茶会

 いきなり思い立って、書類に目を通していたゴルベーザは顔を上げた。紙束を机に置き、近くに控えていたディーナを目配せで呼びつける。

「はい、何でしょうか?」
「お前、食事はどうしている?」
「え?ええと、仕事の合間に取らせていただいておりますが…」
「…そうか」

 会話が途切れた。ディーナは愛想のいい微笑みのまま、首を少し傾けてゴルベーザの言葉を待っている。
 彼はわずかに思案した後再び口を開いた。

「好物はあるか?」
「好物ですか…そうですね…。食事、とは少し違いますが…ラスクでしょうか」
「どういうものだ?」
「パンを薄く切り、卵白と砂糖を混ぜたクリームを塗って焼いたお菓子ですわ」
「ほう、ならば丁度良い。今日の茶請けはそれにしろ」

 気まぐれに近いだろうゴルベーザの命令に、ディーナがわずかに驚く素振りを見せた。

(良かった、確かまだ作り置きが残っていたわ…)
「かしこまりました。良い時間ですし、今からご準備いたします」
「それと茶器は二組用意しておけ」
「あ、は、はい」

 ついどもった返事をしてしまい、彼女が慌てて口をつぐむ。ゴルベーザは書類に意識を戻していた。彼女はそっと一礼して移動する。

(どなたかお呼びになるのかしら?あぁ、そうよね…ここはバロンと違って直属の配下の方ばかりだから、お一人でいらっしゃる必要ないものね…)

 その相手というのが、彼女は気になって仕方ない。
 他人と共に取る食事は、公的であれ私的であれ同じ席につく人物との交流が目的であり、少なくとも信頼を寄せているという姿勢を見せる。
 嫌な感情が生まれようとしている。ディーナは何度も大きく首を振った。

(私はこんなにも卑しい女だったの…?きっと、私よりずっと長くご主人様にお仕えしていらっしゃる方だろうに、どうして私はそんな方にすら妬いてしまうの…?)

 あまりにも二人きりの時間が長かったのだ。そして、彼女の世界にはもはや彼しか存在しなくなってしまったのだ。

*

「お待たせいたしたました。……ご一緒される方はまだいらしていないのですか?」
「何の話だ」
「茶器は二組だと…」
「それはお前が使うのだ」
「えっ!?」

 ぎょっとディーナが目を丸くした。

「し、使用人が主人の前でものを食べるなど…!」
「何だ、お前は私の知らぬところで死霊に成り果てていたか?」
「!」
「そうであれば今すぐ首を切らねばならぬな…あぁ、刎ねた方がお前のためか」
「…ご一緒させていただきます…」

 足を組み、頬杖をついたゴルベーザがくつくつと笑う。このやり取りを見越した上での最初の質問だったとディーナは知り、顔を赤らめて抗議の視線を投げた。

「お前はいい加減私とあの貴族どもが根本的に異なるものだと理解しろ。そろそろ目に余るぞ」
「はい…申し訳ございません…」
「まぁ良い。座れ」

 カップに紅茶を満たし、ディーナが向かいの席についた。居心地が悪いようで、落ち着きを無くしている事がはっきり分かる。常に頭を下げ畏まる彼女を動揺させ、思考を乱しているという妙な充足感をゴルベーザは得ていた。

「そう睨むな。これ以上は度が過ぎることぐらい分かっておるわ」
「恐れ入ります…」

 ゴルベーザがカップを持った。ややためらってからディーナも手を伸ばす。
 主人のために淹れたのだ。自画自賛になるが、不味いはずがない。彼女は無意識のうちにほうと一息ついていた。

「これがラスクとやらか………甘いな」
「そうですね」
「お前も食うがよい」
「ありがとうございます。いただきます」

 ディーナが唇を開き、片手を添えてラスクを割り入れた。ゴルベーザにじいと見つめられていることは気づいていたが、もう何も言わないと決めていた。
 水分の無くなった口内を茶で潤し、手元の布で軽く拭う。じわりじわりと羞恥心が重なっていく。

「ほう、どうやら間違いなく生きているようだな」
「も、もちろんです」

 久しぶりにからかわれ、未熟だった初めの頃を思い出して彼女は何とも言えない気分になった。ただ、それは確実に怒りや呆れといった負に属するものではない。

(ええと…何か話題…話題…!)
「あの、ご主人様。ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「構わん」
「以前、私を兵から助けて下さった狼のことですが…今もこちらにいらっしゃるのですか?」
「いいや、おらぬな」

 ゴルベーザが返答しながらカップを差し出す。ディーナが追加分を注ぐのを見届けて、続きを言う。

「あれはバルバリシアの隊の者だ。お前がこのゾットの塔に入ってから護衛の任を解いた。それからは知らぬが、まぁ元の場所に戻っただろう」
「そうですか…では次にバルバリシア様にお会いした際、お話させていただきます。そして、ご主人様…」

 彼女は背を正し、ゴルベーザの正面へ体を向け直して、にこりと笑いかけた。

「改めて、あなた様にお礼を申し上げます。私に護衛を付け、お守り下さって、本当にありがとうございました。私は幸せ者ですわ」
「……」

 自身が動きを止めていたことに気づき、ゴルベーザは取り繕うように組んだ足を下ろしていた。
 胸の中にぽつりと浮き出たこの塊は何か。

「あれはお前を監視していただけに過ぎぬ。お前が逃げ出せば即座に殺していた」
「まぁ…そうだったのですね…。ですが、やはり、私は幸せ者です。私があなた様から逃げるようなことは、全くもって起こり得ませんから」
「…ふ、今だからこそ信じるに値する言葉だな」
「はい、ありがとうございます」

 ふふ、とディーナが声を漏らす。
 彼女はよく微笑むが、完全に目を細めて笑顔になるのはめずらしいことだった。そう分析出来る程に、彼女を横に置いて長くなったとゴルベーザは思った。

(この私が他人に興味を抱くとはな…。まぁ、これだけ私の隣に在り続けているのだ、自然なことか)

 甘ったるいと感じるラスクを口に放り入れる。その甘さが脳を溶かし、まだ戯れていたいとおかしな望みが染みて広がっていく。
 悪くない気分だった。

「ディーナ、お前の話をもっと聞かせてみろ。城の中で私がおらぬ間、お前は何をしていたのだ?」
「は、はい。そうですね…」

 彼女の拙い話しぶりを耳に入れながら、ゴルベーザの唇の端はついとわずかに上がっていた。





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梅さんより頂きました、「毒虫と侍女、ゴル兄さんとヒロインで、お茶してる話」でした。
リクエストありがとうございました。




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