33.

 元"赤い翼"の聖騎士、セシル・ハーヴィがバロン国の君主に即位してから早くも一年が経っていた。その間に世界の復興は順調に進み、加えてバロン国は先月王妃の懐妊が発表されたため、士気は特に勢いづいていた。
 本日、場内では国民を募り、一日かけて謁見が行われていた。政が軌道に乗ったことを実感し、さらにより良いものにするため、王自ら発案して企画されたものだった。
 兵士、商人、豪族、庶民、農耕者、知識人…実に多くの人々と接することが出来たとセシルは満足していた。彼らの主張は多種多様で相反する要望も挙がったものの、皆共通してバロンの一員であるという自覚と誇りを持っていた。これは先代を含む歴代の王たちの賜物だと、セシルは彼らに思いを馳せた。

(次で最後か…。予定より遅くなってしまったな)

 一度大きく伸びをする。玉座にきちんと座り直した後、謁見室の扉が開かれ、兵に先導されながら一人の女性がセシルの前へ跪いた。兵が脇に移動する。

「待たせる形となってすまない」
「いいえ、とんでもございませんわ。お心遣い、恐れ入ります」

 女性の返事に一瞬セシルが驚く。丁寧な言葉遣いもだが、何より調子が非常に落ち着き払っていて、貫禄さえ感じられた。

「顔を上げてくれて構わない。名を聞かせてくれ」
「はい…。ディーナと申します、陛下」

 セシルに顔を向け、ディーナと名乗った女性が会釈する。緊張や戸惑いの色が見えない態度。真っ直ぐにセシルを見つめる眼差し。彼は国境近くの村からやって来たという、彼女の前情報が信用出来なくなっていた。

「…あぁ…では、用件を聞こうか」
「承知致しました。ですが…恐れながら、その前に一つお願いがございます」
「ん?何だい?」
「…陛下と二人きりでお話をさせていただけませんでしょうか」
「なっ!?何を言い出すか!?」

 真っ先に反応したのは控える兵士だった。セシルも目を開いているものの、言葉は発さずディーナを見下ろしている。彼女の元に寄ろうとした兵たちを制し、彼はややしてから口を開いた。

「安全や公正のために彼らにはついてもらっている。みだりにここで見聞きしたことを漏らしたりしない。安心してほしい」
「はい、承知しております…。ですがどうか…陛下のお耳にだけ、入れていただきたいお話なのです」
「貴様、陛下に逆らうか!?」

 がしゃ、と兵が手にした槍をディーナに向けた。それでも彼女は一切身じろぎせず、セシルにじっと視線を投げていた。彼はそこから揺るぎない意思を感じ取り、瞳を逸らすことが出来ないでいた。

「……内容は?」
「………兄、でございます」
「!」

 セシルがはっと顔色を変えた。兵たちはそれを受け、ディーナを抑えようと動いた。しかし、セシルが強い言葉ですかさず止めた。

「陛下!?」
「皆…下がってくれ。私は彼女の話を聞く」
「なりません!陛下のお命を狙う刺客かもしれないのですよ!?」
「身体検査は済んでいるだろう。それに、私も騎士の端くれ…討たれるつもりはない。頼む、これは命令だ…!」

 兵たちは口ごもる。もう一度頼むと言われ、彼らは最後まで納得しない様子のまま、王を案じて外へと消えた。
 セシルが大きく息をついた。腰に提げた剣に手をかけながら、ディーナに目線を戻した。彼女は深々と頭を下げ、少しだけ笑いかけた。彼の心臓は激しく高鳴り、鼓動が体中に響き渡っていた。

「ありがとうございます、陛下。改めて申し上げます。私の名はディーナ…私はかつて、陛下のお兄様………ゴルベーザ様にお仕えしておりました」
「!!」

 がたんと勢いよくセシルが立ち上がった。驚愕した表情で、震える唇を何とか開く。

「どうして…兄弟、だと…!?」
「あのお方が話して下さいました。永きに渡ってあのお方を苦しめ続けた悪魔を退けた、最後の夜に…」

 ディーナの返答に彼は理解した。彼女はゴルベーザの全てを知る唯一の存在なのだと。

「あの夜が過ぎ…次に私が目覚めた時、あのお方のお姿はどこにもございませんでした。そればかりか、全ての目的であった月の片割れも、消えてしまっていました…。陛下、どうかお教え下さい!あのお方は、セオドール様は今どこにいらっしゃるのですか!?」

 ディーナの瞳がみるみる滲み、彼女は透明な雫をぽろぽろと落としてセシルに訴えた。彼は黙ったままよろめくように階段を下り、彼女の元で膝を折ってその両手を握りしめた。

「それが…兄さんの本当の名なんだね…!兄さんは、兄さんは独りじゃなかった…!あぁ、ディーナ、ありがとう…!」
「…陛下…」

 セシルも涙を流していた。ゴルベーザと別れてから、兄への情は日に日に膨らんでいた。彼に憎しみを抱いたことを悔やみ、共に過ごす時を心の奥底で望みながら、彼が歩んだだろう孤独な半生を夢想しては、自らの境遇であるかのように苦しんでいた。

「ディーナ…君には辛いものとなってしまうが…聞いてほしい」
「…はい」
「兄さんと僕たちは月へ行き、兄さんを狂わせた悪しき月の民、ゼムスを倒した。あの地にはゼムスの他に、善良な月の民たちが眠りについていた。兄さんは彼らと共にあの地に留まって…そして旅立ったんだ…」
「…では…セオドール様は…生きていらっしゃるのですね…!」
「あぁ…遠く離れてしまったけれど…生きているよ…」
「…良かっ、た…!」

 それ以上ディーナの言葉は続かなかった。彼女は背を丸め、声を必死に抑えながら咽び泣いた。彼がまだ彼女と同じ世界に在ることが分かって、何よりまず嬉しかった。
 セシルが彼女の背を労るように撫でた。

「兄さんは…多分、ゼムスと相討つ覚悟だったんだと思う。だから…君に何も言わないまま…」

 こくこくとうなずき、目元を拭いながらディーナは身を起こす。ゴルベーザが犯そうとした最後の罪は、彼女を置いて一人逝くこと。そしてそれは、半分だけの形で成されてしまった。
 けれど、ディーナにとっては何にも勝る希望であった。

「…あのお方のお命がとうに消えてしまっていたのなら、私も後を追おうと考えておりました。けれど、そうではなかった…セオドール様は、生きる道を選んで下さった…。あぁ、こんなにも胸が熱くなるのは一体いつ以来のことでしょう…!」
「ディーナ…」
「陛下、私は誓います。遠く離れたセオドール様と共に、あのお方を想って、最期まで生き抜きますわ。ですからどうか、陛下も…あのお方を忘れないで下さいませ…」
「あぁ、もちろんだ。兄さんのことは忘れない…絶対に、忘れない…!」

 二人は手を取り合い、この場に居ない大切な人へ向かって、どうか届いてほしいと祈りを捧げた。いや、きっと、届いている。祈りの力で、彼らは未来を勝ち取ったのだから。






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