その日俺は風邪をひいた。

身体はダルく喉は痛い。今のところ吐き気や腹痛は無いが、間違いなく熱はあるらしく頭がボーッとする。体温計なんて代物は置いていないから正確には分からないが、熱は結構高いのだろう。汗ばむ身体が気持ち悪い。基本的に健康優良児な俺は風邪をひくのも久々で、薬は勿論置いていない。病院に行く気力もなく、仕方なしに『寝れば治る』を実践しようと諦めていたときだった。
ダダダダっと階段を駆け上る音。何事かと思う間もなく、吹っ飛ぶドア。…俺の家の、ドア。

「紀田!!大丈夫か!!?」

駆け込んで来たのは息を切らせた静雄さんだった。大丈夫、とは何を指すのだろう。少し視線を落とせば無惨にもひしゃげた俺の家の最低限のセキュリティシステムがある。少なくとも防犯上の危機には立たされたわけだ、我が城は。
なんて思考を口に出すには体調がよろしくなく。

「…静雄さん、どうしたんですか…?」

上手く回らない口で尋ねる。静雄さんは青ざめた顔で俺を覗き込んだ。サングラス越しの瞳は真剣だ。

「ノミ蟲が、手前が死にかけで息も絶え絶えの危篤状態だって…」

あの、クソ野郎。
もしもの事を考えて今日は仕事行けませんなんて律儀に連絡した俺が馬鹿だった。あの生きる非常識に病人を労るなんて概念は無いらしい。奴にとっては俺の風邪なんて静雄さんをからかう種にしかならないのだ。腹立たしい。
腹立たしいが今は目の前にいる静雄さんをどうにかするのが先だ。とりあえずは救急車を呼ぼうとしているのを止めさせる。

「あの、俺、体調面は大丈夫じゃないですけど命に別状はないです。ただの風邪なんで」

「…風邪?」

「はい。あーその、臨也さんはちょっと大袈裟に伝えちゃったみたいですけど…」

あはは、と苦笑すると事態を把握したのだろう、静雄さんの顔色が変わった。一瞬怒りに染まったが、直ぐにバツの悪い顔になって俺を見る。

「…悪ィ。ドア、壊しちまった」

「大丈夫ですよ、修理代は臨也さんに払わせます。…それに嬉しかったですから。静雄さんがそこまで俺の心配してくれたってのが」

これは本音だ。
静雄さんが俺を心配して駆け付けてくれたていう、事実が素直に嬉しい。例えすきま風どころじゃない風がさっきから吹き込んでこようと嬉しいものは、嬉しい。…くしゃみは堪えろ、俺。

「…心配するに決まってんだろーが」

ぶっきらぼうにそう言って、静雄さんは俺のおでこに口付けた。ひんやりと冷たくて気持ちいい。

「…早く治さねぇとな」

これ以上、出来ねぇ。
耳元で囁かれて赤面する。これ以上熱を上げてどうすんだ。ううっと眉を下げた俺を静雄さんが撫でる。

「薬とか飲んだのか?飯は?」

緩く首を振る。

「そうか。じゃあ適当になんか…」

ぐるりと部屋を見回した静雄さんの動きが止まった。

「あー…とりあえず、家来るか。…ここじゃ寒ィしな…」

気まずい顔でそんなことを言うものだから思わず笑ってしまった。困り顔の静雄さんに手を伸ばす。
驚くほどに無防備な我が家を空けるのは少し心配だが、盗られて困るものは大して無いのだと割りきることにして。
今日は不器用な恋人の看病を楽しもうじゃないか。
静雄さんの胸に顔を埋め、気付かれないようこっそり笑った。



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