美少女と野獣の6年後。正臣ちゃんは高校生。








「しーずーおーさん!!」

雑踏の中、大声で名を呼ばれ足を止めた静雄は、直後に走った衝撃に顔をしかめた。無様に倒れることなく踏ん張ることが出来たのはひとえに丈夫な身体のおかげである。大した痛みはないものの、驚いたことには変わりない。静雄は腹部に巻き付く腕を引き剥がし、振り返った。

「正臣、手前…飛び付いてくんなって言っただろ。ご丁寧に気配まで消しやがって…」

低い声音に怒りを滲ませるものの、向けられた少女は怖じ気づく様子はない。

「だってそうでもしないと静雄さんすぐ気付いちゃうじゃないですか!それじゃサプライズになんないですよ!」

悪びれずに言い放つ正臣に静雄はため息を吐いた。そもそもただの女子高生が気配を消して忍び寄るなどという芸当を身に付けていることが問題だ。少女はあの折原臨也の妹とは思えないくらいに真っ当なのだが、こうしたところにその片鱗を覗かせる。そのうちナイフを忍ばせたりするのではないかと静雄は密かに心配していた。

「で、なんか用か?」

ふ、と空気を和らげた静雄が尋ねた。正臣は走ったことで乱れた髪を手早く直し、ビシッと居直る。

「はい!折原正臣16才、静雄さんに愛を囁きに来ました!!」

好きです愛してますらびんゆーです!!と、囁きとは程遠い勢いで告白した少女に、静雄は本日二度目となる盛大なため息を吐いた。

「…飽きねぇな、手前も」

「一途と言ってください、一途と」

静雄が正臣と出会ってから既に6年近く経つ。初対面で『美女と野獣』の野獣役を当てられて以来、静雄は妙にこの少女になつかれていた。今日のような愛の告白らしきものも初めてではない。というより、会う度毎回だ。初めて会ったあの日の『静雄さんのベルになる!』という宣言に始まって早6年。変わらない情熱を注ぎ続ける少女が静雄には理解出来ない。

「…軽々しく好きとか言うんじゃねぇよ」

疲れたように静雄は言った。自らに向けられる好意に静雄は懐疑的だった。人間の限界を越えた力。それが兄である臨也にも向けられていることも少女は知っているはずなのに。

「軽々しくなんかありません。俺は本気です」

正臣は真っ直ぐに静雄を見て言った。いつだってそうだ。正臣は静雄の目を見て話す。決して逸らさない。
逸らすのはいつも静雄からだった。
それが逃げであることを静雄は知っている。勿論、正臣も。

「なんで…」

いつものように逸らされた視線に、正臣の顔が歪む。

「なんで静雄さんは!いつも!そうやって!俺から逃げるんですか!?」

それは6年間溜め続けた想いだった。正臣の本気を静雄は信じない。目を逸らして見ようとしない。報われる、報われない以前の問題だ。受け止められなかった想いが足元に散らばって、正臣は身動きが取れない。
泣きそうな顔で少女は叫ぶ。

「俺が…俺が臨也さんの妹だからですか!?臨也さんの妹だから…」

「違ぇよ」

正臣の言葉を低い声が遮った。少女の言おうとすることは分かる。折原臨也は静雄にとって憎い存在だ。この世で一番信用出来ない相手と言ってもいい。
だがしかし、それとこれとは話が別だった。
静雄は正臣を臨也の妹という定義で見ていない。折原正臣は折原正臣であり、臨也とは別の個体である。
故に、正臣から逃げる理由は違う場所にある。

「…手前が子どもだからだ」

正臣の喉がひくりと震えた。こみ上げるものを堪えるのが辛い。

(ひどい、だってそんなの、)

ぎゅっと拳を握り締め、俯く。短い制服のスカートが目に入る。

(どうしようもないじゃんか)

悔しくて唇を噛み締める正臣に背を向けて、静雄は煙草を取り出した。くわえて気付く。最後の一本だった。

(…これで終わりか)

手の中の箱を握り潰す。ぐしゃりと音をたて、空き箱は簡単に潰れた。
一歩、二歩、三歩。
正臣から離れた場所で静雄は立ち止まった。ふぅ、と紫煙を吐き出して呟く。

「正臣」

大人はいつだって狡い。正臣は思った。いつもと変わらぬ声で名前を呼ぶ静雄が憎い。正臣はスカートの裾を強く握り締めた。子どもであることを知らしめる、この制服が憎い。
そんな少女の心情などお構い無しに、正臣、静雄がもう一度名を紡ぐ。


「…早く、大人になれよ」

正臣は弾かれたように顔を上げた。五歩の距離の先、静雄がこちらを見ている。その顔は笑っていた。諦めるように、許すように、受け入れるように。

その瞬間、正臣は全てを理解した。

「…っ、覚悟してくださいよ!!俺、あっという間に大人になっちゃいますからね!!」

人目を憚らずに叫ぶ正臣に静雄は苦笑した。ひらひらと手を降りながら、止めていた歩みを再開させる。

全くもって、大人は狡い。
余計なことを知りすぎて、受け入れることに不自由になるのだ。外からのものであろうと、内からのものであろうと。
受け入れてしまえば軽くなるのに。分かっていても出来ない点が大人と子どもの違いだ。
ゴミとなった箱を手の中で遊ばせながら静雄は思う。大人になった少女は、果たして変わらぬ想いを自分に向けてくれるのだろうか。

(…まぁ、一途らしいからなぁ)

その言葉を信じてみるか。
恐らく明日も懲りずに飛び付いてくるであろう少女を思い浮かべ、静雄は笑った。


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