11.

「早く言え」
「そ…その、どうご説明すれば…」

 ディーナはしきりに目を泳がせ、ゴルベーザの睨みから逃げている。彼が苛立った様子で指先を何度もテーブルに打ちつけた。
 やがて彼女は小さな声で切り出す。

「ご、ご主人様に仇なす者に…襲われました…」
「何だと…?場所は?」
「地下倉庫です。ベイガン様に…紛失した印を探すよう命じられて、独りの時に…」
「ベイガンだと…!?」

 彼女の声は消え入りそうにか細く、その恐怖心はゴルベーザにも伝わった。

「二人の兵に、ご主人様の情報を吐くよう迫られて…拒みました。それで…そうしたら…け、獣が…!」
「!」
「狼が…兵を殺してっ…助けて下さいました…!そ、その後、ベイガン様がいらっしゃって…」

 涙が落ちないよう必死になって話していたディーナだったが、とうとう言葉を詰まらせてうつむいてしまう。ゴルベーザの腕がわなわなと震え出し、勢いに任せてテーブルに叩きつけた。派手な音が部屋中に響き渡り、ディーナの肩が大きく跳ねた。

「あの蛇め、とうとう本性を現したか!」

 蛇、本性。その単語を耳にして彼女が思わず目をつむる。彼は怒りを抑えず続けた。

「私が城を空ける時を待っていたのだな!忌々しい…!」
「ご、ご主人様…」
「お前は利用されたのだ!あれはお前の護衛に気づき、自分の手を汚さず邪魔者をおびき出して始末させた!この私の命をかいくぐり、私の所有物を勝手に使ったのだ!許さぬぞ…!」

 がしゃんとゴルベーザが勢いよく立ったのを見て、ディーナが顔色を変えその足元に跪いた。彼は苛立ちと厳しい声色をそのまま彼女に向ける。

「どけ。蹴り飛ばされたいのか」
「どうかお考え直し下さいませ…!このまま表立った理由無くベイガン様を処してしまえば、軍がどうなってしまうか、卑しい私でも想像が出来ますわ…!」
「例えお前が考える通りになろうと関係ない。歯向かう者は殺すだけだ」
「ご主人様を城内で危険に晒す訳にはまいりません…!万一あなた様の御身に何かあれば、私っ…!」
「……」

 ゴルベーザはゆっくりとまばたきを繰り返し、ごくごく小さく唸って席についた。

(どうせ私はここを出てもう戻らぬ…。近衛兵長を失って軍が乱れようとどうでもよい)

 その思いは先程から変わっていなかったが、冷静な将である自らの思考回路が瞬時にそれを否定する。

(が、赤い翼にまで影響が出れば好ましくないのもその通りだ…。……蛇め、いずれかつての同僚と戦い、人だった頃の誇りをよみがえらせて死ぬがよい…)

 人間を捨てた近衛兵長。そして人間の心を持ったまま彼に尽くした侍女。彼はそのどちらの処遇も決めた。
 零れて中身の減った紅茶を飲み干す。その動作に区切りがついたのを見計らって、ディーナは躊躇いながらも呼びかけた。

「ご主人様…」
「よかろう。最後ぐらいはお前の指図を受けてやる」
「え…?」
「ベイガンはいずれ戻るセシルの相手をさせる。そしてディーナ、お前は今日限りでバロンから出ていくのだ」
「!?」

 突然下された解雇宣言に、彼女の頭は真っ白になった。

「これまでの働きは賞賛に値する…今後の身の安全ぐらいは保障してやろう」
「そ…そんな…」

 遅れて眩暈と動悸が同時に襲い掛かる。ずっと恐れていた言葉が彼女の胸を深々と抉っていく。

(嫌…それだけは嫌っ…!)
「お、お許し下さいご主人様!私の不注意でこのような事態を引き起こしてしまった責は、どうかあなた様の元で償わせて下さいませ…どうか…!」
「お前に防ぐ術が無かったことぐらい理解している。これはむしろこの上ない情けだというのが分からぬか…!?」
「私にとっては惨い仕打ちでしかありません!!」

 初めて聞くディーナの叫び声にゴルベーザが一瞬怯んだ。彼女は怒りとも取りかねない悲壮な表情で、眉根をきつく寄せ、涙をぼたぼたと落とし、思うまま言葉をはき出す。

「私が在りたいと願う場所は、あなた様のお側、ただひとつです!この心は何があっても変わりません!どうか、どうかお許し下さい…ご主人様…!」
「……私が人ならぬものを従えていると知ってもか?」
「はい!」
「何の力も無い人間が魔物の中に身を置いたところで長くは持たぬわ」
「あなた様へ捧げる忠誠心が私の力です!」
「くどい…さっさと行け」

 ゴルベーザの命令にいよいよ冷徹さが乗った。ディーナは力なく首を振ってなおも食い下がる。
 幽閉生活から救い、それまで誰にも顧みられなかった彼女をゴルベーザは少しずつ、しかし確実に評価してくれた。いつしか他愛ない会話が交わされるようになり、世界の掌握を狙う将以外の一面も見た。もっと彼その人を知りたい、隣で支えたい。そう願うのに。
 安らかな最期を迎えることなどもはやどうあっても不可能で、それも分かって受け入れたのに。
 彼女は彼が思う以上に、彼を想っているというのに。

「……っ!」

 一度下を向き、再びゴルベーザを見据えたディーナの目からは涙が引き、その色は文字通りと形容出来る程に昏く、より熱く変化していた。この目を知っているとゴルベーザの直感が告げ、彼は反射的に身構えた。
 ディーナが勢いよく立ち、ひるがえって駆けた。部屋の片隅に飾られた大きな花瓶に腕を伸ばし、床へ押しやる。甲高い騒音。
 それが静まってから彼女はゆっくりと適当な破片を拾い上げ、振り返る。今出来た頬の傷から流れる赤い血が嫌に目立った。

「何を」
「この身があなた様にお仕えするのに相応しくないのなら…わ、私、人間をやめます!」
「な…」

 命を賭して、何かを成そうとする目。

「ですからどうか、私を魔物に造り替えて、これからもお側に置いて下さいっ…!!」

 ディーナが破片を高く掲げ、それを握りしめながら胸元へ振り下ろした。

「くっ!」

 ゴルベーザがとっさに一歩踏み込んで前方を薙ぎ払う動作を取った。見えない力がディーナの両手を打ちつける。手の平を掻き切りながら破片が空中に放たれ、彼女は体勢を崩して大きく傾く。
 再度動いたゴルベーザの動きに合わせ、彼女が後方、彼の元に吹き飛ぶ。背中を床に打ち、声にならない悲鳴を上げた。
 ゴルベーザが倒れるディーナに歩み寄る。おそるおそる顔を上げた彼女が見たものは、陰る彼の面で確かに光る二つの紫。

「……死霊の侍女など吐き気がする」

 そう言い捨て、彼はディーナを乱暴に掴んで立ち上がらせた。背を向け、しばらくの沈黙の後言う。
 自分は今高揚していると、ゴルベーザは思った。

「ディーナよ、お前の覚悟は確かに見届けた。…その力、他ならぬこの私が認めてやろう」

 絶望に染まっていた彼女の表情が一瞬で打ち消された。

「手当てを受け、身支度をしろ。私は明日からゾットの塔に移る。お前も来るのだ」
「はい…はい…!ありがとうございます、ご主人様…!」

 両手の痛みも流れる血も頭の隅に追いやり、ディーナはただただ頭を下げて感謝し続けた。






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