2.
男は腕を組み、黙ってディーナを見下ろしていた。彼女も何も口に出来ず、ただ彼の次の言葉を待って顔を伏せている。
しばらくの静寂の後、男は言った。
「あまり、動揺しておらぬように見えるが」
ぎくりと彼女が呼吸を止めた。
「顔を上げよ」
「……」
ためらいながら、ディーナはゆっくりと首を動かした。じっと覗き込まれている。兜越しでもはっきり分かった。
そして、どのような感情を伴ったのかは不明だが、男が何かしら顔色を変えたのも察した。
「成程、合点がいった。処して正解の主人だったようだな」
ディーナが目を開く。思わず視線を男に向けてしまった。漆黒に隔てられた表情は一切伺えず、しかし少なくとも使用人風情の彼女の非礼に気を悪くした様子は無いようだった。
「それともお前が殴られる程無能なのか?」
「…!」
ディーナがわずかに拳を握り締める。
男はその反応を見逃さなかったようで、一歩前へ踏み出した。
「どちらに非があるかはあの男を思い出せばすぐ分かる。お前を試した。発言を取り消そう」
「っ、み、身に余るお言葉でございます…」
この部屋に入ってから驚くことばかりだと彼女は思った。闇の使いのような、およそ人とは信じがたい冷徹な気配を漂わせるこの男が、出会って間もない彼女を認めている。そればかりか。
「痛むか?」
「いえ…大丈夫です…!」
傷を案じる言葉をかけた。これまでずっと流さぬよう必死に止めていた涙がいとも簡単に押し出され、ディーナの頬を静かに伝っていった。
(あぁ、嬉しい…!このお方のお言葉だけで、私のあの日々は報われた…!)
そっとうつむき、袖で涙を拭い、ディーナは改めて男にかしづく。彼女が自分に深い敬意を払ったことに満足し、男は再び口を開いた。
「名は何という?」
「ディーナでございます」
「ではディーナ、私の前に立て」
「え…?」
「早くしろ」
「は、はい」
ディーナがためらいがちに歩んでくる間に男が兜を脱いだ。近づいた彼女の顎を空いた手で掴んで引き寄せ、半ば無理矢理目を合わせさせた。
「っ!?」
限界まで顎を反らされ、男の素顔がディーナの視界いっぱいに映る。浅黒い肌に白銀の髪。深く影の入った瞳は色の判別が出来ない程の闇を秘め、彼女の双眸をも飲み込もうと、内へ内へと流れ込んでくる思いがした。
「私はゴルベーザ。赤い翼の部隊長」
きり、と無機質な指先の力が強まる。男の唇の端が歪んだ。
「お前の目に憎しみが宿るのが見える。お前は他人が憎いのだな」
「う…あ…」
憎い?どうだろうか。辛い日々を送らせた主人。彼女を陥れた同僚たち。見て見ぬ振りをし、助けてくれなかった町の人々。憎いと言われれば、そうなのかもしれない。
「その思い、私が晴らしてやろう。ディーナ、私に仕えよ」
男、ゴルベーザの重い声が身体中へ染み渡り、その命令はごくごく自然に彼女に届いていた。
この先仕えるなら、彼がいいと考えていた。
「はい、ご主人様…」
彼の手から解放され、ディーナは崩れるようにその足元に跪いた。
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