21.

 幹部専用の会議室。そこでは朝から報告会が行われていた。
 四天王もいつしかバルバリシアとルビカンテの二人のみになっていた。スカルミリョーネはセシル・ハーヴィの刺客として試練の山に赴き、返り討ちに遭った。水を司るという残りの一人、カイナッツォは、ディーナがゴルベーザの侍女となるさらに前からバロン王に成り代わっていたというが、これもまたセシル一行に討たれた。
 初めてバロン王の正体を聞かされた時はディーナも相当驚いたが、彼女が耳にした乱心ぶりは全て本人の行いでなかったと、逆に安堵したものだ。それは話を聞かせてくれたカインも同意見のようだった。
 ルビカンテの南西大陸の状況報告が終わり、今は赤い翼が地底のクリスタルについて話している。二つ目がまもなく手に入るという。この星に存在する八つのうち、すでに半数がゴルベーザの手中に収まっていた。
 ディーナは隣室で会議の内容を聞き続けていた。議論が収束し、呼び鈴が鳴ったところで軽食を配膳するのが彼女の役割だった。
 今日は異様な緊張感に包まれていた。起床時からゴルベーザの機嫌は最高に悪い。彼がディーナに見せる三つの顔、すなわち冷酷でありながら将の器を持つ赤い翼の部隊長、侍女に膝枕をせがむ主人、心が壊れたかの如く荒れる狂人…その中で、今の彼は間違いなく三つ目である。
 何が豹変のきっかけとなっているのか、それは配下の誰にも分からない。ただ、頭痛の発作が原因の一つになりつつあることに、ディーナだけは勘付いていた。
 こんこんと控え室にノックが響き、カインが顔を出した。

「ゴルベーザ様は何かお考え事をされている。呼び鈴を鳴らす様子はないが、来てくれ」
「あ、はい、承知しました」

 ディーナの登場に会議室の空気はずいぶん和らいだようだった。しかし、誰も言葉を発さずしんとしている。
 彼女はまずゴルベーザの元に向かい、その顔色をうかがった。肘を机に置き、額に手を当てうつむいていた。眉は厳しく中央に寄せられており、彼女にはそれが頭痛に苛む表情だと判断出来た。
 ディーナがカインに耳打ちし、隣室へ移る。

「ご主人様はずっとあのような状態でしたでしょうか?」
「あぁ…ずいぶん虫の居所が悪いらしい。終始ああやって頭を抱え、黙っていらっしゃる」
「……」
「出陣時とは全くと言っていい程別人だな…。この塔で待機することがそんなにもご不満なのだろうか」
「遠征中は一度も…その、お変わりないと?」
「そうだな…せいぜい常識の範囲内で機嫌を損ねる程度だ」

 ディーナが顎に手を当て、考える。

「クリスタルを集めるにつれ、ご様子がおかしくなっているようだと推測しておりました。続く戦いにご負担が重なっていらっしゃるのかと」
「それは俺も考えた…が、ゴルベーザ様がこの程度でどうかなってしまう将とはとても思えん。それは皆の見解だろう」
「そうですか…。ありがとうございます。またお話をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
「あぁ」

 カインが一足先に会議室へ戻っていく。ディーナはそれを見送り、少し間を置いてから続いた。
 ゴルベーザの隣へ行き、再び様子をうかがった。食器にはどれも手をつけておらず、誰の存在をも無視しているように思えた。
 ディーナは前で揃えた両手を握りしめ、一呼吸してから決めた。

「ご主人様、紅茶が冷めてしまいましたので、淹れ直しましょうか?」

 ゴルベーザに声をかけたディーナに会議室の全員が注目する。彼女は静かに続けた。

「恐れながら…ご体調が優れないようにお見受けします。少しお休みになってはいかが」

 ディーナの言葉は振りかざしたゴルベーザの腕によって途切れた。彼女が床に沈むと同時に、彼が派手な物音を伴い立ち上がった。

「誰にそのような口を聞いている…!」

 ゴルベーザが足元に倒れるディーナの肩を勢いよく踏みつけ、仰向けになるよう蹴り上げた。間髪入れずに今度は腕の上に足裏を置き、容赦なく力を入れる。ディーナは短い悲鳴を上げてから、唇を噛みしめて無理矢理口を閉ざした。

「道具の分際で主に指図するとはいい度胸だ!身の程をわきまえろ!!」

 ディーナがもがいて身体を横に転がす。手首が、肘が、腹が、そしてこめかみが続けざまに打ち据えられる。カインが大声でゴルベーザの名を呼んだが、一向に止まらない。

「図に乗るな、忌々しい女め…!!」

 ゴルベーザが大きく手を掲げ、ディーナに向かって振り下ろす仕草を取った。どくんと彼女の心臓が一度跳ね、強く鋭い痛みが一閃、彼女の頭を貫いた。あまりの衝撃に一瞬意識が遠ざかったが、次々と刺さる刃に無残にも現実へ引きずり戻されていた。

