語らい

 青き星を襲った厄災が去ってから、一週間と少しが経っていた。人々は何とか落ち着きを取り戻し、騒動の後始末に取りかかろうと、国や街の機能が本格的に動き出したところであった。
 そんな中、バロン国が誇る飛空挺赤い翼が国境近くの村の側に降り立った。運んだものは一人の男。彼は静かに目的地の扉を叩く。十数年前に犯した最後の罪を償うために。
 再会を果たした二人は奇跡を喜び合う。何度も顔を寄せ、互いの存在をもう一度心に刻みつけるように、固い抱擁を交わしてあの日の傷を癒していく。やがて日が傾き、瞬く星が姿を現し始めた頃、彼らはようやくただの家族のそれと同じように、食事を共にして、並んでベッドに腰掛け語らいを続けていた。

「…では、あれはあなた様のいらっしゃった月ではなかったのですね」
「あぁ、そうだ。あれはこの星の侵略者が造り出した偽の月。侵略者は去った…もう何にもこの平穏を脅かされることはない」
「はい…。セオドール様、あなた様がご無事で本当に良かった…」
「…心配をかけたな、ディーナ。さぁ、次はお前の話を聞かせてくれ」
「私…ですか?」

 ゆるく顔を上げたディーナが困り顔になりながらもわずかに微笑んだ。

「お話し出来るようなことは何も…。バロンに戻り、陛下に謁見致しまして、あなた様が生きていらっしゃることを知って…あとはずっと…そう、時が流れ過ぎていくのを、ずっと遠くから眺めていたように思います」
「……独りで、か?」

 セオドールの問いに、彼女の唇がまた少し動いた。彼の心臓はぎゅうと音を発しながら強く締めつけられ、痛みすら訴える。黙ったまま深くこうべを垂れ、それから不意に彼女を胸へと抱き込んだ。

「セオドール様?」
「……」

 口を開けば謝罪の言葉が漏れ出てしまう。だから固く閉ざし、ふるりと一度首を振った。ディーナもそれ以上言わず、そっと瞳を閉じて寄り添った。

「………長い、日々だった」

 静寂を破り、セオドールがぽつりと零す。それをきっかけに、まるで走馬燈の如く、これまでの記憶がおぼろげにではあるが、頭の中に浮かんでは消え、流れていく。生きて、生き延びて、生き永らえて、最後にこの両手に残ったもの。それを心から愛おしいと思う。

「はい…ですが、きっと、これからの日々の方が、ずっと長いはずですわ」
「…そうだな、あぁ、そうに違いない」

 こんなにも時が刻まれていくのが惜しく、しかし同時に明日の訪れを渇望する夜があっただろうか。その相反する感情が満ちる胸中に彼は少しだけ驚いていたが、やがて思い至る。これこそが"幸福"と呼ぶべきものであり、望む明日を迎えるために全てを尽くして今日を生き抜くのだと。
 と、体にかかる重みが増し、セオドールの意識が自身の内から戻ってきた。胸の中のディーナを見やる。またほんの少し彼女の位置が下へとずれる。その唇からは小さな寝息が聞こえ始めていた。

「ディーナ?」

 じわりじわりとつむじの角度が変わっていき、あるところで彼女は勢いをつけて頭を上げた。

「っ、も、申し訳ございません…!」
「いや、構わぬ。今日はもう休もう」
「ですが…」
「疲れただろう?また明日、話の続きを聞かせてくれ」

 彼はそう続けたが、ディーナは無言のままながらも必死の様子で拒み、目の前の胸板にさっとしがみついた。すぼめた肩は震えているように見える。彼は眉を軽くひそめて尋ねた。

「どうした…?気に障ることを言ってしまったか?」
「……」
「ディーナ?」
「…ね、眠ってしまえば…また、あなた様が消えてしまわれそうで……恐いのです…」
「!!」

 一瞬頭が真っ白になった。

「……それは……すまなかった…」

 やっとそれだけ返事して、セオドールはディーナの両肩を掴み向き合った。
 動揺したのはわずかの間だけだった。それよりも取るべき行動、口にするべき言葉を彼はすでに理解しているのだから。

「私はどこへも行かぬ。私が居たいと望む場所はお前の隣だ。この望みを…もう偽りたくはない」
「…セオドール様…」
「さぁ、眠ろう」
「…はい。……狭くてすみません」
「私が大きいだけだろう」

 ふふ、とディーナがようやく笑い、何度か身じろぎながら彼の横へ収まった。それを確認し、彼が腕を折り曲げる。力を抜くように大きく息をつけば、人肌を暖として眠りに落ちる心地良さを強く知った。

「おやすみなさいませ…」
「あぁ、おやすみ」

 返ってきた挨拶に対して喜びを表現するかのように、ディーナが彼の胸元に頬を擦り寄せた。

*

 柔らかな朝日が部屋に差し込む。それを受けて、ディーナが静かに瞳を開いた。顎を少し上へ向ければ、彼女をじいと見つめるセオドールがあった。
 じわ、と時間をかけて、ゆるやかに彼女の両目が滲んでいく。

「……夢では…なかったのですね……」
「あぁ、そうだとも」

 指を伸ばし、彼が目尻をそっと拭う。微笑みの形になって、一粒だけ涙が零れていった。

「眠れたか?」
「はい、とても。こんなに清々しい朝は、本当に久しぶりです…」
「そうか」

 頬を撫でていた手をさらにその上から触れた後、ディーナが身を起こし、髪の毛を整え振り向いた。
 朝日を浴びて笑う彼女は美しかった。かつての夜、月明かりに包まれ人形のようにしんと眠りについていたあの姿をそう表現したのは馬鹿なことだったと恥じ入る程に。

「さぁ、朝食の準備をして参ります」
「手伝おう」
「え?」
「私がいれば火をおこすのが早くなるだろう?」
「!…覚えていらっしゃったのですか」
「今思い出した。それに、世界は平穏を取り戻した…これからは、そのようなことに己の力を使いたい」
「そうですか…えぇ、では、お願い致します」

 新しい日々が始まる。






- ナノ -