた。久々のその様子に不謹慎ながらも安心感を覚えたが、悟らせないようにして薄く笑った。

「では、用水路の掃除に行ってくる。他の水回りのことも任せておけ」
「ありがとうございます。いってらっしゃいませ」

 セオドールを見送り、ディーナが作業部屋へ移動する。機織の設備が一通り揃い、材料の糸や資料が所狭しと積み上げられた現在の仕事場。山のような資材に囲まれ、織機の前に座れば一つだけの窓から外の景色が小さく見える。最も落ち着く場所であり、同時に彼女の時間を過去へ巻き戻す、そういう場所でもあった。
 棚から黒い布の固まりを取り出してばさりと広げた。完成まであとわずかの彼の新しい衣服。ゆったりとした術師のローブを好む彼だが、動きやすい作業着もいくつかあれば良いだろうと、目を盗んで少しずつ縫ってきた。

(…お召しになって下さるかしら)

 自然と笑みが零れ、思わず愛しげに頬ずりする。明日はどんな献立にしようか。次は何色の服を仕立てようか。近く町へ出た際に、彼に必要なあらゆるものを荷車いっぱい買い込みたい。
 頭の中から必死に、それこそ彼女の魂すら代償にして追いやっていた願望。心に突き立てていた大きな杭をそっと引き抜けば、熱い血潮が再び体中を巡り始め、世界の温度をこの手で感じ取れるような気になった。

(…早く、治さないと)

 ずきりと急激に痛む頭。ディーナは苦い顔でそこに手を添える。

(大丈夫よ…何とか出来るわ…。これ以上ご迷惑をおかけしないように…何とかしないと…!)

 痛みを払うように何度も首を振り、重い手足に言い聞かせて彼女は針箱に手を伸ばした。






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