「ああぁ…!!」

 絶叫になれない喘ぎ声。彼女は悶え苦しみ何度も身を捩る。耳鳴りがひどい。目の前が真っ白に染まる。全身が二つに裂けていく錯覚。
 やがてその不快な高音に別の何かが混じり始めていた。彼女がその正体を判断する前に、脳の奥に唐突に声が響いた。

−貴様の存在が全ての障害!−
(!?)
−毒虫を恨め!貴様も憎し――身――ねろ……!!−

 声が急速に引いた。同時に頭痛がぴたりと止む。ゴルベーザが大きく傾き、後ずさって身を屈めていた。その隙を見逃さず、カインが素早くディーナに駆け寄り、しゃがみ込んで彼女の体を抱き起こした。

「ゴルベーザ様!何という惨い仕打ちを!」

 そう叫んだのはルビカンテだった。ゴルベーザは答えず不気味に立ち尽くし、そのうち踵を返すと同時に言い捨てた。

「それを懲罰房へ入れておけ!!」

 ゴルベーザの剣幕に会議室の誰もが怯む。初めに気を取り戻したのはディーナの呻きに気づいたカインで、彼は彼女が受けた傷を軽く確認する。骨まで至っている可能性があった。

「ディーナ、俺が分かるか?」

 彼女は返事代わりに目線をカインへと向けた。

「何故あんな真似を…聞き入れられると思ったのか…!?」
「……いいえ…ただ、声をおかけせずには…いられませんでした…それだけです…」

 カインが押し黙る。そこへルビカンテが割って入り、静かに告げた。

「ゴルベーザ様の命に背くことは出来ぬ。我らを許すな、ディーナ…」

 彼女は微笑んで首を振った。

*

 最低限の手当てだけが施され、ディーナは薄暗い小部屋に収納された。窓も家具も見当たらず、ただ厚い毛布が何枚も運び込まれたため、寒さを覚えることはなさそうだった。ディーナは毛布に包まった状態で座り込んで壁に身を預け、ただぼんやりと時が過ぎるのを感じていた。
 時折痛む身体に何度か眉をひそめた後。扉が重厚な音を立ててわずかに開く。その隙間からバルバリシアが顔を覗かせ、身を滑り込ませてディーナの元へ向かった。扉は向こう側に居る誰かによって再び閉じた。

「ディーナ…痛み止めを煎じてもらった。飲んでおきなさい」

 バルバリシアが持っていた小瓶を傾け、ディーナに流し入れてやった。それから彼女に憐れみの眼差しを向け、口を開く。

「ゴルベーザ様はいつもこのような扱いをなさるのか?」
「いいえ…ここまでは初めてです…」
「……手を上げられることは初めてではないのか」
「私が悪いのです。お言いつけを守らず…私が余計な口出しをしてしまうのです…」
「しかし…!」
「今日は確かに…これまでと比べものになりませんけれど……力を以って躾けるのは、自然な行いですわ…」
「それは、そうだが…。ゴルベーザ様がお前になど…私にはとても信じられん。あの方は…」
「バルバリシア様」

 ディーナが言葉を重ね、バルバリシアの台詞を止めた。

「人は、あなた方と違ってすぐに消耗してしまいます。その状態になると、他者に厳しく当たってしまうのは、人なら誰でも有り得ることなのです。拠点の外…あなた方の前にいる時は、そのようなお姿を見せられないだけなのです…」

 言いながら、ディーナは自分の名を何度も呼ぶゴルベーザの姿を思い出す。ディーナにすら何も見せなかった頃から彼は大きく変わり、そして新しい彼が生まれた。
 いくら本人だと思えなくても、それでも新しい彼だってゴルベーザに違いないのだ。彼女には恨むことなど出来なかった。

「だからよいのです。私はあのお方にお仕えしてから後悔を覚えたことなど、一瞬たりともありませんわ」
「っ…」

 ディーナの偽りのない微笑みに、バルバリシアは戦慄する。

(私は…あの方にこのような仕打ちを受けたとして、それでもこうして笑うことなど出来ない…!これが、人間…!)

 どれだけ不利益な行為でも、例え自身の命が脅かされる状況を迎えたとしても、人間という生き物は己が是としたことならば、実行し、受け入れる愚かさを持つと彼女は考えていた。共感出来る部分はあったが、しかし彼女に人間の全てを理解することは到底不可能だった。
 忘れていた痛みが一気に戻ってきたのか、ディーナが顔を歪ませた。バルバリシアはそれに気づき、注意を払って横たわらせてやる。

「バルバリシア様…お願いです、どうか…ご主人様を疑わないで…下さいませ…」
「あぁ、分かっている。今日のことだけで揺らぐような忠誠心ではない。だからお前は休め…」

 バルバリシアがそう返すと、ディーナの両目は心底安堵したように細まり、その後ゆっくりと閉じられた。バルバリシアには、彼女が何に対してそれ程までに嬉しさを覚えたのか、やはり思い至ることが出来なかった。






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