折原さんが風邪をひきました。

「あり得ない…ここは正臣くんが風邪ひいて『先生のぶっといお注射で治してあげる』なお医者さんごっこプレイとかさ、『汗をかくと早く治るって言うよね』からのアーッな展開がお約束でしょ。なんで俺が風邪ひく側なわけ…?」

「臨也さん、黙るか死ぬかどっちかにしてくれませんか?」

「冗談だよ…正臣くんは厳しいなぁ…」

「冗談言う元気あるなら俺もう帰っていいですか?」

「帰っちゃだめ。しんどいのはホントなんだって」

はぁ、と臨也は熱い息を吐き出した。辛いなら黙って寝てればいいのに。正臣は大きなため息を吐く。汗で貼りつく前髪をかきあげ、絞ったタオルを乗せる。冷たい感触に臨也が目を細める。

「きもちー…」

「大分熱が高いですね。薬飲む前に何かお腹に入れないと…何だったら食べれそうですか?」

「あー…なんか果物…」

「林檎買ってきたんですけど、それでもいいですか?」

「うん、お願い」

臨也の返事を受け、正臣はキッチンへ向かった。
冷蔵庫から冷えた林檎を取り出し、皮を剥く。少し考え、剥き終えたそれをすりおろす。喋るときに辛そうな顔をした臨也を思い出したのだ。恐らく喉が腫れているのだろう。
白湯と薬も一緒に乗せたお盆を持って寝室に戻ると、気配に気付いた臨也が薄く目を開けた。しんどいとの自己申告は真実らしい。
ここまで弱った臨也を見たのは初めてだった。正臣は内心戸惑う。

「臨也さん、林檎」

「あぁ、うん…ありがとう」

だるそうに臨也が体を起こす。

「正臣くん」

「はい?」

「食べさせて」

そう言って臨也は口を開けた。いつもの正臣ならふざけるなと撥ね付ける要求だ。しかし正臣は黙ってスプーンで林檎を掬った。そして無言のまま、それを臨也の口元へ持っていく。

「…正臣くん」

「…なんですか」

「『あーん』って言ってから、」

正臣は問題無用でスプーンを口の中に突っ込んだ。臨也に向ける視線は果てしなく冷たい。臨也も余計な体力を使うことを止めようとしてか、それ以降は黙って林檎を食べた。
食べ終わった臨也は薬を飲み、再び横になった。
静かに目を閉じる、その様に正臣の心はざわつく。

「…なんで、そんな弱いとこ見せんだよ」

ほとりと落ちた呟きに、臨也は再び目を開けた。自分を見下ろす正臣は苦しそうに眉を寄せている。

「忘れてるかもしんねーけど、俺、あんたのこと殺したいくらい嫌いなんだよ」

正臣の手が臨也の首に触れた。いつもは冷たい肌が汗ばむ程に熱を持っている。正臣はそのまま手に力を込めた。緩く首を絞められて、それでも臨也は表情を変えない。

「なのに、なんで」

今、この手に力を込めれば。
臨也は容易く死ぬだろう。そうでなくとも薬や林檎に毒を仕込んだり、寝ている隙にナイフで心臓を貫いたり、機会はいくらでもある。それほどまでに今日の臨也は無防備だった。正臣の感情など臨也には筒抜けのはずだ。それなのに弱っている自身をさらけ出した臨也が正臣には理解出来ない。

すっと、臨也の手が正臣の手に触れた。正臣の身体がびくりと跳ねる。紅い瞳の中の自分が怯えた表情になるのを正臣は見た。臨也が口を開く。

「君は俺を殺せないって、知ってるからね」

紅い三日月。
正臣の手から力が抜ける。


「だって正臣くん、おんなじくらい俺のこと、好きだろ?」


正臣は何も言わなかった。言えなかったのではない、言わなかったのだ。否定も肯定も嘘になる。何故かこの時正臣は嘘をつきたくないと思った。相手が折原臨也にも関わらず。可笑しな話だと自分でも思いながら、正臣は紡がれなかった言葉の代わりに本日何度めかも分からない大きなため息を吐き出した。臨也から離れた両の手が、すっかり温くなったタオルを取り上げる。

「…余計なおりゃべりはもう終わりにしましょ。あんたはとっとと風邪を治しちゃってください。臨也さんがそんなんだから俺までおかしくなるんだ」

「人のせいは良くないよ」

「対臨也さんに限っては許されるって俺の中の法律で決まってんです。ほら、もう寝てください」

正臣はおざなりに絞ったタオルを臨也の額に乗せた。ちょっと正臣くんもっと絞ってからにしてよ、と臨也が文句を言う。いつまで経っても閉じようとしない臨也の目を正臣が掌で覆った。ついでに五月蝿い口も塞いでおく。

(これでうつっても臨也さんには看病頼まねーようにしよ)

離れた唇をペロリと舐めながら正臣は思った。

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